※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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安政5年(1858) | - | 【渋沢栄一】従妹尾高千代(ちよ、尾高惇忠の妹)と結婚。〔18歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月25日 | 志摩国鳥羽大里町に、父音吉・母もとの長男として1月25日出生。幼名、吉松 | 御木本幸吉略年譜 | |
慶応2年(1866) | - | 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | (8歳)この年より読み書きソロバンを学ぶ | 御木本幸吉略年譜 | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | (9歳)祖父吉蔵、86歳にて死去 | 御木本幸吉略年譜 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | (11歳)この頃から洋学者に読書を学ぶ | 御木本幸吉略年譜 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | (13歳)家業のうどん屋(阿波幸)を手伝いながら青物行商 | 御木本幸吉略年譜 | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | (17歳)英軍艦シルバー号に足芸を演じ、鶏卵、青物などを売り込む | 御木本幸吉略年譜 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | (18歳)穀物の小売業に転業 | 御木本幸吉略年譜 | |
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | (20歳)家督を相続、御木本幸吉と改名。 | 御木本幸吉略年譜 | |
5月 | (20歳)帰路箱根で人命救助、初めて新聞に名前出る | 御木本幸吉略年譜 | |
- | (20歳)(春)東京、横浜など見学、対清貿易に関心を抱く | 御木本幸吉略年譜 | |
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | (21歳)大阪、神戸地方に見学旅行 | 御木本幸吉略年譜 | |
明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | (22歳)鳥羽町会議員に選ばれる。この年より海産物取引に従事、やがて天然真珠取引に関心を持つ | 御木本幸吉略年譜 | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | (23歳)元鳥羽藩士久米盛造長女うめ(17歳)と結婚 | 御木本幸吉略年譜 | |
- | (23歳)志摩国物産品評会委員、三重県勧業委員、鳥羽町学務委員となる | 御木本幸吉略年譜 | |
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | (25歳)父音吉死去(54歳) | 御木本幸吉略年譜 | |
明治19年(1886) | - | 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
- | (28歳)志摩国海産物組合理事から組合長に。海外への直接貿易に強い関心を持つ | 御木本幸吉略年譜 | |
明治20年(1887) | - | 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | (29歳)英明皇太后伊勢行啓の際、宮内省より天然真珠のご用命あり | 御木本幸吉略年譜 | |
明治21年(1888) | - | 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | (30歳)第2回全国水産品評会に組合長としてイリコ、天然真珠を出品のため上京、大日本水産会幹事長・柳楢悦に面会、アコヤ貝減産につき相談 | 御木本幸吉略年譜 | |
8月 | (30歳)柳楢悦、幸吉宅訪問、柳を神明村に案内、小川小太郎に会わせ漁場視察を受ける | 御木本幸吉略年譜 | |
9月 | (30歳)神明村でアコヤ貝の試験養殖開始 | 御木本幸吉略年譜 |