(株)御木本真珠島『御木本真珠島40年の歩み : 開島40周年記念誌』(1991.07)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
安政5年(1858) - 【渋沢栄一】従妹尾高千代(ちよ、尾高惇忠の妹)と結婚。〔18歳〕 渋沢関係略年譜
1月25日 志摩国鳥羽町に生まれる。幼名は吉松。(0歳) 御木本幸吉略年譜[()内は年齢]
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
- 青物の行商を始める。(13歳) 御木本幸吉略年譜[()内は年齢]
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
6月 英国軍艦シルバー号に鶏卵青物を売る。(17歳) 御木本幸吉略年譜[()内は年齢]
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
- 穀物の小売業を営業。(18歳) 御木本幸吉略年譜[()内は年齢]
明治11年(1878) - 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 渋沢関係略年譜
3月 東京、横浜を見学旅行。(20歳) 御木本幸吉略年譜[()内は年齢]
- 家督を相続し、御木本幸吉となる。(20歳) 御木本幸吉略年譜[()内は年齢]
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
- 大阪、神戸を見学旅行。(21歳) 御木本幸吉略年譜[()内は年齢]
明治13年(1880) - 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 渋沢関係略年譜
- 鳥羽町議会議員に選ばれる。(22歳) 御木本幸吉略年譜[()内は年齢]
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
- 久米うめ(17歳)と結婚。(23歳) 御木本幸吉略年譜[()内は年齢]
明治21年(1888) - 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 渋沢関係略年譜
- 神明浦に真珠貝の培養を試みる。(30歳) 御木本幸吉略年譜[()内は年齢]
明治23年(1890) - 【渋沢栄一】貴族院議員に任ぜられる。三本木渋沢農場開墾開始。〔50歳〕 渋沢関係略年譜
9月 神明浦に真珠の養殖事業をおこす。(32歳) 御木本幸吉略年譜[()内は年齢]
- 第3回内国博覧会で2等を得る。(32歳) 御木本幸吉略年譜[()内は年齢]
明治25年(1892) - 【渋沢栄一】株式会社東京貯蓄銀行創立・取締役(後に取締役会長)。元日本製帽を買収し東京帽子株式会社設立・取締役会長。〔52歳〕 渋沢関係略年譜
11月 赤潮のため真珠貝が全滅。(34歳) 御木本幸吉略年譜[()内は年齢]
明治26年(1893) - 【渋沢栄一】喜賓会創立・幹事長。東京人造肥料株式会社取締役会長。株式会社東京石川島造船所取締役会長。王子製紙株式会社取締役会長。帝国ホテル株式会社取締役会長。 渋沢関係略年譜
4月 初めて世界博覧会に天然真珠および真珠貝を出品。(35歳) 御木本幸吉略年譜[()内は年齢]
7月 半円真珠生まれる。(35歳) 御木本幸吉略年譜[()内は年齢]
明治29年(1896) - 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 渋沢関係略年譜
- 妻うめ死去(32歳)(38歳) 御木本幸吉略年譜[()内は年齢]
明治31年(1898) - 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 渋沢関係略年譜
- 最初の採取より、真珠5個を選び明治天皇にさしあげる。 皇室と御木本幸吉、真珠島
明治32年(1899) - 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 渋沢関係略年譜
- 東京、銀座に御木本真珠店を開く。(41歳) 御木本幸吉略年譜[()内は年齢]
明治33年(1900) - 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
- 小松宮彰仁親王、鳥羽私邸をご訪問。 皇室と御木本幸吉、真珠島
明治38年(1905) - 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 渋沢関係略年譜
11月 山田行在所で明治天皇にお目にかかる。(47歳) 御木本幸吉略年譜[()内は年齢]
PAGE TOP