(株)三越『株式会社三越85年の記録』(1990.02)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
天保12年(1841) 6月 奢侈禁令(天保の御觸れ)の厳守を各店に通達 三越関係
天保13年(1842) 2月20日 幕府、江戸呉服商有力店に対し、寛政3年以降の取引明細書提出を命じる 三越関係
3月6日 幕府、江戸呉服商に対し商品の売値引下げ(20%以上)を命じる。 三越関係
嘉永6年(1853) 6月 米使ペリー、浦賀に来航。翌年日米和親条約調印 社会
安政6年(1859) 6月1日 横浜店開設(横浜開港に伴う幕府の要請による呉服商いおよび御金御用) 三越関係
万延元年(1860) - 秋、江戸糸見世、貿易生糸の取扱開始 三越関係
文久2年(1862) - 横浜店類焼。以後呉服商いを中止 三越関係
文久3年(1863) - 【渋沢栄一】高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔。〔23歳〕 渋沢関係略年譜
11月23日 朝、江戸本店より出火、本店、向店、糸見世、焼失。類焼した魚河岸などの被災者に見舞金拠出 三越関係
慶応2年(1866) - 【渋沢栄一】徳川慶喜、征夷大将軍となり、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 渋沢関係略年譜
11月 横浜店の外国方御用、御為替御用を大元方所属の「御用所」に移管 三越関係
慶応3年(1867) - 【渋沢栄一】徳川昭武に従ってフランスへ出立(パリ万博使節団)。〔27歳〕 渋沢関係略年譜
10月 徳川慶喜、大政奉還 社会
- 江戸向店の規模縮小(使用人170人→125人) 三越関係
明治元年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、静岡で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
7月 手代中に三井家政の改革意見を募る 三越関係
9月 明治と改元、江戸は東京と称される 社会
10月 末日、芝口店閉鎖(松坂屋の暖簾を下ろす) 三越関係
- 断髪、洋服、ランプ、人力車、マッチなど次々普及(1868~1894年) 生活
- 学校や塾が続々創設される。袴姿の女学生に批判も(1868~1894年) 生活
- (~明治27年)[流行語]「へなちょこ」「パア」「国益」「帝国」 世相
- (~明治27年)[流行歌]「宮さん宮さん」「書生節」「オッペケペー節」 世相
- (~明治27年)[出版]福沢諭吉「学問のすすめ」植木枝盛「民権自由論」中江兆民「民約訳解」二葉亭四迷「浮雲」 世相
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】静岡藩に「商法会所」設立。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
4月 三井家、呉服業の存続を決定 三越関係
PAGE TOP