(株)三越『株式会社三越85年の記録』(1990.02)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
5月 向店閉鎖。向店跡に八丈島産物販売店を開設 三越関係
5月 江戸糸見世を本店の連店とし、東京糸店と改称 三越関係
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
6月 3都本店の称を廃し、おのおの東京呉服店、西京呉服店、大阪呉服店と改称 三越関係
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
1月 東京―大阪間に郵便実施 社会
4月 大阪呉服店、肥前唐津で石炭業を開始 三越関係
5月 金本位・円単位・十進法の新貨条例公布 社会
- 春、横浜弁天町に売込店設立 三越関係
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
1月11日 海運橋兜町に東京大元方開設 三越関係
1月25日 大蔵省首脳、三井家に呉服業の分離を勧告。 三越関係
3月 三井大元方、呉服業の分離を決定。これより越後屋呉服店は三越得衛門名義となり、店章を〓[○+越]と改める 三越関係
4月 上州桐生買店、玉上嘉十郎を仕入出張所とする 三越関係
9月 新橋―横浜間で鉄道開業 社会
- 秋、大阪呉服店西宮で酒造業開始 三越関係
- 東京呉服店、北新川で酒造業開始〓[○+越]印の清酒発売 三越関係
- 京都上之店および裂店廃止 三越関係
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
1月 徴兵令公布 社会
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
1月 東京日々新聞に「売出広告」掲載(新聞広告の最初) 三越関係
1月 板垣退助ら、民選議院設立建白書を提出 社会
5月15日 東京呉服店新店舗完成(土蔵造り2階建) 三越関係
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
11月15日 大阪呉服店を高麗橋3丁目に移転 三越関係
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