※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 取締役社長に神部満之助が就任 | 第2期株式会社時代・戦前(昭和6年~昭和20年) | |
- | 戦災により本店を焼失、バラックを建設して再建にあたる | 第2期株式会社時代・戦前(昭和6年~昭和20年) | |
- | 終戦後、再建第一歩工事として明治神宮御仮殿戦災復興造営に着手 | 第3期株式会社時代・戦後I(昭和20年~昭和43年) | |
- | 入間川飛行場を受注、各種進駐軍工事を受注するきっかけとなる | 第3期株式会社時代・戦後I(昭和20年~昭和43年) | |
- | 原子爆弾広島・長崎に投下 | ||
- | 日本ポツダム宣言受諾 | ||
- | 進駐軍、財閥解体・農地改革を指令 | ||
昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 東京都調布化学農園、横田航空基地諸施設、羽田飛行場B滑走路舗装を受注 | 第3期株式会社時代・戦後I(昭和20年~昭和43年) | |
- | インフレの進行、物資、食糧の極端な不足で工事は非常な困難に遭遇 | 第3期株式会社時代・戦後I(昭和20年~昭和43年) | |
- | 農地開発営団より福島県新安積疏水受注 | 第3期株式会社時代・戦後I(昭和20年~昭和43年) | |
- | 軍国主義者追放東京裁判 | ||
昭和22年(1947) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 天皇陛下、新安積疏水工事現場をご視察 | 第3期株式会社時代・戦後I(昭和20年~昭和43年) | |
- | 利根川水害復旧工事を施工 | 第3期株式会社時代・戦後I(昭和20年~昭和43年) | |
- | 新憲法施行 | ||
昭和23年(1948) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 内務省解体、建設省発足 | ||
昭和24年(1949) | - | 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 企業再建整備計画により600万円を増資、資本金1200万円となる | 第3期株式会社時代・戦後I(昭和20年~昭和43年) | |
昭和25年(1950) | - | 【渋沢敬三】ユニバーサル広告社社員(~1951年)。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 大阪スタジアム受注 | 第3期株式会社時代・戦後I(昭和20年~昭和43年) | |
- | 朝鮮戦争 | ||
- | 警察予備隊発足 | ||
昭和26年(1951) | - | 【竜門社】文部省史料館に日本実業史博物館準備室資料を寄託する。機関誌『青淵』を渋沢青淵記念財団竜門社から発刊する。【渋沢敬三】追放解除。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 当時わが国最大といわれた関西電力・丸山発電所を特命受注 | 第3期株式会社時代・戦後I(昭和20年~昭和43年) |