※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月9日 | 京都商工会議所設立認可。 | 一般 | |
10月10日 | 日本銀行営業開始。 | 一般 | |
12月11日 | 為替手形、約束手形条例制定。 | 一般 | |
12月15日 | 日本銀行大阪支店開設。 | 一般 | |
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月5日 | 国立銀行条例改正(各国立銀行発行紙幣の消却を命令、営業期間を免許後二〇年とし、その後私立銀行としてのみ継続を許可す)。 | 一般 | |
明治17年(1884) | - | 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月22日 | 為替切符を送金手形と改称。 | 一般 | |
5月26日 | 兌換銀行券条例制定、七月一日施行。 | 一般 | |
6月30日 | 大蔵省為替方廃止。 | 一般 | |
10月1日 | 大阪手形交換所、日銀当座振替による交換尻決済制を採用、交換室を日銀大阪支店内に移す。 | 一般 | |
10月28日 | 会計年度を改正(明治一九年以降毎年四月一日から起算) | 一般 | |
- | (この年)○松方デフレ政策により不況。 | 一般 | |
明治18年(1885) | - | 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月9日 | 兌換銀行券発行開始(わが国最初の兌換券発行)。 | 一般 | |
6月5日 | 京都府、二条城から現在地に庁舎を移転。 | 一般 | |
6月 | 大阪手形交換所、交換室を日銀から同盟銀行集会所内に復帰移転。決済方法も日銀当座振替をやめて以前の方法に戻す。 | 一般 | |
11月 | 京都商工会議所、烏丸通夷川下ルに移転。 | 一般 | |
12月25日 | 丹後縮緬業組合設立認可。 | 一般 | |
- | 京都同盟銀行中、営業休止又は、他銀行との合併等があり、手形交換を一時休止す。 | 協会関係 | |
- | (この年)○紙幣整理による不況深刻。 | 一般 | |
明治19年(1886) | - | 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
1月4日 | 日銀、不換紙幣を銀貨に兌換開始。 | 一般 | |
2月 | 神戸同盟銀行集会所設立。 | 一般 |