三井建設(株)『三井建設社史』(1993.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
延宝元年(1673) - 三井高利、江戸町1丁目に呉服店「越後屋」を開く 一般社会・建設業界・三井関係の動き
天和3年(1683) - 三井高利、越後屋を駿河町(現、三越本店の一角)に移転、隣接地に両替屋開業 一般社会・建設業界
享保7年(1722) - 三井家家訓・店則制定 一般社会・建設業界
慶応元年(1865) - 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 渋沢関係略年譜
- [原本には年の記載なし](明治以前)紀州藩出入り「用助方」として、幕末、和歌山城天守閣および石垣修築に参加//三代目西本用助、和歌山市にて鳶工事を主体にした土木請負業を営む 当社の動き
慶応2年(1866) - 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 渋沢関係略年譜
- 松永健次郎、尾張国海西郡松山中島村(現、岐阜県海津郡海津町)に生まれる 当社の動き
明治元年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
- 明治維新 一般社会・建設業界
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
6月 三井組、新貨幣兌換業務の独占指名を受ける 一般社会・建設業界
7月 廃藩置県 一般社会・建設業界
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
6月 洋風の三井組ハウス竣工(日本橋海運橋) 一般社会・建設業界
9月 鉄道開通(新橋―横浜間) 一般社会・建設業界
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
7月 三井銀行開業(42年株式会社に) 一般社会・建設業界
7月 三井物産会社設立(42年株式会社に) 一般社会・建設業界
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
2月 西南戦争勃発 一般社会・建設業界
明治13年(1880) - 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 渋沢関係略年譜
- 用助、北陸線鉄道工事に鹿島組の下請けとして参加し「土木施工の天才」と称讃される 当社の動き
- 健次郎、16歳で鹿島組の下請け大阪「吉田組」世話人となる//神戸の大楠公碑建立工事で、応援の西本用助と知り合い、見込まれて養子となる(末娘セキと結婚) 当社の動き
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
12月 内閣制度確立(初代総理大臣に伊藤博文就任) 一般社会・建設業界
明治20年(1887) - 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 渋沢関係略年譜
1月 初めて電灯点火 一般社会・建設業界
5月 用助・健次郎、「西本組」を名乗る 当社の動き
明治22年(1889) - 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 渋沢関係略年譜
2月11日 大日本帝国憲法発布 一般社会・建設業界
9月 淡路友ヶ島第1砲台工事を手がける 当社の動き
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