※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | ツェペリン飛行船来日 | 社会のできごと | |
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 満州事変おこる | 社会のできごと | |
昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 株式会社「三和銀行」創立(三十四、山口、鴻池の三銀行合同)、資本金一億七二〇万円、本店大阪市東区今橋 中根貞彦、頭取に就任 | サンワのできごと 三和銀行の創立 | |
12月 | 総預金一〇億円を達成、全国普通銀行の首位 | サンワのできごと 三和銀行の創立 | |
- | 国際連盟脱退 | 社会のできごと | |
- | 全国中等学校野球大会中京商業対明石中学戦で二五回の延長戦行なわれる | 社会のできごと | |
昭和9年(1934) | - | 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 経営の方針をひろく徹底させるため、全課店長あてに「頭取書簡」を伝達(以後毎月行なわれる) | サンワのできごと 三和銀行の創立 | |
8月 | 「経済月報」を創刊 | サンワのできごと 三和銀行の創立 | |
- | 室戸台風関西を襲う | 社会のできごと | |
昭和11年(1936) | - | 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 二・二六事件おこる | 社会のできごと | |
昭和12年(1937) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 日中戦争はじまる | 社会のできごと | |
昭和14年(1939) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 第二次世界大戦はじまる | 社会のできごと | |
昭和15年(1940) | - | 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 東京本部を設置 | サンワのできごと 試練に耐えて | |
- | 日用品配給制に。隣組(となりぐみ)の制度できる | 社会のできごと | |
昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 退職役職員の親睦機関として「和光会」できる | サンワのできごと 試練に耐えて | |
- | 太平洋戦争はじまる | 社会のできごと | |
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 大阪府下の株式会社更池銀行、株式会社辻林銀行、株式会社河泉銀行の営業を譲り受ける | サンワのできごと 試練に耐えて | |
10月 | (および11月)京都府下の株式会社乙訓銀行、株式会社山城八幡銀行の営業を譲り受ける | サンワのできごと 試練に耐えて | |
- | 〈欲しがりません勝つまでは〉の標語流行 | 社会のできごと | |
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 女子事務員の行員登用制を実施 | サンワのできごと 試練に耐えて |