※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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慶長8年(1603) | 2月 | 徳川家康、江戸幕府を開く | 一般の事項 |
明暦2年(1656) | - | 鴻池 初代鴻池善右衛門、大阪で両替商を開く([p]9) | 三十四・山口・鴻池関係の事項 |
寛文10年(1670) | - | 鴻池 二代鴻池喜右衛門、十人両替の中に名を出す([p]10) | 三十四・山口・鴻池関係の事項 |
元禄7年(1694) | - | イングランド銀行創立 | 一般の事項 |
文政7年(1824) | - | 山口 初代布屋(山口)吉郎兵衛、大阪で唐物商を開く([p]12) | 三十四・山口・鴻池関係の事項 |
嘉永6年(1853) | - | 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月3日 | ペリー、浦賀に来航 | 一般の事項 | |
文久3年(1863) | - | 【渋沢栄一】高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔。〔23歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月21日 | 山口 二代布屋(山口)吉郎兵衛、唐物商をやめ両替商に転業(同夜大火で店舗を焼失。翌元治元年春新築開店)([p]14) | 三十四・山口・鴻池関係の事項 | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月9日 | 王政復古令出る([p]16) | 一般の事項 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 大阪為替会社設立(七年六月解散)([p]19) | 一般の事項 | |
- | 鴻池・山口 十代鴻池善右衛門は大阪為替会社総頭取に、三代山口吉郎兵衛は同社頭取並にそれぞれ任命される([p]19) | 三十四・山口・鴻池関係の事項 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月10日 | 新貨条例布告(円が貨幣の単位となる) | 一般の事項 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月15日 | 国立銀行条例布告(銀行の設立を許可)([p]19) | 一般の事項 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 鴻池 十代鴻池善右衛門ら国立銀行の設立を出願(五月二日第三国立銀行として認可されたが七年一月十四日廃業届を出す)([p]20) | 三十四・山口・鴻池関係の事項 | |
6月11日 | 第一国立銀行開業(第一勧業銀行の前身の一つ)([p]20) | 一般の事項 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月1日 | 三井銀行開業([p]26) | 一般の事項 | |
8月1日 | 改正国立銀行条例布告(国立銀行の設立容易となる)([p]22) | 一般の事項 | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月30日 | 西南戦争はじまる(不換紙幣の大量増発によるインフレーションはじまる)([p]23) | 一般の事項 | |
5月21日 | 鴻池 第十三国立銀行開業。資本金二十五万円、頭取十代鴻池善右衛門、本店大阪府下今橋二丁目十四番地(現本店営業部の前身)([p]23) | 三十四・山口・鴻池関係の事項 | |
6月7日 | 鴻池 第十三国立銀行東京出張所開店(明治十一年一月東京支店となる。現日本橋支店の前身)([p]23) | 三十四・山口・鴻池関係の事項 | |
9月24日 | 西南戦争おわる(西郷隆盛ら自刃) | 一般の事項 |