※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月19日 | 金札(太政官札)の発行と布告 | ||
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月8日 | 明治と改元 | ||
9月22日 | 東北平定 | ||
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月17日 | 版籍奉還、伊達亀三郎(宗基)仙台藩知事となる | ||
9月17日 | 民部省札の製造を公告 | ||
12月5日 | 藩札の製造を禁止 | ||
- | 東北地方大凶作 | ||
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月25日 | 伊達宗敦(譲堂)仙台藩知事となる | ||
12月 | 卒及士族の帰農商出願者に賜金制を設く | ||
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月4日 | 藩札発行禁止 | ||
7月14日 | 廃藩置県、仙台藩を廃止して仙台県等を置く | ||
7月14日 | 塩谷良翰仙台県令となる | ||
11月12日 | 東北鎮台を仙台に設置 | ||
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月8日 | 仙台県を宮城県と改称 | ||
11月15日 | 国立銀行条例制定 | ||
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月7日 | 宮城時亮宮城県令となる | ||
7月20日 | 第一国立銀行開業免許 | ||
7月28日 | 地租改正条令発布 | ||
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月28日 | 秩禄公債証書条例制定 | ||
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月4日 | 貯金預り規則制定 |