(株)十八銀行『百年の歩み』(1978.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治11年(1878) - 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 渋沢関係略年譜
5月27日 金銀複本位制に移行 一般
6月1日 県庁に詰所を設置 当行
7月1日 資本金を二五万円とす 当行
7月23日 自家海上受合(保険)業務を開始 当行
9月9日 金禄公債の売買抵当を許可 一般
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
1月28日 厳原第百二国立銀行開業 一般
1月31日 松田源五郎県会議員に当選す 当行
9月 島原、大村、厳原、福江に国税徴収のため出張所設置、随時出張員を派遣 当行
10月1日 長崎商法会議所設立 一般
11月11日 京都第百五十三国立銀行をもって国立銀行設立禁止 一般
明治13年(1880) - 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 渋沢関係略年譜
10月5日 長崎で開催の第一回九州銀行同盟会に当行連帯為替を提案す 当行
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
1月 取締役松田勝五郎、頭取代理となる(頭取永見伝三郎病気につき) 当行
5月 当行提案連帯為替を九州同盟銀行で実施す 当行
10月21日 松方正義、大蔵卿に任ぜられ、不換紙幣整理の方針を定む 一般
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
6月27日 日本銀行条例公布、創立事務所を大蔵省内に設く 一般
7月23日 朝鮮京城に乱起こる(壬午の変) 一般
10月10日 日本銀行開業す 一般
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
5月3日 松方大蔵卿より発行紙幣却銷を下命 当行
5月5日 国立銀行条例改正、営業年限を免許後二〇年と定む 一般
7月1日 日本銀行国庫金取扱事務開始 一般
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