※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治23年(1890) | - | 【渋沢栄一】貴族院議員に任ぜられる。三本木渋沢農場開墾開始。〔50歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 東京市日本橋区鉄砲町に横河建築事務所を開設する | 横河民輔 | |
- | 第1回総選挙、第1議会召集。 | 社会 | |
- | 米騒動頻発する。 | 社会 | |
- | 東京・横浜にはじめて電話交換局を設置 | 社会 | |
明治24年(1891) | - | 【渋沢栄一】日本製帽会社相談役。東京交換所創立・委員長。東京商業会議所会頭。〔51歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 27歳―造家学会で、「火災及之ニ対スル構造法」を講演しその原稿を『建築雑誌』に掲載。 | 横河民輔 | |
11月 | 27歳―10月28日の濃尾大地震に触発され、翌11月に『地震』を刊行 | 横河民輔 | |
- | 東京・大阪に商業会議所設立。 | 社会 | |
- | 東京手形交換所開設 | 社会 | |
明治25年(1892) | - | 【渋沢栄一】株式会社東京貯蓄銀行創立・取締役(後に取締役会長)。元日本製帽を買収し東京帽子株式会社設立・取締役会長。〔52歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 28歳―東京工業学校(現東京工業大学)ならびに同校付属工業教員養成所の講師となり、建築通論を講義する(~1896年6月) | 横河民輔 | |
- | 28歳―この年、三井元方(のちの三井本社)の嘱託となる。 | 横河民輔 | |
- | 第2回総選挙にあたり選挙大干渉がおこり、衆議院でその非難決議案可決。 | 社会 | |
- | 東京府下煉瓦工組合結成 | 社会 | |
明治26年(1893) | - | 【渋沢栄一】喜賓会創立・幹事長。東京人造肥料株式会社取締役会長。株式会社東京石川島造船所取締役会長。王子製紙株式会社取締役会長。帝国ホテル株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
11月5日 | 29歳―女子教育の先覚者として著名な棚橋絢子の次女シヅヱと結婚 | 横河民輔 | |
- | 29歳―この年、民輔の意見をとり入れた三井物産社長益田孝により「冠称三井諸会社改築意見書」が三井家に提出され三井本店建設の緒につく。 | 横河民輔 | |
- | 郡司成忠大尉ら、千島探検に出発。 | 社会 | |
- | 政府、富岡製糸場を三井に払い下げる。 | 社会 | |
- | ドイツでディーゼルエンジン発明 | 社会 | |
明治28年(1895) | - | 【渋沢栄一】東京統計協会終身会員。北越鉄道株式会社創業総会・監査役(後に相談役)。〔55歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 31歳―三井元方に技士2等として、正式に入社。以後、技術課長として三井本店をはじめとする営繕工事の指揮にあたる。部下に、鈴木禎次、瀬戸文吾、近藤磯五郎らがいた。 | 横河民輔 | |
12月 | 31歳―造家学会で「鉄骨構造」を講演し、その原稿を『建築雑誌』に掲載 | 横河民輔 | |
- | 日清戦争(1894年~)終結。 | 社会 |