(株)横河橋梁製作所『横河橋梁八十年史』(1987.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治28年(1895) - 【渋沢栄一】東京統計協会終身会員。北越鉄道株式会社創業総会・監査役(後に相談役)。〔55歳〕 渋沢関係略年譜
- 「東洋経済新報」発刊 社会
明治29年(1896) - 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 渋沢関係略年譜
4月 32歳―長男時介誕生。 横河民輔
12月 32歳―三井本店の鉄骨構造調査のためアメリカに出張。カーネギー社と鋼材買入れの契約を結ぶ 横河民輔
- 台湾を制圧して台湾総督府をおき民政に移管。 社会
- 葉煙草専売法公布(煙草の民営を廃止) 社会
明治30年(1897) - 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 渋沢関係略年譜
5月 33歳―アメリカより帰国。構造計算ほか学ぶところ大であったという。 横河民輔
7月 33歳―三井臨時建築掛へ転ずる。 横河民輔
7月 33歳―建築学会で「商業建築」を講演 横河民輔
- アメリカで日本人移民拒否事件あい次ぐ。 社会
- 日本勧業銀行開設。 社会
- 活動写真(映画)大阪ではじめて興行 社会
明治33年(1900) - 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
11月 36歳―学友山崎定信の遺児の教育資金募集の発起人となる。 横河民輔
11月 36歳―三井銀行深川支店を竣工 横河民輔
- 普通選挙請願書、衆議院に提出される。 社会
- 皇太子(のちの大正天皇)ご成婚。 社会
- 東京株式市場大暴落。 社会
- 各地に金融恐慌おきる 社会
明治34年(1901) - 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 渋沢関係略年譜
- 37歳―三井銀行大阪支店を鈴木禎次設計(民輔は顧問)で竣工。 横河民輔
- 官営八幡製鉄所(現新日本製鉄(株))開業 社会
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
- 38歳―三井総本店(三井同族会、三井銀行、三井物産、三井鉱山等の諸会社を含む)竣工。これはわが国初の補強式鉄骨構造による建築物である 横河民輔
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