(株)住友銀行『住友銀行三十年史』(1926.07)

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月日 事項 年表種別
明治38年(1905) 4月8日 主管者更迭 京都支店支配人久保喜久三・兵庫支店支配人高瀬吉太郎及尾道支店支配人若森篤太郎解任、博多支店支配人仙田重邦に京都支店支配人を、営業部副長浜崎定吉に博多支店支配人を、八代則彦に営業部副長を、岩橋大六に兵庫支店支配人を斉藤〓[金+庫]吉に尾道支店支配人を命ず
明治40年(1907) 1月22日 主管者更迭 銀行副支配人植野繁太郎の営業部長を免じて検査役を命じ、営業部副長八代則彦に営業部長を、中之島支店支配人河田大三九に営業部副長を、兵庫支店支配人岩橋大六に中之島・呉支店支配人服部幸作に兵庫・藤田四郎に呉の各支店支配人を命ず
明治41年(1908) 1月5日 主管者任命 営業部長八代則彦に銀行副支配人を命ず(営業部長如故)
明治45年(1912) 3月10日 本店支配人任命 検査役銀行副支配人植野繁太郎・文書部長同吉田真一及営業部長同八代則彦に本店支配人を命ず(検査役及各部長各如故)
大正元年(1912) 9月2日 支配人海外派遣 銀行事務視察のため本店支配人八代則彦に欧米各国へ出張を命ず
大正2年(1913) 1月6日 本店支配人帰朝 欧米出張中の本店支配人八代則彦帰朝す
大正6年(1917) 8月17日 主管者更迭 本店支配人八代則彦の営業部長を免じ、営業都副長河西三九郎・同大平賢作及若松支店支配人阿部禎治郎解任、船場支店支配人浜崎定吉に営業部長を、下関支店支配人鈴木謙三郎に船場・岡橋林に下関・村井正記に若松の各支店支配人を命ず
大正7年(1918) 1月24日 取締役及監査役選任 堀啓次郎・東京支店支配人、加納友之介・本店支配人吉田真一及同八代則彦取締役に、本店支配人兼検査役植野繁太郎監査役に選任せらる(加納友之介・吉田真一及八代則彦の各支配人故の如く、植野繁太郎の本店支配人並に検査役解任)
1月30日 常務就任 取締役兼本店支配人加納友之介・同吉田真一及同八代則彦何れも常務に就任す(本店支配人兼務各如故)
大正10年(1921) 3月19日 取締役改選 取締役堀啓次郎・加納友之介・吉田真一及八代則彦改選重任す
10月15日 常務取締役海外出張 常務取締役八代則彦英米訪問実業団に加はり渡航す
大正11年(1922) 5月5日 常務取締役帰朝 海外規察中の常務取締役八代則彦帰朝す
大正12年(1923) 8月4日 本店支配人及主管者更迭 常務取締役兼本店支配人吉田真一及同八代則彦の兼務を解き、取締役兼紐育支店支配人今村幸男及東京支店支配人国府精一に本店支配人を・本店支配人河田大三九に東京・東義一に紐育の各支店支配人を命ず(今村幸男の取締役如故)
大正13年(1924) 3月20日 取締役及監査役改選並に選任 取締役堀啓次郎・加納友之介・吉田真一・八代則彦及監査役植野繁太郎改選重任、河田大三九取締役に選任せらる
大正14年(1925) 10月1日 首席常務更迭 首席常務取締役湯川寛吉常務を辞任(同日大阪手形交換所委員長辞任)、常務取締役八代則彦首席常務取締役に就任す
10月12日 大阪手形交換所委員長 常務取締役八代則彦大阪手形交換所委員長に当選就任す
大正15年(1926) 5月4日 代表取締役選定及取締役会長・専務取締役就任 取締役八代則彦・今村幸男及大平賢作各代表取締役に選定せられ、且つ取締役湯川寛吉取締役会長に常務取締役八代則彦専務取締役に各就任す(今村幸男及大平賢作の常務取締役各如故)
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