(株)住友銀行『住友銀行三十年史』(1926.07)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治34年(1901) - 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 渋沢関係略年譜
1月12日 行員在外研究 在米森三郎を雇入れ銀行事務研究のため英国滞在を命ず
1月26日 手形交換所委員 銀行支配人田辺貞吉大阪手形交換所委員に当選す(当行より手形交換所委員を出す嚆矢とす)
4月 恐慌 大阪金融界に恐慌起り銀行の支払停止及預金取附相踵ぐ(5月99日まで)
9月1日 主管者任命 銀行副支配人植野繁太郎に調査部長を、同岡素男に営業部長を、同滝沢吉三郎に同部副長を命ず
9月1日 主管者改称 東京・神戸・広島・若松各支店長を支店支配人と改称す
9月1日 店名並に主管者改称 川口・船場・兵庫・尾道・新居浜及呉の各出張店を支店に改め、出張所主任を支店支配人と改称す
9月1日 主管者更迭 中之島支店を設置し船場支店支配人浜崎定吉に同店支配人を、河田大三九に船場支店支配人を命ず
9月1日 支店開業 中之島支店営業を開始す
9月15日 本店移転 本店を東区今橋四丁目八番地へ移転す
10月3日 主管者更迭 京都支店を設置し門司支店支配人久保喜久三に同店支配人を、若松支店支配人上村喜平に門司支店支配人兼若松支店支配人を命ず
11月11日 支店開業 京都支店営業を開始す
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
4月4日 主管者任命 道頓堀支店を設置し村松豊吉に同店支配人を命ず
4月16日 主管者海外派遣 商況視察のため銀行副支配人滝沢吉三郎に清国各要港及香港に二ケ月の予定を以て出張を命ず
4月26日 横浜正金銀行海外支店と為替取引 横浜正金銀行海外支店中上海・天津・香港・孟買・里昂・倫敦・桑港及紐育出張所と当行本店との間に為替取引を開始す
5月1日 支店開業 道頓堀支店営業を開始す
6月30日 国庫代理事務解約 日本銀行より委託せられたる神戸支店の神戸本金庫事務取扱代理並に同店所属三田外三支金庫事務代理店の契約を解く
9月12日 行員帰朝 滞欧中の行員森三郎帰朝す
10月21日 主管者更迭 広島支店支配人久能省三解任、東京支店支配人吉田真一に後任を命じ、銀行副支配人兼営業部副長滝沢吉三郎に東京支店支配人を、仙田重邦に営業部副長を命ず
明治36年(1903) - 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 渋沢関係略年譜
2月7日 主管者更迭 銀行副支配人植野繁太郎の調査部長を免じて営業部長を命じ、同岡素男の営業部長を免じて調査部長を命ず
3月17日 主管者更迭 博多支店を設置し営業部副長仙田重邦に同店支配人を、中之島支店支配人浜崎定吉に営業部副長を、堀貞に中之島支店支配人を命ず
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