※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治39年(1906) | - | 【渋沢栄一】大日本麦酒株式会社設立、取締役。南満州鉄道株式会社設立委員。京阪電気鉄道会社創立・創立委員長(後に相談役)。大日本製糖株式会社設立、相談役。名古屋電力株式会社創立・相談役。東海倉庫株式会社創立・相談役。明治製糖創立・相談役。〔66歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 横河民輔、横河工務所大阪出張所を設け建築設計監督業のほかに鉄骨家屋、橋梁製作組立請負業を始める | 会社の歩み | |
3月31日 | 鉄道国有法公布(10.1施行) | 社会の動き | |
11月26日 | 南満洲鉄道株式会社(満鉄)設立(40.4.1開業) | 社会の動き | |
明治40年(1907) | - | 【渋沢栄一】帝国劇場会社創立・取締役会長。品川白煉瓦株式会社相談役。日清汽船株式会社創立、取締役。日本皮革株式会社創立、相談役。合資会社沖商会有限責任社員・監査役。帝国製麻株式会社創立、相談役。東明火災海上保険株式会社創立、取締役。〔67歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月21日 | 東京株式相場暴落(日露戦争後の恐慌の端緒) | 社会の動き | |
2月 | 横河工務所の鉄骨橋梁製作部門(大阪市西区境川86番地)を分離独立させ、横河民輔個人経営の横河橋梁製作所を創業 | 会社の歩み | |
明治41年(1908) | - | 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 横河民輔所主、欧米視察より帰朝、支配人を瀬戸文吾とし、アメリカ土木学会会員 工学士関場茂樹を技師長として迎える | 会社の歩み | |
10月13日 | 戊申詔書発布 | 社会の動き | |
12月5日 | 鉄道院管制公布 | 社会の動き | |
- | 大阪市営電気鉄道上繋橋(当社初の橋梁)を製作する | 会社の歩み | |
明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
6月25日 | 度量衡法施行令公布(ヤード・ポンド系も採用) | 社会の動き | |
10月26日 | ロシア蔵相と会談のためハルビン駅に到着した伊藤博文、韓国人に射殺される〈69歳〉 | 社会の動き | |
12月20日 | 鉄道院職員服制公布(判任官以上は帯剣肩章) | 社会の動き | |
明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月13日 | 逗子開成中学の生徒ら13人、七里ヶ浜で遭難溺死(哀悼歌〈七里ヶ浜〉が評判となる) | 社会の動き | |
7月4日 | 第2回日露協約調印(満州の権益分割の密約) | 社会の動き | |
明治44年(1911) | - | 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月18日 | 大審院、幸徳秋水や大逆事件被告24人に死刑判決(のち12人は無期に減刑) | 社会の動き | |
3月1日 | 帝国劇場開場式(横河民輔設計) | 会社の歩み | |
7月13日 | 第3回日英同盟条約調印 | 社会の動き | |
8月1日 | 東京市、東京鉄道(株)を買収し、東京市電気局を設置(東京都交通局の前身) | 社会の動き | |
10月 | 鉄道院橋桁製作工場に指定される | 会社の歩み | |
大正元年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月30日 | 明治天皇没〈61歳〉、嘉仁親王践祚。大正と改元 | 社会の動き |