※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | ポイントクロッシングの製作を開始し、鉄道院の指定工場(大阪)となる | 会社の歩み | |
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月10日 | 国際連盟発足 | 社会の動き | |
2月5日 | 八幡製鉄所、2万3,000人のストライキ開始 | 社会の動き | |
3月15日 | 株式市場、株価暴落で混乱(戦後恐慌) | 社会の動き | |
5月15日 | 鉄道院を鉄道省に昇格 | 社会の動き | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
4月12日 | 度量衡法改正公布(メートル法を基本とする) | 社会の動き | |
8月 | 芝浦に新東京工場の建設着手 | 会社の歩み | |
11月1日 | 建設工事半ばで新東京工場の操業を開始 | 会社の歩み | |
11月4日 | 原敬首相、東京駅頭で刺殺される | 社会の動き | |
12月13日 | 日英米仏四国条約調印、これに伴い日英同盟廃棄 | 社会の動き | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 新東京工場を芝浦に開設し、千田町の工場は分工場となる | 会社の歩み | |
2月6日 | ワシントン会議で、海軍軍備制限条約調印 | 社会の動き | |
3月30日 | 未成年者飲酒禁止法公布 | 社会の動き | |
4月11日 | 本社を東京市芝区月見町1丁目7番地(東京工場構内)に移転 | 会社の歩み | |
4月22日 | 健康保険法公布 | 社会の動き | |
10月21日 | 東京工場品川停車場構内専用側線使用認可を得る(田町駅側より引込み) | 会社の歩み | |
12月30日 | ソビエト社会主義共和国連邦成立 | 社会の動き | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月5日 | 第1次共産党員検挙 | 社会の動き | |
9月1日 | 関東大震災勃発、東京工場は倒壊ならびに火災を免れたが、千田町の工場は全焼して閉鎖 | 会社の歩み | |
9月1日 | 関東大震災 | 社会の動き |