※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月7日 | 支払猶予令公布(モラトリアム)実施 | 社会の動き | |
9月27日 | 帝都復興院管制公布 | 社会の動き | |
11月15日 | ドイツのマルク下落、最低点に達する | 社会の動き | |
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
5月26日 | アメリカ議会で新移民法(排日条項を含む)成立 | 社会の動き | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
1月20日 | 日ソ基本条約調印(国交回復) | 社会の動き | |
3月1日 | 東京放送局(芝浦)、試験放送開始(7.12芝愛宕山新局より本放送) | 社会の動き | |
4月22日 | 治安維持法公布 | 社会の動き | |
9月20日 | 東京六大学野球リーグ開始 | 社会の動き | |
大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月9日 | 労働争議調停法公布 | 社会の動き | |
昭和元年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月25日 | 大正天皇没、裕仁親王践祚。昭和と改元 | 社会の動き | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月15日 | 東京渡辺銀行等休業、金融恐慌始まる | 社会の動き | |
4月12日 | 蒋介石、上海で反共クーデターを敢行(4.20南京に国民政府樹立) | 社会の動き | |
4月22日 | 3週間の支払い延期緊急勅令公布 | 社会の動き | |
昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月20日 | 初の普通選挙実施 | 社会の動き | |
3月15日 | 第2次共産党員検挙 | 社会の動き | |
5月3日 | 日本軍、山東省済南で国民政府軍と衝突(済南事件)、中国の排日運動激化 | 社会の動き | |
5月27日 | 専務取締役瀬戸文吾死去 | 会社の歩み | |
6月4日 | 張作霖爆死事件起こる | 社会の動き | |
7月10日 | 銀行の土曜半休実施 | 社会の動き | |
8月27日 | パリで不戦条約調印 | 社会の動き |