(株)第一銀行『第一銀行年表』(1942.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
1月21日 臨時株主総会に於て増資決定し、五万九千二百円増資して総資本金二百五十万円とす。 第一国立銀行時代
1月25日 営業報告を新聞紙上に広告す。我国に於いて営業報告を株主に頒ち、又これを新聞紙上に広告する事は之を以て嚆矢とす。 第一国立銀行時代
2月 神戸支店西京出張所を開き、官金出納事務を取扱はしむ。 第一国立銀行時代
2月 行員一名を米国に留学せしめ、銀行業に関する諸般の事項を調査研究せしむ。 第一国立銀行時代
2月 欧州諸国にある我が公使館、領事館の為替御用引受を外務、大蔵二省に出願す。 第一国立銀行時代
3月7日 内務省の官金出納を命ぜられ、契約書を交換す。 第一国立銀行時代
3月 為替御用引受を重ねて出願す。生糸蚕卵紙の欧州輸出の途、開けたれば、其の取立代金を公使館、領事館の費途に充用、往返為替打歩の冗費を省き、且其の資金の運転を速にせんとせるも政府の容るゝ所とならず。 第一国立銀行時代
4月13日 駅逓寮との官金出納事務に関する契約を締結す。 第一国立銀行時代
4月20日 官金部と営業部との金庫を区別す。 第一国立銀行時代
4月 従来無利息なりし当座預金にも半季一万円以上の残高には日歩を附することゝす。定期預金も其の期限従来三ヶ月以上なりしを一ヶ月となし、期限の長短に従ひて利息を附することゝす。 第一国立銀行時代
8月 保護預り及び代金取立手形の手数料につき規約を設け、割引手形の日歩及び手数料を定む。 第一国立銀行時代
8月 東京、大阪の本支店と長崎なる小野組の出店との間にコルレスポンデンスを締結す。我国コルレスポンデンスの嚆矢なり。 第一国立銀行時代
9月12日 政府に於いて、清国上海に新貨及び円銀交換所設立の内議あり、上海、香港辺墨銀、貿易銀並に新貨、円銀等の流通景況調査方当行に命ず。行員二名を派遣す。 第一国立銀行時代
9月 荷為替取扱規則を制定、之を本店並に大阪、横浜両支店の三ヶ所に施行す。 第一国立銀行時代
10月20日 横浜支店、横浜本町通り五丁目に新築落成、官金出納事務の他一般銀行業務をも開始す。 第一国立銀行時代
10月 夜学校を行内に起し、行員に英語、数学を教授す。 第一国立銀行時代
11月 小野組破綻す。当行より小野組への貸金は百三十八万円に達し、其の回収を得ざらんか、営業の継続覚束なく、将来の運命予期すべからざりしに、幸に斯かる悲境よリの免れ、却つて将来発展の動機をなせるは総監役渋沢栄一氏の周到なる注意と熱心なる努力によるものなり。 第一国立銀行時代
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
1月3日 総監役渋沢栄一氏当行経営に一大刷新を加へんと、銀行改革案を紙幣頭に具して其の指令を仰ぐ。 第一国立銀行時代
3月8日 金貨騰貴の結果、兌換請求者続出し国立銀行紙幣発行不可能となる。よつて当行は第二、第四、第五の三国立銀行を誘ひ、正貨党兌換制廃棄に関する歎願を紙幣寮へ呈出す。 第一国立銀行時代
8月1日 臨時株主総会を開き、渋沢栄一氏の提案を採り、一大改革断行を決議す。(重役の改選を行ひ、総監役を廃し、渋沢栄一氏頭取に就任し、資本金を減じて百五十万円となし、公務を整理す)。 第一国立銀行時代
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