※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 大蔵省官金出納事務取扱の停止せらるゝありて当行の営業も亦多大の影響を受けたり。 | 第一国立銀行時代 | |
11月24日 | 百万円減資の結果、資本金総額百五十万円となす。 | 第一国立銀行時代 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 始て保護預り品取扱手続を定む。 | 第一国立銀行時代 | |
3月1日 | 大蔵省出納寮内に現金出納局設置せられ、以後納金、支払共一切こゝにて取扱ふに至る。 | 第一国立銀行時代 | |
3月5日 | 頭取渋沢栄一氏書を紙幣頭に贈りて、官金取扱方改正の急激に為すべからざる所以を痛論す。 | 第一国立銀行時代 | |
4月13日 | 利倍定期預金規則を定む。 | 第一国立銀行時代 | |
6月30日 | 大蔵省の預り金を全部還納し終る。 | 第一国立銀行時代 | |
7月16日 | 官金出納御用銀行としての意義を失へる為め、株主総会に於て頭取渋沢栄一氏は従来の方針を一変して業務の拡張を図るため営業の規定を改め経費の支出を節減すること肝要なりとて改革案提出、株主の同意を得て全力を民間取引に傾注、純然たる商業銀行として立つ決心をなす。 | 第一国立銀行時代 | |
7月 | 清国政府、我が政府へ借款を申込む、当行其の衝に当る。(8月まで) | 第一国立銀行時代 | |
8月1日 | 太政官布告第百六号を以て改正国立銀行条例を公布す。 | 第一国立銀行時代 | |
8月4日 | 米穀産地たる陸羽地方に当行の出張所を設け、其の米穀荷為替取扱の方法を起し紙幣寮に請願し許可せらる。 | 第一国立銀行時代 | |
8月20日 | 臨時株主総会を開き、更に創立証書及び定款を議定す。 | 第一国立銀行時代 | |
8月25日 | 新条例により依然第一国立銀行の名称を以て営業せんことを紙幣寮に出願し許可せらる。 | 第一国立銀行時代 | |
9月26日 | 貸付金利息制限外取立に付き許可せらる。 | 第一国立銀行時代 | |
9月26日 | 改正国立銀行条例により開業免状を下附さらる。 | 第一国立銀行時代 | |
10月1日 | 改正国立銀行条例に準拠せる営業を開始す。 | 第一国立銀行時代 | |
10月 | 清国招商局、我国に対し汽船購入資金の借入を希望し、当行其の衝に当りたるも不成立に終る。 | 第一国立銀行時代 | |
12月 | 陸羽地方の米穀荷為替の取扱を開始するに及び仙台、石巻に出張所を置き、其の発行する振出手形は租税上納に使用し得ることとなる。 | 第一国立銀行時代 | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月30日 | 西南の役勃発。(九月二十四日平定) | 第一国立銀行時代 | |
1月31日 | 大蔵省内に銀行学講習所開設さる。 | 第一国立銀行時代 |