(株)台湾銀行『台湾銀行四十年誌』(1939.08)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治30年(1897) - 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 渋沢関係略年譜
4月1日 法律第三十八号を以て台湾銀行法公布せらる
11月8日 台湾事務局長野村政明氏外十三名創立委員に任命せらる。
11月17日 第一回創立委員会関催せられ川口武定氏委員長に互選せらる。
明治31年(1898) - 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 渋沢関係略年譜
6月25日 法律第十七号を以て台湾銀行法中一部改正行はれ無記名式一覧払手形の発行高に対し行政上の監督を加ふる規定を追加せらる。
明治32年(1899) - 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 渋沢関係略年譜
3月2日 法律第三十四号を以て台湾銀行法中一部改正行はれ五円以上無記名式一覧払手形発行を壱円銀貨一枚以上の銀行券発行に改めらる。
3月2日 法律第三十五号を以て台湾銀行補助法を公布せられ政府の本行株式引受に関する規定を設けらる。
3月30日 本行走款大蔵大臣より認可せらる。
5月1日 本日より十四日迄を応募期間とし本行株式四万株の公募を行ひたるに応募株数四倍弱に達す。
6月12日 株主名簿を添へて大蔵大臣に本行設立免許を申請し即日免許せらる。
6月12日 神戸、台南、厦門に支店設置に関する定款変更の件大蔵大臣より認可せらる。
6月15日 添田壽一氏頭取に、柳生一義氏副頭取に任命せらる。
7月5日 本行創立総会を関催す。
7月5日 大倉喜八郎、西村真太郎、大谷嘉兵衛三氏監査役に当選就任す。
7月6日 土岐〓[人+黄]、男爵川崎寛美、辰野宗義、下坂藤太郎四氏理事に任命せらる。
7月22日 株式第一回払込(百二十五万円)を完了す。
7月27日 銀行券発行正貨準備として金二百万円に相当する壱円銀貨の貸下に関し大蔵大臣の命令を受く。
8月4日 台北地方法院に於て本行設立の登記を受く。
9月11日 前記大蔵大臣の命令に基き金二百万円に相当する壱円銀貨の政府貸下を受く。
9月26日 台北撫台街の仮営業所に於て本店の営業を開始す。
9月29日 始て壱円銀券を発行す。
PAGE TOP