(社)東京銀行協会東京手形交換所『東京手形交換所100年の歩み』(1987.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
7月 第一国立銀行開業 開設前(~明治20年11月)
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
7月 「択善会」発足//択善会は、渋沢栄一第一国立銀行頭取の提唱により発足したわが国最初の銀行家の団体であった。同会は定期的に会合を開き銀行業の発展のための意見交換等を行い、機関誌を発行した。手形交換所の開設に関しても意見交換や調査・研究を行い、また、「割引手形取付不渡ノ者処分方法」の検討も行った。(明治13年8月解散) 開設前(~明治20年11月)
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
12月 「大坂交換所」(大阪手形交換所)開設//わが国最初の手形交換所として、大阪の銀行苦楽部内に開設された。 開設前(~明治20年11月)
明治13年(1880) - 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 渋沢関係略年譜
9月 「東京銀行集会所」設立//東京銀行集会所は、択善会の解散、ならびに、別に開かれていた銀行懇親会(詳細不明)の廃止を受けて、設立された。この東京銀行集会所は、明治15年3月に名称を「銀行集会所」に変更、明治23年7月には再び「東京銀行集会所」と改称した。明治43年12月に社団法人に改組。昭和20年9月からは「社団法人東京銀行協会」として新発足し今日に至っている。 開設前(~明治20年11月)
10月 東京銀行集会所内に為替取組所開設 開設前(~明治20年11月)
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
10月 日本銀行開業 開設前(~明治20年11月)
12月 為替手形約束手形条例公布 開設前(~明治20年11月)
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
9月 銀行集会所内に手形取引所開設(為替取組所は廃止) 開設前(~明治20年11月)
明治20年(1887) - 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 渋沢関係略年譜
12月 (1)東京手形取引所付属交換所(明治20年12月~同24年2月)//銀行集会所内に設置されていた「手形取引所」の加盟銀行中の有志銀行により、同取引所に「東京手形取引所付属交換所」の名称で手形交換所が開設され、明治20年12月1日から手形交換を開始した。//この交換所における交換尻の決済方法は、交換尻借方銀行の小切手を貸方銀行に交付し、貸方銀行はこの小切手を直接借方銀行から取立てるか、あるいは、翌日の手形交換に組入れるという方法をとっていた。この交換尻決済方法が不便であったことなどにより、東京手形取引所付属交換所は開設後3年3か月で廃止された。 銀行集会所内設置時代(明治20年12月~明治33年7月)
12月 「東京手形取引所付属交換所」開設//(1)東京手形交換所は、銀行集会所内の手形取引所に付属して開設され、明治20年12月1日から手形交換を開始した。開設当時の交換所同盟銀行は13行であった。最初の交換日の実績は、持出、持帰参加銀行11行、枚数75枚、金額60,314円47銭であった。//(2)交換室は、東京市日本橋区坂本町(現・中央区日本橋兜町)の銀行集会所内に置かれた。//(3)「手形交換所規則」(明治20年11月制定)を実施//イ 交換所出席銀行は手形取引所同盟の銀行に限る。//ロ 交換時間は午前11時から正午までとする。//ハ 交換尻借方銀行から小切手を振出し、貸方の銀行へ交付する。貸方の銀行はこれを取立てて交換尻の決済をする。//(4)交換尻決済方法が不便であったため東京手形取引所付属交換所は、明治24年2月末をもって廃止された。 銀行集会所内設置時代(明治20年12月~明治33年7月)
明治24年(1891) - 【渋沢栄一】日本製帽会社相談役。東京交換所創立・委員長。東京商業会議所会頭。〔51歳〕 渋沢関係略年譜
3月 (2)東京交換所(明治24年3月~同33年7月)//取引所付属交換所にかわって、東京銀行集会所の同盟銀行中の有志銀行によって明治24年3月、同集会所の中に「東京交換所」が開設された。//この交換所では、交換尻の決済を、日本銀行の協力を得て、加盟銀行(組合銀行)が日本銀行に開設している当座勘定の振替によって行うこととした。//また、この時代には、取引停止処分制度や代理交換制度が創始された。 銀行集会所内設置時代(明治20年12月~明治33年7月)
3月 東京銀行集会所内に「東京交換所」開設、再発足//交換尻決済方法を改善。日本銀行が客員として交換に参加//(1)手形取引所付属交換所は、交換尻決済方法が不便であったため廃止され(手形取引所も同時に廃止)、これにかわって、東京銀行集会所内に「東京交換所」が開設された。//(2)「東京交換所規則」(明治24年2月制定)を実施//イ 交換所組合銀行は東京銀行集会所同盟銀行であって、日本銀行と当座勘定を開いたものに限る。//ロ 日本銀行は客員として交換に出席する。//ハ 交換時間は午前10時から10時30分までとする。//ニ 交換尻決済は日本銀行当座勘定の振替によって行う。//ホ 交換尻決済資金の日本銀行への払込みは正午(土曜日午前11時30分)までとする。 銀行集会所内設置時代(明治20年12月~明治33年7月)
明治27年(1894) - 【渋沢栄一】東京瓦斯株式会社取締役会長。東京海上保険株式会社取締役。北越鉄道株式会社創立発起人。札幌麦酒株式会社取締役会長。 渋沢関係略年譜
7月 取引停止処分制度の開始//小切手、手形が不渡りとなったときは「......該組合銀行ヨリ交換所監事ヘ報告シ、監事ハ之ヲ組合銀行へ通知シ、右等ノ輩ヘ自今一切取引ヲ為サゝル事ニ議決セリ」(東京交換所定式総会録事) 銀行集会所内設置時代(明治20年12月~明治33年7月)
8月 日清戦争はじまる 銀行集会所内設置時代(明治20年12月~明治33年7月)
9月 東京銀行集会所「不渡手形処分ニ関スル規約」決定(同年11月実施)//銀行集会所として規約を決定し、交換所に加盟していない集会所同盟銀行にも適用することとなった。//一.支払資金ナキ手形又ハ小切手ニシテ取引銀行ノ拒絶ニ依リ不渡トナリタルモノアルトキハ之ヲ拒マレタル銀行ヨリ書面ヲ以テ其住所姓名及金額等ヲ銀行集会所へ告知スヘシ銀行集会所ハ速ニ其趣旨ヲ同盟銀行へ通知スヘキモノトス//一.同盟銀行ハ前項ノ通知ヲ受ケタル者ニ対シ自心切取引ヲ為スコトヲ許サス、但追テ拒絶シタル銀行ヨリ本人ノ信用恢復シタル事実ヲ告知シタルトキハ従前ノ如ク取引ヲ為スコトヲ得ヘシ 銀行集会所内設置時代(明治20年12月~明治33年7月)
明治29年(1896) - 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 渋沢関係略年譜
5月 交換室移転(日本橋区本両替町(現・中央区日本橋本石町)日本銀行内)//新交換室への下駄ばき入室を禁止し、交換方は靴をはくことを決定した。 銀行集会所内設置時代(明治20年12月~明治33年7月)
明治30年(1897) - 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 渋沢関係略年譜
6月 代理交換参加はじまる//(1)代理交換制度については、明治24年制定の「東京交換所規則」中に規定が設けられたが、“委託銀行ニ於テ支払フヘキ手形、小切手ハ総テ受託銀行ノ責任トシテ之ヲ交換スヘシ”とされ、受託銀行の責任が重かったこともあって、実際の参加は、明治30年の東京貯蔵銀行(受託、第百銀行)が最初であった。//(2)しかし、、手形交換未参加銀行が多いことは、手形交換所の機能発揮の妨げとなるため、明治30年11月、規則を改正し、代理交換受託銀行は、委託銀行において支払うべき手形等を便宜上交換するに過ぎず、責任は負わない趣旨の規定とした。//さらに、明治31年10月には「代理交換規約」を定め、委託銀行と受託銀行の間の交換尻決済手続、手数料の支払等について規定した。 銀行集会所内設置時代(明治20年12月~明治33年7月)
10月 銀行計算上厘位を廃止することを申合せ(集会所と共同申合せ)(同年11月実施) 銀行集会所内設置時代(明治20年12月~明治33年7月)
明治31年(1898) - 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 渋沢関係略年譜
9月 東京銀行集会所、取引停止処分解除手続を明確化//日清戦争後手形交換高の増加に伴い、不渡手形も増加するとともに取引停止の解除請求が増加したため、集会所は解除手続を制定し、取引停止処分の解除請求は、組合銀行の総会に付し過半数の同意により認めることとした。 銀行集会所内設置時代(明治20年12月~明治33年7月)
12月 交換室移転(日本銀行第二建物への移転) 銀行集会所内設置時代(明治20年12月~明治33年7月)
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