(株)日本勧業銀行『日本勧業銀行四十年志』(1938.01)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治29年(1896) - 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 渋沢関係略年譜
1月16日 日本勧業銀行法案第九回帝国議会に提出さる。
4月18日 法律第八十二号を以て日本勧業銀行法公布さる。
12月8日 大蔵次官田尻稲次郎氏以下十三名設立委員に任命さる。
12月12日 第一回設立委員会開催され田尻稲次郎氏委員長に互選さる。
明治30年(1897) - 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 渋沢関係略年譜
3月17日 設立委員会に於て株式会社日本勧業銀行定款を議了す。
4月8日 日本勧業銀行法及定款の規定に依り株式の募集に着手す。
6月7日 株式申込簿を添へ設立免許を大蔵大臣に稟請し、即日其の免許を受く。
6月14日 河島醇氏総裁に、藤島正健氏副総裁に任命さる。
6月19日 有尾敬重、谷謹一郎、片山遠平の三氏理事に任命され、五十嵐敬止、松尾寛三、上野理一の三氏監査役に就任す。
6月30日 大蔵省内に設置の日本勧業銀行設立事務所閉鎖さる。
7月9日 公称資本金壱千万円(五万株)の四分の一(金弐百五拾万円)の払込を完了す。
7月12日 設立登記を為す。
7月29日 貸出規則、抵当物鑑定規則其他諸般の内規を制定し、大蔵大臣の認可を受く。
8月2日 本店の仮営業所を東京市日本橋区北新堀町二十一番地永代橋々畔旧日本銀行跡に設く。
8月2日 営業を開始す。
8月7日 理事人員の件外一件に付日本橋倶楽部に於て臨時株主総会を開催す。
明治31年(1898) - 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 渋沢関係略年譜
2月3日 東京市日本橋区坂本町銀行集会所に於て第一回通常株主総会を開催す。
2月3日 第一回通常株主総会に引続き同所に於て定款変更の件に付臨時株主総会を開催す。
2月3日 年五分の第一配当を為す。
2月24日 定款変更の件に付銀行集会所に於て臨時株主総会を開催す。
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