(株)日本勧業銀行『日本勧業銀行史 : 特殊銀行時代』(1953.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治32年(1899) - 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 渋沢関係略年譜
2月24日 不動産登記法公布(六月一六日施行)さる。
4月11日 総裁河島醇、退任す。
7月2日 営業所を内山下町に新築移転す。
10月24日 高橋新吉、総裁に任命さる。
11月15日 勅令第四三三号を以て勧業債券を出納官吏の身元保証金に代用することを許さる。
明治33年(1900) - 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
3月9日 農工銀行法の改正により代理貸付制度開始さる。
5月24日 定款の変更により、農工業用にあらざる宅地の担保取得を認めらる。
- 創業いらい行われなかった定期償還貸付、本年下期より開始さる。
明治34年(1901) - 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 渋沢関係略年譜
3月22日 逓信省令第一二号証券郵便貯金規則の発布により当行の償還債券ならびに其の利札につき郵便貯金に預入れ得る途開かる。
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
1月23日 第二配当を年五分とし、第一配当を合せて年一割の配当を為す。
4月4日 日本勧業銀行法の改正により、特別担保貸付制度開始さる。
明治36年(1903) - 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 渋沢関係略年譜
6月16日 日本勧業銀行法の改正により、耕地整理参加土地所有者総員連帯または整理委員に対する無抵当貸付、および台湾において業主権を担保に徴することを認めらる。
明治37年(1904) - 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 渋沢関係略年譜
3月31日 法律第一八号を以て貯蓄債券法公布さる。
9月30日 第一回貯蓄債券(い号)一百万円を売出の方法により発行す。
11月10日 逓信省令第六九号貯蓄債券購買媒介郵便規則の発布により郵便局において貯蓄債券の売出事務を取扱うに至る。
12月1日 預金部引受債券(第一回特殊債券)三〇〇千円発行す(貯蓄債券資金の還元運用)。
明治38年(1905) - 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 渋沢関係略年譜
3月9日 日本勧業銀行法の改正により勧業債券の買入消却認めらる。
3月11日 鉄道抵当法、鉱業抵当法公布さる。
3月13日 担保付社債信託法公布(七月一日施行)さる。工場抵当法の公布(七月一日施行)により工場財団貸付認めらる。
4月18日 日本勧業月報社生る。
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