アサヒビール(株)『アサヒビールの120年 : その感動を、わかちあう。』(2010.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正元年(1912) - 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 渋沢関係略年譜
- 帝国鉱泉、「御料品製造所」開設 業界事項
大正2年(1913) - 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 渋沢関係略年譜
4月 帝国麦酒、門司工場竣工 業界事項
7月 帝国麦酒、「サクラビール」発売 業界事項
12月 鈴木商店、大里酒精製造所設立(のちのニッカウヰスキー門司工場) 業界事項
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
3月21日 清涼飲料水「リボンラズベリー」「リボンタンサン」発売 当社事項
7月 第1次世界大戦始まる 社会事項
8月 日本、ドイツに宣戦布告 社会事項
- 博多工場用地約40,000坪購入 当社事項
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
6月1日 「モルトコーヒー」(粉末)発売 当社事項
8月 「シトロン」を「リボンシトロン」と改名(類似品が多いため) 当社事項
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
6月 麒麟麦酒との共同出資により日本硝子工業(株)創業、本格的自動製びん設備(オーエンス式自動製びん機)を最初に導入 当社事項
9月16日 アングロ・ジャーマン・ブルワリー社より工場を買収(青島工場と命名) 当社事項
9月 工場法施行(12歳未満の就業禁止ほか) 社会事項
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
5月5日 「青島〓[口+卑]酒」発売 当社事項
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
3月25日 和光堂設立、資本金100万円(払込25万円) 業界事項
3月 新本社事務所竣工(目黒工場内) 当社事項
4月10日 『大日本麦酒株式会社社報』第1号発刊 当社事項
7月3日 竹鶴政孝、スコットランドへ留学 業界事項
7月5日 直営ビヤホール開業(現・銀座7丁目) 当社事項
8月 富山県で米騒動、各地に波及 社会事項
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