※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 山本為三郎、十代目浜口吉右衛門・中谷整治らとともに日本製壜(株)設立(尼崎市初島) | 業界事項 | |
11月 | 第1次世界大戦終わる | 社会事項 | |
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | ベルサイユ条約調印(日本、赤道以北南洋諸島を統治) | 社会事項 | |
9月 | 寿屋洋酒店、「トリスウイスキー」発売 | 業界事項 | |
- | 長野県のホップ生産組合と各地でホップの契約栽培開始 | 当社事項 | |
- | 吹田工場約53,000坪 | 当社事項 | |
- | 高砂麦酒(株)(台湾)、日英醸造(株)、東洋醸造(株)設立 | 業界事項 | |
- | 第1次世界大戦以来の好景気つづく | 社会事項 | |
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 国際連盟成立 | 社会事項 | |
2月11日 | 麦林又治郎、麦酒原料(株)(のちのアサヒビールモルト)設立(前身は1846年創業の製飴用麦芽製造販売業) | 業界事項 | |
3月 | 東京、大阪で株価暴落(戦後恐慌) | 社会事項 | |
4月 | 資本金を2,600万円増資し3,800万円に | 当社事項 | |
7月 | 資本金を200万円増資し4,000万円に。日本硝子工業を合併 | 当社事項 | |
10月 | 国産ビール原料大麦栽培発祥の地(現在の京都市西京区)に「興産紀功之碑」建立 | 当社事項 | |
10月 | 第1回国勢調査(人口55,963,053人) | 社会事項 | |
11月 | 日英醸造、「カスケードビール」発売 | 業界事項 | |
- | アメリカで禁酒令施行 | 社会事項 | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
4月30日 | 博多工場竣工(5/17醸造開始、7/22びん詰め開始) | 当社事項 | |
5月 | 加富登麦酒、日本麦酒鉱泉に社名変更 | 業界事項 | |
7月28日 | 日本麦酒鉱泉・帝国鉱泉・日本製壜3社が対等合併。「ユニオンビール」に商標変更。根津嘉一郎、社長に就任。山本為三郎、常務に就任 | 業界事項 |