※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 第1回内国勧業博覧会開催(東京・上野) | 社会事項 | |
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 金沢三右衛門、発酵社設立 | 業界事項 | |
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 発酵社、「桜田ビール」発売 | 業界事項 | |
明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 酒類税則に代え、酒造税則公布 | 業界事項 | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 第2回内国勧業博覧会開催(東京・上野) | 社会事項 | |
10月 | 開拓使官有物払い下げ問題 | 社会事項 | |
10月 | 国会開設の詔書 | 社会事項 | |
- | イギリス人化学者ウィリアム・ガウランドが兵庫・多田の天然鉱泉を理想的飲料鉱泉と賞揚したとされる | 業界事項 | |
明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 日本銀行開業 | 社会事項 | |
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 鹿鳴館開館 | 社会事項 | |
- | デンマーク人エミール・クリスチャン・ハンセン、酵母の純粋培養法確立 | 業界事項 | |
明治17年(1884) | - | 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 商標条例施行 | 社会事項 | |
- | 大阪の小西儀助、「朝日ビール」醸造販売 | 業界事項 | |
- | 自然炭酸水「平野水」世に出る | 業界事項 | |
明治18年(1885) | - | 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | ジャパン・ブルワリー・カンパニー設立 | 業界事項 | |
12月 | 阪堺鉄道開業(大阪―堺間) | 社会事項 | |
明治20年(1887) | - | 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月6日 | 有限責任日本麦酒醸造会社設立 | 業界事項 | |
9月 | 外山脩造、商工業視察に欧米へ(ビール醸造事業も含む) | 当社事項 | |
10月26日 | 大阪麦酒会社設立発起人会開催、発起人15人 | 当社事項 | |
11月 | 大阪麦酒会社創立願書提出(12/5許可) | 当社事項 |