味の素(株)『味の素沿革史』(1951.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治40年(1907) - 【渋沢栄一】帝国劇場会社創立・創立委員長(後に取締役会長)。品川白煉瓦株式会社相談役。日清汽船株式会社創立、取締役。日本皮革株式会社創立、相談役。合資会社沖商会有限責任社員・監査役。帝国製麻株式会社創立、相談役。東明火災海上保険株式会社創立、取締役。〔67歳〕 渋沢関係略年譜
4月 合資会社鈴木製薬所(資本金参万五千円)を創立し鈴木忠治業務執行社員となる
4月 池田菊苗博士昆布より「うま味」を取り出す研究を始む
明治41年(1908) - 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸実業家一行招待。〔68歳〕 渋沢関係略年譜
7月25日 池田博士「グルタミン」酸塩を主要成分とせる調味料製造法の特許(第一四八〇五号)を得
9月29日 特許第一四八〇五号の権利を池田菊苗、鈴木三郎助と共有登録し、その実施を鈴木が引き受け麻布広尾町の製薬工場内にて中間試験を行う
9月 鈴木忠治、村井弦斎氏に新調味料についての意見を聞き、又諸方の料理店にてこれを料理に応用試食する等実地研究を行う(至11月)
11月17日 新調味料を「味精」と仮りに呼びしを「味の素」と商品名の決定をなし、美人印商標(第三四二二〇号)を制定して登録す
12月 神奈川県逗子町一四五に新調味料の製造工場を建設し、製造に着手す
明治42年(1909) - 【渋沢栄一】多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 渋沢関係略年譜
4月7日 池田博士、東京化学会第三十一年会の席上「新調味料に就て」との題にて調味料発明に関し講演せらる
4月22日 第一回発明品博覧会に味の素を出品し受賞す
5月1日 味の素を一般に発売す
5月26日 初めて東京朝日新聞に味の素の広告を掲載す、東京市電内に広告したるもこの頃なり
6月 鈴木三郎助日本化学工業株式会社専務取締役を辞し、鈴木商店の事業に専心することとなる
9月3日 仏国政府より調味料製造法の特許(第四〇二六三〇号)を得
11月25日 日本醤油醸造株式会社の鈴木藤三郎氏より新調味料の特許を買い受けたき希望の申し出ありしもこれを断わり、同社の使用するだけの調味料は売り渡す事を約す
11月 事務所を丸ノ内八重洲町より京橋区南伝馬町一丁目十二番地に移転す
12月6日 東京朝日新聞に各地味の素代理店の広告を出す 関東代理店 東京本町 鈴木洋酒店 中京代理店 名古屋 梅沢商店 関西代理店 大阪 松下善四郎
明治43年(1910) - 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 渋沢関係略年譜
4月21日 英国政府より調味料製造法の特許(第九四四〇号)を得
5月22日 台南越智商店より初めて註文ありし味の素を台南丸にて積み出す
8月3日 大阪松下善四郎商店との間に同店を味の素の関西代理店とする覚書を取り交わす、この頃東京にては国分商店、鈴木洋酒店、日比野商店以下約二十の特約店を作る
8月10日 大雨のための洪水により王子にて多量の智利硝石を流失し大損害を蒙る
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