※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
6月26日 | 池藤取締役、城戸崎秀雄、佐伯武雄、近藤天保等香港へ出張す | ||
7月24日 | 大師町の魚貝養殖会社白石社長、関専務より貝類斃死につき苦情申出ありしも川崎工場よりの排水に原因するものと認め得ず、問題起さずして了す | ||
7月29日 | 甘田誠三部霧取締役に選任せらる | ||
8月5日 | 小川、松崎印度支那、タイ地方の視察を終え帰国す | ||
8月12日 | 池藤等一行視察の結果香港食糧工業廠の委託経営に当る事となる | ||
8月12日 | 佐賀県下諸富津に元磐城セメント株式会社工場跡二万九千坪の土地を買い入れ後更に弐万八千坪を買足す | ||
9月14日 | 当社と日本石油株式会社と共同出資にて日本特殊油製造株式会社(資本金五百万円)を創立す | ||
9月25日 | 北満味の素販売株式会社を南満味の素株式株式会社に合併し、次いで社名を満洲味の素販売株式会社と改称す | ||
9月25日 | 哈爾濱事務所を閉鎖す | ||
10月12日 | 池藤、城戸崎、佐伯の三名香港より帰る | ||
11月2日 | 海軍省へアセトン、ブダノールの製造許可を申請す | ||
11月2日 | 満農奉天工場にて満鉄及び満洲曹蓮会肥と提携して塩素関係の三社聯関作業を計画せらる | ||
12月24日 | 稲川四郎南洋より帰る | ||
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
1月15日 | 大阪支店長甘田誠三郎常務な本店詰となり、小林弘直、高田長次郎の両名は支店長代理を命ぜらる | ||
1月15日 | 大野碩十郎満農より本社に転任本店企画部次長とな打、堀信一満農常務として奉天工場長を委嘱命ぜらる | ||
2月15日 | 宝製油株式会社の南方出張員爪畦にて三ヵ所の製油工場の委任経営に入る | ||
2月15日 | 三号アミノ酸より濃縮味液を造り軍隊へ納入す(川崎工場) | ||
2月20日 | 池藤常務取締役佐賀工場長を委嘱せらる | ||
2月 | 農林省よりの味の素原料の配給全く絶望となる | ||
3月11日 | 海軍省より佐賀工場のアセトン、ブタノール製造許可せらる |