味の素(株)『味の素沿革史』(1951.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
3月16日 全国グルタミン酸ソーダ配給統制協議会は同品の生産過少にて配給困難のため解散す
3月18日 さきに買い入れたる佐賀市外諸富の地に佐賀工場の建設に着手し池藤取締役建設部長を委嘱せらる
3月18日 相談役鈴木忠治内閣顧問を仰せ付けらる
3月31日 福岡出張所を閉鎖す
4月 バイヤー法によるアルミナ工場の建設に着手す(川崎工場)
5月14日 顧問井上哲逝去す
5月20日 鈴木三千代専務辞任、鈴木六郎常務は専務取締役に、池藤、道面両取締役は常務取締役に、吉田敬直は常任監査役に選任せらる
5月20日 当会社の名称を大日本化学工業株式会社と改む
6月11日 台湾味の素販売株式会社を解散す
6月30日 名古屋出張所を閉鎖す
6月30日 奉天事務所を閉鎖す
7月1日 香港食料工業廠を香港化学工業廠と改称す
7月31日 朝鮮事務所を閉鎖す
8月24日 アルミナ製造許可せらる(川崎工場)
8月24日 上海味の素公司同地滬西凱旋路に小規模の味の素工場を設く
9月8日 大阪支店を出張所に改む
9月8日 味の素原料として大豆粕の入荷なきためその使用を中止す(川崎工場)
11月20日 鈴木恭二満洲農産化学工業株式会社専務取締役に選任せらる
12月1日 川崎工場にて味の素原料として小麦粉の入荷なきためその使用を中止す(川崎工場)
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
1月6日 川口の鋳物工場を岡本工作機械製造所に譲渡の契約成立す
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