※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
1月17日 | 川崎工場はアルミナ、苛性曹達、塩化物の製造につき軍需工場に指定せらる | ||
2月1日 | 川崎工場は海軍監督工場に指定せらる | ||
4月15日 | 満洲農産化学工業株式会社大連工場を満鉄に売り渡す | ||
4月19日 | 満鉄中央試験所の田中理作氏、六所文三博士発明のフューマスよりタンニン代用品製造の実験指導に来り川崎工場にて試製す | ||
4月20日 | 当会社製品中軍需品の種類にアセトン、ブタノール(佐賀工場)及び乾塗(川崎工場)追加せらる | ||
5月15日 | 日本特殊油製造株式会社にてパラフィン塩素化作業開始のため川崎電解工場より始めて塩素瓦斯を同社工場へ送る | ||
5月19日 | 当会社の資本金を四千五百万円に増加 | ||
5月27日 | グルタミン酸ソーダの販売は統制せられ日本アミノ酸統制株式会社の手に収めらる | ||
5月27日 | 塩酸法のアルミナ製造の原料として岐阜県中津川町の粘土を採掘する事に着手す | ||
6月30日 | 当会社に宝製油株式会社を合併し同社工場は当社の横浜工場となり船津国平工場長に任命せらる | ||
7月12日 | 塩酸法アルミナ製造工場の石英管燃焼炉の火入式を挙行す(川崎工場) | ||
7月12日 | 佐賀工場はアルコール製造に転換するよう海軍省より指示せらる | ||
7月25日 | 海軍省軍需局長より水化ヒドラジンの緊急生産に関し示達を受く | ||
7月25日 | 満州農産化学工業株式会社にて酒石酸の製造を試る | ||
7月25日 | ボーキサイト輸入の見込み立たずアルミナ原料は礬土頁岩による事となり設備改革と同時に塩酸法による製造設備を計画す | ||
8月1日 | 横浜工場鉄道引込線開通す | ||
8月12日 | 鈴木六郎専務はヒドラジン製造設備の建設部長を委嘱せらる | ||
9月4日 | ヒドラジン製造部門を特殊課と命名し角田福太郎課長に任命せらる | ||
10月1日 | 佐賀工場アルコールの生産に入る | ||
11月10日 | ヒドラジン製造装置の試運転を行い内祝式を挙行す(川崎工場) |