※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
11月12日 | 銚子市東町に銚子工場設置せらる | ||
11月20日 | 川崎工場にて造れるヒドラジンの薄液を実験室にて濃縮し硫酸ヒドラジン一〇〇瓦を得 | ||
11月28日 | ヒドラジン硫酸塩の結晶を得(川崎工場) | ||
11月31日 | 川崎工場内保税工場特別許可の期限満了す | ||
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月1日 | 船津国平横浜工場長を辞任し角田編太郎これに代る | ||
2月10日 | 天津工業株式会社五拾万円に増資す | ||
2月16日 | 小麦粉、大豆粕を味の素原料として使用する事を禁止せらる | ||
2月28日 | 北川利一取締役を辞し大野碩十郎取締役に選任せらる | ||
2月28日 | 上海出張所を閉鎖す | ||
3月10日 | 塩酸法によるアルミナの製造を開始す(川崎工場) | ||
3月31日 | 佐賀工場の鉄道引込線開通す | ||
3月31日 | 大連事務所を閉鎖す | ||
3月 | アルミナ原料礬土頁岩輸入の見込立たずダライ粉を原料上すべきことを指令せらる(川崎工場 | ||
3月 | 満州農産化学工業株式会社は蒼石に酒石酸ナトリウムの工場を建設す | ||
4月15日 | 川崎工場空襲を蒙り約四割焼失す | ||
5月2日 | 相談役鈴木忠治昭和電工株式会社取締役社長を辞任、社長鈴木三郎助同社取締役会長に推薦せらる | ||
5月 | 川崎工場地帯貨物鉄道敷設工事起工せらる | ||
7月14日 | 電気製塩の計画成る(川崎工場) | ||
7月19日 | 銚子工場戦災を蒙り全焼の厄に遭う | ||
7月 | 台湾出張所を閉鎖す |