味の素(株)『味の素沿革史』(1951.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
8月5日 空襲により佐賀工場倉庫の一部を焼失す
8月6日 川崎工場地帯貨物鉄道の一部(浜川崎小島新田間)開通す
8月15日 太平洋戦争終結となり、これまでの戦時工業より当社本来の主業たる味の素製造に移る事に決し設備復興の方針を定む(川崎工場)
8月30日 常務取締役甘田誠三郎、取締役西琢爾、監査役高梨新三郎辞任し、城戸崎秀雄、山田洋取締役に選任せらる、同日甘田は監査役に就任し九月一日高梨は顧問を委嘱せらる
8月 天津出張所を閉鎖す
9月14日 日本特殊油製造株式会社の全株式を当会社に於いて取得す
9月28日 鈴木六郎専務取締役を辞任し平取締役となる
11月 G・H・Q・よりD・D・T・ラビサイドの製造を懲慂せられ生産を決定す(川崎工場)
12月10日 池藤八郎兵衛佐賀工場長を辞任し大枝春臣これに代る
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
1月8日 鈴木六郎、池藤八郎兵衛取締役を辞任し顧問に推薦せらる
1月25日 川崎工場に従業員労働組合組織せられ続いて横浜、佐賀工場及び本店にもそれぞれ従業員組合組織せらる
1月31日 社長鈴木三郎助昭和電工株式会社取締役会長を辞任す
2月28日 取締役前川信太郎常務取締役に選任せられ監査役大内鋼太郎辞任す
3月 初めてD・D・T・ラビサイドの製品を出す(川崎工場)
4月 (末)川崎工場にて企画中の製塩に関し大師塩浜より五吋鉄管にて海水を引用する工事(パイプ伏設)竣工し、高圧電気加熱濃縮の設備に着手す
4月 製油事業のため爪哇に出張中なりし社員引き揚ぐ
5月4日 日本特殊油製造株式会社を三工株式会社を改称す
6月10日 横浜工場電気製塩第一期施設完成す
7月1日 鈴木三千代取締役を辞任す
7月 終戦後始めてグルタミン酸ソーダの公定価格認可せらる
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