味の素(株)『味の素沿革史』(1951.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和23年(1948) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 渋沢関係略年譜
1月 メラニン液の製造販売を中止す
1月 鈴木六郎顧問を辞す
2月 食料品配給公団の設置と共にグルタミン酸ソーダの統制は同公団アミノ酸局の手に移さる
5月7日 横浜工場接着剤グルー製造の認可を得て設備を進む
5月8日 導務取締役道面豊信社長に選任せらる
6月 本社管理部にて味の素五ヵ年計画を立案す
9月17日 全国九製造業者によりグルタミン酸ソーダ工業協会設立せられ当社道面社長その会長に選任せらる
11月4日 鈴木恭二取締役に選任せらる
11月11日 会社の資本金を九千五百万円に増加す
11月 佐賀工場テックス及びアミノ酸製造設備完成しその生産に入る
12月 (下旬)グルタミン酸ソーダば臨時物資需給調整規則の特例により五十瓲を限り特価販売許可せられ二十四年一月より東京、大阪、京都、愛知、神奈川、兵庫、広島、福岡、熊本、宮城の十都府県に配給実施せらる
昭和24年(1949) - 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 渋沢関係略年譜
2月15日 大枝春臣、佐伯武雄、符坂繁雄、井谷龍太、渡辺文蔵取締役に選任せらる 取締役大野碩十郎、同堀信一、同城戸崎秀雄、同山田洋、同鈴木恭二常務取締役に選任せられ、堀は川崎工場長、城戸崎は本社総務部長、山田は横浜工場長を委嘱せらる 常務取締役前川信太郎、取締役角田福太郎、同高原守喜、監査役甘田誠三郎は辞任し、角田、高原は監査役に選任せられ、前川は三工株式会社長に選任せらる
2月17日 道面社長羽田飛行場より飛行機にて出立渡米す
4月19日 道面社長アメリカより帰朝す
4月 D・D・T・自由販売となる
5月12日 当会社資本金を弐億円に増加す
6月25日 昭和農産化工株式会社は三楽酒造株式会社と改称す
7月27日 埼玉鋳造株式会社(資本金八拾万円)を設立す
9月29日 大阪出張所を再び支店に昇絡し、取締役井谷龍太支店長を委嘱せらる
11月4日 グルタミン酸ソーダの家庭希望配給認可せられ東京(各区内)、大阪市内にて一世帯五十瓦詰一箇を限り配給せらる、数量は全量にて八十瓲、値段は一箇につき百二十二円とす
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