※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 川崎附近の農耕地よりの塩酸瓦斯による被害申出に対し適当なる人を査定委員に委嘱して損害高を決定し賠償する事に定む | ||
7月2日 | ニューヨーク市サンビルディングに事務所を開設す | ||
7月23日 | ニューヨーク出張所を同市パークロービルディング内に移転す | ||
7月 | 製麩設備の拡張を行う(川崎工場) | ||
大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月31日 | 武藤山治氏の推薦により北風七郎助を川崎工場長に聘す | ||
1月 | 鈴木三郎アメリカより帰朝す | ||
2月7日 | 上海市日本租界天潼路五八八号に上海出張所を開設す | ||
2月 | 鈴木三郎大阪出張所を監督経営する為め赴任す | ||
4月9日 | 塚口慶三郎取締役に選任せらる | ||
10月1日 | 雑誌「スコブル」味の素の原料は蛇なりとの記事を掲載す | ||
11月11日 | 第一次世界大戦休戦条約成立す | ||
11月 | 塩酸加里の製造を停止す | ||
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月15日 | 北風七郎助辞任し鈴木六郎再び川崎工場長となる | ||
4月11日 | 大島工場を閉鎖す | ||
4月 | 塩酸加里工場跡に水澱、乾澱工場を設け、澱粉乾燥室を完備す(川崎工場) | ||
4月 | 大阪支店員北川利一印度紡績会社へ澱粉売込のため渡印す | ||
10月 | 名古屋市中区南穪宜町三十六番地に名古屋出張所を開設す | ||
12月 | 脱脂大豆より蛋白質を抽出、加水分解して味の素を製造する工業的試験に着手す(川崎工場) | ||
12月 | 世界大戦講和条約成立す | ||
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月1日 | 大阪出張所を支店に昇格し取締役鈴木三郎支店長を委嘱せらる |