味の素(株)『味の素沿革史』(1951.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
12月2日 葉山、川崎両工場の沃度、硝石、ブローム製造の各副産塩製造廃止許可を出願す、葉山工場はこの時を以って閉鎖す
12月8日 池田博士並びに鈴木忠治専務、同三千代と共に米国へ向け出立す
12月17日 資本金壱千百万円の株式会社鈴木商店を設立し合資会社鈴木商店並びに従来の株式会社鈴木商店の営業一切を継承す
12月30日 当時川崎工場は敷地二二、八〇三坪、建物三九棟七、〇九二坪、電動機一七三箇、総馬力数一、三九九馬力なり
- この年より大豆粕中の非蛋白質物を抽出し原料中の蛋白含有率を高むる研究を始毒む(川崎工場)
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】日本太平洋問題調査会創立・評議員会長。日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
4月30日 藤枝出張所を開鎖す
5月3日 日本産業協会総裁伏見宮博恭博王、同妃、敦子女王、博英王の四殿下川崎工場へ台臨せらる
5月20日 米国にて鈴木・ラロー協定成立す
5月 味の素の缶をペリツグボーン式捲取缶に改む
6月21日 鈴木専務等米国より帰朝す
8月13日 シアトル出張所を閉鎖す
9月17日 調味料発明の実施者としてその実施上功労顕著なるものと認められ、帝国発明協会より鈴木三郎助に功労賞を贈らる
10月26日 京浜電気鉄道株式会社の大師線を変更の為当社の貯水池を横断する事となり、貯水池の一部埋立に関し同社と契約を結ぶ(川崎工場)
11月30日 多摩川河港築設工事変更に伴う工事費中に金拾万円を寄附する
11月 遠心分離機を用いて澱粉より白粕を分離する事に成功す(川崎工場)
11月 川崎工場内に本建築二階建寄宿舎三百三十五坪を建設す
11月 大師漁業組合より海苔被害を理由に援助金支給の申込あり、同情的寄附金を為す
昭和元年(1926) - 【渋沢栄一】日本太平洋問題調査会創立・評議員会長。日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
12月29日 大阪支店建築地の地鎮祭を修す
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
1月31日 鈴木三郎助常務取締役に、鈴木三千代、高梨新三郎取締役に選任せらる
2月7日 松下商店社長桜井勝蔵し永眠す
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