(株)八十二銀行『八十二銀行史』(1968.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
7月5日 長野に長野新報発刊(信濃毎日新聞の前身) 長野県内
7月5日 府県為替方設置手続及び為替規則制定 一般
7月20日 第一国立銀行開業 一般
7月28日 地租改正条例布告、物納を金納に改む 一般
8月12日 長野県参事(後に権令)に楢崎寛直任命 長野県内
9月 長野県師範講習所を長野に開設 長野県内
12月27日 100石未満の士卒に対し、秩禄奉還を許し秩禄公債を交付(100石以上の者には7年11月同上) 一般
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
3月23日 筑摩県参事に高木惟矩任命 長野県内
7月16日 長野県区制を改め28大区190小区を置く 長野県内
8月25日 松代に富岡製糸を範とした器械製糸(フランス式)六工社設立。この前後県内各地に器械製糸の設立多し 長野県内
8月 貯金規則制定(郵便貯金のはじめ) 一般
9月 旧金銀貨幣の通用停止 一般
10月 蚕種生産過剰の為め横浜にて43万枚の蚕卵紙焼却 一般
11月 県為替方小野組倒産により県内蚕糸金融に打撃 長野県内
12月 松本に開産社(産業振興と金融)設立 長野県内
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
5月1日 郵便貯金開始、利子を年3分と定める 一般
6月 諏訪郡平野村に折衷式器械製糸中山社設立、県内の小製糸この様式に倣う 長野県内
7月14日 秩禄公債の発行を停止(家禄奉還を中止) 一般
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
6月1日 長野県為替方彰真社開業 長野県内
6月19日 筑摩県庁舎焼失 長野県内
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