※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
天保9年(1838) | 10月9日 | 初代安田善次郎越中富山の町外れ鍋屋横町に生る | 当行 |
安政4年(1857) | - | 安田善次郎江戸に出る | 当行 |
文久3年(1863) | - | 【渋沢栄一】高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔。〔23歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月1日 | 安田善次郎日本橋楽屋新道に借家し、独立して小舟町に露店を張り両替商を営む | 当行 | |
元治元年(1864) | - | 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月2日 | 安田善次郎日本橋人形町通り乗物町に乾物兼両替店「安田屋」開業 | 当行 | |
8月5日 | 英・仏・米・蘭連合艦隊下関を砲撃す | 参考事項 | |
慶応2年(1866) | - | 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月14日 | 「安田屋」は小舟町三丁目一〇番地に移り「安田商店」(両替店専門)と改称 | 当行 | |
6月22日 | 普墺戦争起る | 参考事項 | |
- | アメリカの南北戦争(一八六一―五年)終結 | 参考事項 | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月14日 | 大政奉還 | 参考事項 | |
- | 古金銀蒐集方を幕府より一手に引き受け巨利を得 | 当行 | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月19日 | (閏4月)太政官札(金札)発行を布告(五月一五日発行) | 参考事項 | |
4月25日 | (閏4月)商法司設置(二年三月廃止) | 参考事項 | |
4月 | 紙幣の割引売買禁止に先だち紙幣を買込んで利益を得 | 当行 | |
- | 安田善次郎両替町の世話役となる | 当行 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月22日 | 通商司の設置布告 | 参考事項 | |
5月 | 以降東京ほか七都市に通商会社・為替会社設立 | 参考事項 | |
9月17日 | 民部省札の製造布告(一一月一五日発行) | 参考事項 | |
- | 大阪と為替取引を試む。質屋兼業 | 当行 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月23日 | 京浜間鉄道敷設のため一〇〇万ポンドの英貨公債募集 | 参考事項 | |
7月 | 普仏戦争起る | 参考事項 |