※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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天保9年(1838) | 10月9日 | 安田善次郎、富山に生れる | 当行関係事項 |
嘉永6年(1853) | - | 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月3日 | 米国東インド艦隊(黒船)浦賀に来航 | 一般事項 | |
元治元年(1864) | - | 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月2日 | 善次郎、江戸人形町通り乗物町に両替兼乾物商「安田屋」を開業 | 当行関係事項 | |
8月5日 | 英米仏蘭連合艦隊下関を砲撃 | 一般事項 | |
慶応2年(1866) | - | 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月21日 | 薩長連合成立 | 一般事項 | |
4月14日 | 安田屋は小舟町に移転、両替専業「安田商店」と改称 | 当行関係事項 | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月14日 | 徳川慶喜将軍、大政を奉還 | 一般事項 | |
- | この年、幕府から古金賢集めを命ぜられる | 当行関係事項 | |
慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月19日 | 新政府、金札(太政官札)発行を布告 | 一般事項 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月18日 | 新政府、国内を統一(戊辰戦争おわる) | 一般事項 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 仙台藩会計御用達となる | 当行関係事項 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月10日 | 一両は一円となる(新貨条例制定) | 一般事項 | |
7月14日 | 廃藩置県 | 一般事項 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月15日 | 国立銀行条例制定 | 一般事項 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月20日 | 第一国立銀行開業 | 一般事項 | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月18日 | 司法省為替方となる | 当行関係事項 | |
10月22日 | 大蔵省、官金預金の抵当増額を定める(こののち小野・島田両組あいついで破産) | 一般事項 | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月29日 | 栃木県為替方となる | 当行関係事項 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月1日 | 三井銀行開業(最初の私立銀行) | 一般事項 | |
8月1日 | 国立銀行券の正貨兌換廃止(国立銀行条例改正) | 一般事項 |