※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月4日 | 第三銀行、大阪築港公債三五〇万円をロンドンで発売 | 当行関係事項 | |
- | この年、角館出張所を開設 | 当行関係事項 | |
明治36年(1903) | - | 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 善次郎、肥後銀行の依頼を受け経営参加、同行は安田関係銀行となる | 当行関係事項 | |
- | この年、福岡出張所を開設。川俣・小高支店を廃止 | 当行関係事項 | |
明治37年(1904) | - | 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月10日 | 日露戦争はじまる(三十八年九月終結) | 一般事項 | |
6月17日 | 百三十銀行休業、西日本一帯に取付け発生 | 一般事項 | |
7月 | 善次郎、百三十銀行を救済、同行は安田関係銀行となる | 当行関係事項 | |
- | この年、三春・白河出張所を開設。福岡出張所を十七銀行へ譲渡 | 当行関係事項 | |
明治38年(1905) | - | 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月13日 | 担保付社債信託法、工場・鉄道・鉱業の三抵当法とともに公布(七月一日施行) | 一般事項 | |
7月20日 | 担保付社債信託業務の免許を取得 | 当行関係事項 | |
- | この年、花輪・鷹巣・喜多方出張所を開設 | 当行関係事項 | |
明治39年(1906) | - | 【渋沢栄一】大日本麦酒株式会社設立、取締役。南満州鉄道株式会社設立委員。京阪電気鉄道会社創立・創立委員長(後に相談役)。大日本製糖株式会社設立、相談役。名古屋電力株式会社創立・相談役。東海倉庫株式会社創立・相談役。明治製糖創立・相談役。〔66歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | この年、仙台支店を再開。本庄出張所を開設 | 当行関係事項 | |
明治40年(1907) | - | 【渋沢栄一】帝国劇場会社創立・取締役会長。品川白煉瓦株式会社相談役。日清汽船株式会社創立、取締役。日本皮革株式会社創立、相談役。合資会社沖商会有限責任社員・監査役。帝国製麻株式会社創立、相談役。東明火災海上保険株式会社創立、取締役。〔67歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月1日 | 保善社で練習生制度を設ける(大正八年まで継続) | 当行関係事項 | |
- | この年、取付けにより銀行の休業多発 | 一般事項 | |
明治41年(1908) | - | 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 善次郎、信濃銀行を救済、同行は安田関係銀行となる | 当行関係事項 | |
12月15日 | 増資、新資本金五百万円 | 当行関係事項 | |
明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月1日 | 安田・第三両行、国債引受シンジケート銀行団に加入 | 当行関係事項 | |
2月1日 | 国債の低利借換、十五の銀行が国債引受シンジケート銀行団を結成 | 一般事項 | |
- | この年、酒田支店を開設 | 当行関係事項 | |
明治45年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 株式会社安田銀行に改組、新資本金一千万円 | 当行関係事項 |