※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | この年、横浜支店を開設 | 当行関係事項 | |
- | この年、各地に銀行の取付け発生 | 一般事項 | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月7日 | 十一行大合同の母体として株式会社保善銀行を設立 | 当行関係事項 | |
5月17日 | 保善社に合同事務係を設ける | 当行関係事項 | |
9月1日 | 震災により保善社、安田銀行本店は永楽ビル(現本店位置)に移転 | 当行関係事項 | |
9月1日 | 関東大震災おこる | 一般事項 | |
10月13日 | 政府、日本銀行に震災手形割引実行命令書を交付 | 一般事項 | |
11月1日 | 保善銀行に十一行合併、新たに安田銀行として発足。頭取二代安田善次郎、副頭取結城豊太郎、資本金一億五千万円、預金五億四二八七万円、店舗数二一〇、行員数三七〇〇。本店に監督部、営業部、庶務部を置き、監督部の下に七統轄店を設け全支店を七ブロックに分けて監督。旧安田銀行から本店、十六支店、四出張所のほか他の十行から小舟町・江戸橋(現八重洲口)・銀座・茅町(現馬喰町)・神田・九段・浅草(現雷門支店の源流の一つ)・中之橋(現千束町)・本所・芝(現三田)・本郷・新宿・四谷・甲府・神奈川(現横浜駅前)・前橋・高崎・桐生・足利・松本・長野・金沢・京都・西陣・伏見・大阪・安治川(現九条)・曽根崎(現梅田)・八軒屋(現天満橋)・難波・住吉・平野・八尾・神戸・楠町(現三宮)・岡山・倉敷・福山・広島・高松・門司・小倉(現北九州)・八幡・博多(のち福岡)・長崎・熊本・鹿児島・函館・帯広・釧路など一三七支店、島之内・今宮(現萩之茶屋支店)など五十二出張所を引継ぐ | 当行関係事項 | |
12月1日 | 築地出張所を開設 | 当行関係事項 | |
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 東京の代々木(翌年には大阪の北畠)に運動場を開設 | 当行関係事項 | |
9月15日 | 安田同人会を結成、十月から安田同人会誌を発行 | 当行関係事項 | |
- | この年、下谷(現上野)など二支店、出町など二出張所を開設。浜松商業銀行の業務を譲受け浜松など二支店、一出張所を承継。二出張所を廃止 | 当行関係事項 | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
4月28日 | 英国、金輸出解禁 | 一般事項 | |
5月10日 | 本支店為替総合計算制度を実施(支店間の為替貸借を本店に対する貸借とする) | 当行関係事項 | |
6月1日 | 共済信託開業(安田信託銀行の前身) | 一般事項 | |
- | 東京の代々木、京都の東山に寄宿舎(独身寮)を設置 | 当行関係事項 | |
- | この年、押上・名古屋・桜田(現新橋)支店を開設。十五支店七出張所を譲渡。十七出張所を廃止 | 当行関係事項 | |
大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 営業部預金課に得意先専管者を設置 | 当行関係事項 | |
9月21日 | 金融制度調査会設置 | 一般事項 | |
- | この年、根津出張所を開設。一出張所を廃止 | 当行関係事項 |