※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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天保9年(1838) | 10月9日 | 安田善次郎、越中国婦負《ねい》郡富山の鍋屋小路に生まれる | 当行関係事項 |
嘉永6年(1853) | - | 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月3日 | 米国東インド艦隊(黒船)、浦賀に来航 | 一般事項 | |
嘉永7年(1854) | 3月3日 | 日米和親条約(神奈川条約)調印 | 一般事項 |
安政5年(1858) | - | 【渋沢栄一】従妹尾高千代(ちよ、尾高惇忠の妹)と結婚。〔18歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月19日 | 日米修好通商条約調印(次いで蘭・露・英・仏の諸国と修好通商条約調印) | 一般事項 | |
9月7日 | 安政の大獄始まる | 一般事項 | |
- | 安田善次郎、江戸に出て玩具商に奉公 | 当行関係事項 | |
安政6年(1859) | 5月24日 | 幕府、外国貨幣の通用を布告 | 一般事項 |
5月28日 | 幕府、六月以降、神奈川・長崎・函館三港において、露・仏・英・蘭・米五カ国との自由貿易を許可する旨布告 | 一般事項 | |
安政7年(1860) | 3月3日 | 桜田門外の変 | 一般事項 |
万延元年(1860) | 4月10日 | 幕府、金貨の海外流出防止のため新金貨(万延小判ほか)を鋳造、通用開始を命ず | 一般事項 |
1860年 | - | 安田善次郎、日本橋小舟町の海苔屋兼両替屋に奉公 | 当行関係事項 |
文久4年(1864) | - | 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月2日 | 安田善次郎、江戸人形町通り乗物町に両替兼海苔・鰹節・砂糖小売業を開業、「安田屋」と称す | 当行関係事項 | |
元治元年(1864) | - | 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月18日 | 長州藩兵、大阪から京都に向かい、幕軍と交戦(蛤御門の変) | 一般事項 | |
8月5日 | 英・米・仏・蘭連合艦隊、下関を砲撃 | 一般事項 | |
1865年 | - | 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 安田善次郎、両替町組の肝煎(のちの幹事)に選ばれる | 当行関係事項 | |
慶応2年(1866) | - | 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月21日 | 倒幕の薩長連合なる | 一般事項 | |
4月14日 | 日本橋小舟町三丁目に移転。「安田商店」と改称、両替専業となる | 当行関係事項 | |
12月5日 | 徳川慶喜、五代将軍となる | 一般事項 | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月14日 | 将軍徳川慶喜、大政を奉還 | 一般事項 | |
12月9日 | 宮中より王政復古の号令が出される | 一般事項 |