キッコーマン(株)『キッコーマン株式会社八十年史』(2000.10)

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目次項目 ページ
緒言 NP
発刊によせて 取締役社長茂木友三郎 NP
歴代社長 巻頭
野田本社 巻頭
当社経営陣 巻頭
沿革 p1
歴史口絵 p1
序 しょうゆ小史 p9
しょうゆのルーツ「醤」 p9
平安京に醤の市 p10
「醤」から「溜」の時代へ p10
室町中期以降に登場 p11
江戸末期に完成したしょうゆ p12
現代のしょうゆ製法 p13
微生物の営みがもたらす産物 p14
第1編 野田を全国一の産地に-茂木・高梨一族のしょうゆ造家 江戸時代~明治時代 p15
第1章 茂木・高梨一族の事業 p16
1. 一族8家の創業 p16
野田のしょうゆ発祥地 p16
業界形成をリードした3家 p17
天明以降に加わった5家 p19
2. しょうゆ醸造業の構造 p20
巨費を必要としたしょうゆ醸造 p20
天保飢饉としょうゆ価格 p21
穀物商と物品流通業も p22
3. 一族の事業戦略 p23
造家活動の自由を保証 p23
流通の要望に応える製造体制 p24
「競争」と「協調」 p25
4. 一族造家への生産力集中 p26
茂木・高梨一族の財力と信用力 p26
安政期には一族の造家が野田の過半に p27
幕末には野田の86%を生産 p28
第2章 「上方勢」「銚子勢」との競争 p29
1. 江戸とその周辺の新市場 p29
享保期に世界最大の都市に p29
江戸地廻り経済圏の育成 p30
関東8地域にしょうゆ主産地 p31
2. 「下りしょうゆ」を追撃 p33
関西が圧倒的に先行 p33
享保期には上方産が7割以上 p34
文化・文政期に東高西低へ p35
江戸が生活情報の発信地に p36
江戸っ子の嗜好に合った「濃口」 p36
3. 銚子勢との覇権争い p38
天保期には野田が関東一に p38
勝敗を分けた舟路の遠近 p39
市場戦略面でも優位に立つ p40
利根川と江戸川の恩恵 p41
野田と銚子に「最上醤油」 p42
第3章 「亀甲萬」の栄光 p43
1. トップ・ブランドへの道 p43
濃口しょうゆの申し子 p43
亀甲紋様と「萬」の文字 p43
急成長でトップグループに p44
2. 「天下一品」の自信と誓い p46
「最上の上」の評価が定まる p46
ウィーン万国博への出品 p47
「亀甲萬」の表記の推移 p47
昭和2年、広告を「キッコーマン」に統一 p48
3. 宣伝・広告の先達 p49
わが国初の工場見学? p49
7代佐平治と「むらさき」 p49
4. 江戸時代のしょうゆ輸出 p51
1647年に始まったアジアへの輸出 p51
年に710(l)がオランダに渡る p53
オランダには特別な容器、包装で p53
京都と堺のしょうゆ p55
「百科全書」にも「しょうゆ」の項目 p56
「ソイ・ソース」の由来 p57
第4章 文明開化と野田の造家たち p58
1. 新しい技術へのチャレンジ p58
東京市場は著しい供給過多に p58
野田に育った技術重視の土壌 p59
「野田醸造試験所」と「種麹」の製造 p60
「野田式水圧圧搾機」の実用化 p61
2. 輸出市場の開拓と流通対策 p62
政府も輸出産業として支援 p62
「東京醤油会社」による輸出 p63
明治末期から邦人向けの輸出に p64
流通の近代化をめざして p66
3. 野田の産業基盤整備 p67
「野田醤油醸造組合」の設立 p67
「人車鉄道」と「軽便鉄道」 p68
「野田商誘銀行」の設立 p69
共同倉庫と病院も p70
第2編 「野田醤油株式会社」の創立-近代化へ一族8家が合同 1917(大正6年)~1936(昭和11年)(昭和初期の長期不況) p71
時代と経営の軌跡 p72
第1章 「造家の蔵」を「会社の工場」へ p74
1. 一族合同の背景 p74
明治の後半から需要は急増 p74
一族の造家に高まる不安 p75
「一族の和」に亀裂の兆し p76
広がる法人化の動き p77
2. 合同交渉の経緯 p78
ブランド料の問題で紛糾 p78
1917年(大正6年)10月19日 p78
3. 会社設立の登記 p80
資本金を700万円に決定 p80
「野田醤油醸造組合」の扱い p81
設立登記は12月7日 p81
初代社長に茂木七郎右衛門 p83
第2章 近代化、一元化への道程 p84
1. 会社の性格と経営理念 p84
実質は個人営業の合併 p84
外部資本の導入と第2の合同 p85
株券に示された「会社設立日」 p86
「社会に奉仕する会社」を社是に p87
関連事業で鉄道に進出 p88
2. 野田に新鋭巨大工場 p89
キッコーマンへの「仕込替え」 p89
樽の内作化と水道事業 p90
「第17工場」の建設 p91
3. 関西に”第2の野田”を実現 p92
営業拠点の第1号を大阪に p92
ナショナル・ブランドへの意欲 p94
西日本の牙城「関西工場」 p95
4. 財務・会計処理の近代化 p96
近代的帳簿組織の採用と決算期 p96
1927年から「内部監査」 p97
第3章 労働問題と歴史的な大争議 p98
1. 工場管理制度の改革 p98
労働運動のターゲットに p98
徒弟的雇用制度の廃止をめざす p99
218日に及ぶ長期争議へ p100
2. 大争議と「産業魂」 p101
勝敗を分けた「第17工場」の攻防 p101
スト長期化の原因 p103
「産業魂」を経営の基本理念に p104
3. 雇用・福利制度の整備 p105
近代企業としての雇用体制 p105
工場委員会制度の採用 p106
全国で2番目の「健康保険組合」 p106
社員共済制度の発足 p107
教育と福利の諸施策 p108
「興風会」の社会事業と「千秋社」 p108
第4章 深刻な不況と生産過剰 p110
1. 競争激化と3社の協調 p110
最上醤油の増産競争 p110
東京市場で3社共同の荷扱い p111
「小網」の設立と「東京出張所」 p112
2. 直配手形制度と三蔵協定 p113
定価販売を支える手形制度 p113
全国市場を対象に販売協定 p114
「三蔵協定」の廃止 p115
3. 樽から壜への時代に p116
「壜詰工場」の建設 p116
樽容器と缶容器 p117
1.8(l)壜詰に先駆ける p118
3社協定で2(l)壜を発売 p119
4. 銚子醤油との資本提携 p120
「偕調会」の市場対策 p120
「全醤連」の市場安定策 p120
「銚子醤油」の経営に参画 p121
第3編 「供給責任」をめぐる苦闘-深刻の度を増す原料難 1937(昭和12年)~1945(昭和20年)(戦時統制経済の時代) p123
時代と経営の軌跡 p124
第1章 「天下一品」の誇りと苦悩 p126
1. 戦時経済体制への移行 p126
輸入原料に依存する生産構造 p126
創立時からあった「保税工場」 p127
値上げ撤回の政府命令 p128
無視された「適正価格」 p128
軍需増大と割当販売制への移行 p129
「ソース」の発売と成長 p130
「1社1規格1マーク制」と企業買収 p131
2. 原料統制と配給切符制 p132
配給統制の体制づくり p132
「醤油統制株式会社」の設立 p133
配給切符制の実施 p134
アミノ酸液混合しょうゆと「宝醤油工業」 p135
3. しょうゆにも品質規格 p136
声涙共に下る社長演説 p136
「御用蔵」の果たした役割 p137
丸大豆から脱脂大豆へ p138
4. 技術開発と野田産業科学研究所 p139
代用原料の活用も研究課題に p139
「新式1号」の開発と技術公開 p140
「東亜樽」の開発と「日本樽材工業」 p141
「野田産業科学研究所」の設立 p141
第2章 戦時下の内外業務 p143
1. 戦時中の海外輸出 p143
中国が最大の輸出先に p143
非円決済圏で保持した優位 p144
2. 台湾、サハリンへの移出 p144
台湾に安定市場を築く p144
サハリンの配給統制に協力 p145
3. 海外生産拠点の展開 p146
自主的な外地事業 p146
中国から南方に広がった国策事業 p147
4. 戦争末期の国内状況 p149
3代社長に茂木佐平治が就任 p149
「移駐」で生まれた「日本醤油工業」 p150
関連企業の譲渡と軍需生産 p151
「戦前水準」を上回る生産 p151
第4編 「醸造しょうゆ」の危機を救う-効率的な醸造法の開発 1946(昭和21年)~1955(昭和30年)(戦後の経済復興期) p153
時代と経営の軌跡 p154
第1章 トリレンマの重圧 p156
1. 占領政策と民主化 p156
戦後を委ねられた社長中野栄三郎 p156
「労働組合」の発足 p157
職分制、身分制の変革 p158
独禁法と集中排除法の影響 p158
東証への株式上場 p159
幹事証券と主取引銀行 p159
2. インフレ下の経営健全化 p160
竹の子生活のなかで p160
賃金引き上げ交渉の激化 p161
資産再評価の実施 p162
2億円、4億円への増資 p163
「予算制度」の実施 p163
3. 「質」か「量」かの選択 p165
原料はすべて窮迫 p165
「濃厚しょうゆ」と技術保存 p165
「戦前水準」の40%以下に p167
諸味の減少と工場の休止 p168
第2章 研究と技術開発の開花 p170
1. 「しょうゆ」の混乱期 p170
しょうゆの用途に供し得るもの p170
「醤油醸造協会」から「醤油協会」へ p170
「醸造」か「アミノ酸」か p171
2. 「新式2号」と「7・3協定」 p173
GHQは窒素利用率を重視 p173
アップルトンへの誤解 p174
利用率を60%から80%へ p175
特許を無償で公開 p176
3. 伝統の醸造法に科学の光 p177
技術研究の本流 p177
「I菌」の発明と活用 p178
「ビニロン製濾布」の開発 p179
4. N.K式の原料処理方法 p180
即日蒸煮・即日盛込 p180
真空冷却法の完成 p181
3度目の特許公開 p181
第3章 輸出再開と統制解除 p183
1. 戦後の対米貿易 p183
1947年にしょうゆ輸出の認可 p183
戦前の「タクアン貿易」 p183
再開された販路 p184
2. 高規格の製品を輸出 p185
年間2,430(kl)の輸出枠 p185
輸出価格は1(l)100円に p186
沖縄、台湾への輸出 p186
80%以上の輸出シェア p187
アメリカ市場の構造変化 p188
3. 自由販売への対応 p188
ブランド認知度への不安 p188
「野田キッコ」の登場 p189
還流クーポン制で優位に p190
特約店との関係復活 p191
業界に独禁政策の洗礼 p192
景品付販売にもピリオド p192
4. 自由販売の復活 p193
統制解除後の原料事情 p193
営業拠点の復興整備 p194
「直配手形制度」の復活 p195
独禁法違反と審決の変更 p196
戦後初の値下げに先行 p197
「特撰しょうゆ」の発売 p198
「樽から壜へ」の対応 p198
「1(l)壜詰」の発売 p199
壜型の規格化 p200
宣伝用に「卓上壜」の開発 p200
5. 酒造部門もヒット商品 p201
合成清酒と焼酎が主役に p201
合成清酒「四方春」の発売 p202
2合詰の家庭向け焼酎 p203
社内報「キッコーマン」の発刊 p204
8億円へ倍額増資 p204
第5編 社名を「キッコーマン醤油」に-国際化・多角化の進展 1956(昭和31年)~1965(昭和40年)(前期高度経済成長期) p205
時代と経営の軌跡 p206
第1章 前期高度経済成長期の業界 p208
1. 大手の寡占化がすすむ p208
市場はすでに成熟期に p208
当社の「高度成長期」の特異性 p209
人件費の高騰と価格改定 p210
1961年の値上げと政府の介入 p211
2. 日本醤油協会の改組とJAS制定 p212
「全醤工連」の発足 p212
輸入原料塩の値下げが実現 p213
しょうゆのJASスタート p214
3. 中小メーカーの近代化 p215
醤油業近代化基本計画 p215
第2章 品質向上と生産技術の飛躍 p216
1. 市場の変化への対応 p216
茂木房五郎が第5代社長に p216
東京など大都市の人口増加 p216
消費購買力の増大とブランド力 p218
2. より良い品を、より安く、より多量に p218
昭和30年代の経営スローガン p218
3. 本醸造の期間も大幅短縮 p220
アルコール原料処理法 p220
「冷温醸方式」で醸造期間を短縮 p221
仕込容器の改善 p221
中小企業の構造改善にも寄与 p222
4. 豊かな「芳香」と「色沢」 p223
しょうゆの香りに科学の光 p223
「密閉冷却火入法」と「後熟酵母」 p223
原料の改善で色沢も向上 p224
5. 機械化・自動化の推進 p225
労働集約型産業からの脱却 p225
「高砂工場」での機械化への取り組み p226
「流動焙焼装置」の開発 p227
「低温製麹法」と「通風製麹装置」の開発 p227
「試験所」から「中央研究所」へ p229
第3章 営業の革新を求めて p230
1. 拠点拡充と営業方針の統一 p230
機械的な拠点の展開 p230
東西の販売部を一本化 p231
2. 「マーケティング」の導入 p231
「マーケティング委員会」の発足 p231
食生活の洋風化 p233
料理の簡便化もすすむ p233
3. しょうゆ容器の革新 p234
超ロングセラーの新「卓上壜」 p234
「マンパック」の登場 p235
4. 新しい調味料としょうゆ p237
「萬味」の開発と発売 p237
「めん類用萬味」への展開 p238
キッコーマン生しょうゆ p238
「減塩しょうゆ」の幕を開ける p240
5. ソース、酒類も多様化 p241
業界に先駆けた「中濃ソース」 p241
肉料理のたれにも進出 p242
「万上ユニーク」の発売 p242
第4章 相次ぐ多角化事業の始動 p244
1. デルモンテ事業のスタート p244
「吉幸食品工業株式会社」の設立 p244
「日本カルパック株式会社」への資本参加 p245
2. 製薬とコーラ事業 p245
新型「ペプシン」の発見 p245
「盛進製薬株式会社」の設立 p246
「利根飲料株式会社」への出資 p247
6代社長に茂木啓三郎が就任 p248
3. ワイン事業への参入 p248
「勝沼洋酒株式会社」の設立 p248
「マンズワイン株式会社」へ社名変更 p249
第5章 アメリカ市場の開拓も新段階へ p251
1. KIIの設立 p251
1965年にほぼ戦前のピークに p251
非アジア系アメリカ人に p252
「セーフウェイ」の定番に p253
ALL-PURPOSE SEASONING p253
全米の「スーパー」への納品をめざす p254
2. 販売戦略と商品開発 p255
料理法の啓蒙にも取り組む p255
日本ブームと「Teriyaki」 p256
3. 国際的一流食品の認知を p257
東部と中西部の特異性 p257
ニューヨークの市場づくり p258
「Good Housekeeping」の保証 p258
第6章 「醤油」を残した社名変更 p260
1. 社名変更の誘因 p260
商号と商標の不一致による誤解 p260
「多角化」も引き金に p261
「醤油」の文字を残した決断 p261
2. しょうゆ事業への自信と責任 p262
厳しい開放経済体制を迎えて p262
いまこそ、しょうゆを伸ばす好機 p262
しょうゆを拡大すべき必要性 p263
3度の増資で資本金は27億円に p264
歴史口絵 p265
第6編 国際企業「Kikkoman」への飛躍-アメリカで生産を開始 1966(昭和41年)~1973(昭和48年)(後期高度経済成長期) p273
時代と経営の軌跡 p274
第1章 「確かな製品」とP&N p276
1. 需要の停滞と構造変化 p276
大型化・多角化・国際化 p276
シェア30%台を固める p276
人口増加の鈍化と食生活の洋風化 p277
「ヒゲタ」印の販売を受託 p277
中小メーカーの構造改善 p278
2. JAS改定と「特級」 p279
「本醸造」の表示 p279
本ラベルから消えた「最上醤油」 p280
3. 「確かな製品」と本物訴求 p281
マーケティング・ミックスの時代 p281
「チクロ問題」の衝撃 p282
「P&N」を宣言 p283
「Pしょうゆ」と「100%本醸造」 p284
「特選しょうゆ」と「減塩しょうゆ」 p285
4. 需要喚起に「こだま作戦」 p285
国際的視野で食文化企業へ p285
わが家の料理アイデア p286
「EXPO'70」の水中レストラン p287
「奥さま大学」の開講 p289
5. 流通革命への対応 p290
スーパーか酒販店か p290
1(l)マンパックのしょうゆを販売 p290
「KMC」の設立 p291
第2章 装置産業化への技術革新 p293
1. 原料処理から仕込までの連続化 p293
「高温短時間蒸煮法」の開発 p293
「気流式膨化変性法」の開発 p294
「円型連続製麹装置」(KCT)の登場 p294
「仕込タンク」を「屋外型」に移行 p295
2. 圧搾と火入にも新技術 p296
圧搾揚枚数制の廃止 p296
「K式圧搾機」から「L式圧搾機」へ p297
「高温瞬間火入」と「再火入」 p298
3. 「粉末製品」と「かつお節エキス」 p299
「粉末めんみ」と「即席みそ汁」 p299
「粉末しょうゆ」に進出 p300
「ボニコン」の開発 p300
4. 野田の作業部門集約化 p301
工場集約化への条件 p301
6か工場の「製麹部門」を廃止 p302
ソース製造を「キッコー食品工業」に移管 p303
第3章 多角化部門の基盤づくり p304
1. デルモンテ事業の進展 p304
トマト契約栽培の拡大 p304
製品の安全性に高い評価 p305
「ラグー」ブランドの生産 p305
2. 日本の葡萄で日本のワインを p306
「勝沼ワイナリー」と「万寿農場」 p306
ヴィンテージ甲州'67 p307
3適地に自家・契約農場 p307
「小諸ワイナリー」の誕生 p308
ワイン時代の幕開け p309
「夫婦でワイン」 p310
清酒事業への進出と撤収 p310
事業構成の表示 p311
第4章 「Made in USA」のKikkoman p312
1. 部分的現地生産と「Made in USA」 312」
「輸出」から「現地生産」へ p312
「AP委員会」の設置 p313
「レスリー・ソルト社」との提携 p313
2. 現地での一貫生産へ p314
部分的現地生産の限界 p314
現地生産のメリット p315
社長の孤独な決断 p316
ウォルワースへの立地 p316
現地農民との対話 p317
3. アメリカのキッコーマン工場 p318
現地法人「KFI」の設立 p318
「経営の現地化」を基本方針に p319
野田と同じ味のしょうゆ p321
4. 世界市場を視野にした営業体制 p322
「海外事業部」の設置 p322
「JFC」への資本参加 p322
「太平洋貿易」の経営権取得 p323
5. 障害と危機を乗り越える p324
アメリカ市場で販売額トップに p324
「アフラトキシン」問題 p324
くつがえした「FDA」の決定 p325
第5章 「新しい経営」の展開 p326
1. 食品業界初のコンピューター導入 p326
アメリカに学ぶ p326
「計数室」の発足 p326
約120のプログラムでスタート p327
酒類食料品店コードセンター p328
キッコーマン受注システム p329
「システム」開発計画 p329
2. 経営計画とプロフィット・センター p330
1966年から「経営計画」の実施 p330
「職務分析」の実施 p331
「プロフィット・センター」の設置 p331
3. 教育研修と社員処遇制度 p332
「OJT」と「自己啓発」の重視 p332
上、中級管理者の研修 p333
第1次「資格制度」「考課制度」の改正 p333
「グループ制」への動き p334
4. 「物流」が新しい経営課題に p335
「第3の利潤源」の涵養 p335
当社の物流の歩み p335
「物流管理部」の設置 p337
5. 「社会」との調和を求めて p338
環境保護への体制を整備 p338
定年延長に先行 p339
1971年に「週40時間労働」へ p340
第6章 高度経済成長の終焉 p342
1. 高度経済成長期の経営 p342
物価と賃金の上昇圧力 p342
2度の増資で資本金は48億円に p343
初の「社債」を発行 p343
2. 高度経済成長末期の苦闘 p344
「ニクソン・ショック」と「オイル・ショック」 p344
苦悩のなかの価格改定 p345
関西への緊急出荷 p346
第7編 「価値ある企業」への模索-グループの結束を軸に 1974(昭和49年)~1979年(昭和54年)(成熟化経済移行期) p347
時代と経営の軌跡 p348
第1章 新たな業界競争への対応 p350
1. 流動的な時代に突入 p350
不透明な経済環境のなかで p350
容器問題による値上げ p350
「広報部」の設置 p351
第7代社長に茂木佐平治が就任 p351
2. 優位の体制に生じた陰り p352
出荷量推移が示す構造変化 p352
「低価格志向」と「外食」の増大 p353
中小メーカーの生産性向上 p354
3. バリュー・リーダー企業へ p355
過去の経営計画をご破算に p355
「バリュー・リーダー企業」へ p356
第2章 工場集約化の始動 p357
1. 野田にグループ工場制 p357
製造部門から販売部門への配転 p357
「第2工場」の休止 p358
第6・第7・壜詰工場を基幹に p358
「営繕工場」の休止 p359
「種麹」もさらに進化 p360
2. 酒造部門の合理化 p360
「収益改善施策」の実施 p360
「みりん風調味料」と「本みりん」 p361
「Uみりん」と「Hみりん」の開発 p362
生産部門の合理化 p363
「水道事業」を野田市に移管 p363
3. 「物流システム」の合理化 p364
「P箱」と「K-800型パレット」の採用 p364
「オンライン物流システム」の稼動 p365
「野田配送センター」の設置 p365
第3章 「キッコーマン・ワールド」の展開 p366
1. ブランド・イメージの高揚 p366
味の世界を広げるキッコーマン p366
ふれあいのある食卓 p367
長寿番組「くいしん坊!万才」 p367
「奥さまクックノート」の発刊 p368
キッコーマン・ライブラリー p369
母と子のキャンプのつどい p369
「オープン・ハウス」の実施 p370
加工ユーザー等に『技術情報』 p370
2. 世界の味を日本へ p371
「リー・ペリンソース」の発売 p371
クランベリー・ドリンク p372
3. スーパーへの営業体制 p372
酒販店の後継者難 p372
「特別販売経費」の新設 p373
「キャプテンクック」のダブルチョップ商品 p374
4. 弾力的な商品戦略へ p375
しょうゆも多様化へ p375
新感覚の焼酎「Joh」 p376
「マンパック」を全面的にPET化 p377
第4章 新しい事業と商品の開発 p378
1. レストラン事業への参入 p378
「開発部」の新設 p378
「キッコーマンレストラン」の設立 p378
「六本木コルザ」の誕生 p379
コルザ・チェーンの展開 p379
「マンズワインパブ」にも進出 p380
2. 技術活用が生んだ新商品 p381
「瞬間連続膨化技術」の活用 p381
「パフ玄」と「ネオ玄米」の開発 p381
「栗の剥皮機」を商品化 p382
「分析センター」の分析・証明事業 p382
3. 長期計画と「統合の経営」 p383
グループの結束強化を p383
1978年から連結決算を実施 p384
チャネル別営業組織への改定 p384
4. 労使協調への機運 p385
「隔週2日制」の実施 p385
全社員共通の「月給制」へ p386
「適格年金」制と「看護休職」制 p386
「保健センター」の開設 p387
第5章 「ワイン」「トマト」の成長 p388
1. 日本にヴィンテージの里 p388
低成長をはね返す需要増加 p388
日本独自の醸造法を追求 p389
高まる国際的な評価 p390
世界の名門ワインを輸入 p390
2. 「日本のワイン」の路線を転換 p391
「利益なき繁忙」の原因 p391
原料用ワインとのブレンド p392
原料用ワインの関税引き下げ p393
3. 「風土への回帰」の路線 p394
「マンズ・デカンタ500」の大ヒット p394
路線転換と「風土」の広告 p395
「ハーベスト」と「貴腐ワイン」 p395
4. 高まる「デルモンテ」への信頼 p397
「トマトジュース」「野菜ジュース」の成長 p397
第2次トマト戦争 p398
世界的ブランド商品の製造 p399
第6章 米国から欧州への市場展開 p400
1. 米国市場の需要加速 p400
7年で生産能力を倍増 p400
「テリヤキ・ソース」に続く商品開発 p401
「ディズニー」との提携 p402
グラハム・カーの登場 p403
2. 高まる日本食品への関心 p404
肥満防止に日本食品 p404
「オーゼキ・サンベニト」に資本参加 p404
キッコーマン・スカラシップ p405
JFCの社名変更 p405
3. ヨーロッパ市場への始動 p406
ハンブルクに初の拠点 p406
西ドイツでの「大都会」の展開 p406
販売会社「KTE」を設立 p407
資本金は75億円に p408
第8編 「キッコーマン株式会社」の時代へ-食文化を担う国際企業に 1980(昭和55年)~1985(昭和60年)(成熟化経済移行期) p409
時代と経営の軌跡 p410
第1章 「80年代」と「第3の創業」 p412
1. しょうゆを拡げ、超える p412
ライシャワー博士のメッセージ p412
社名変更決定の趣旨 p413
8代社長に茂木克己が就任 p413
「高砂工場」「流山工場」への改称 p414
2. 意識革新と能力開発 p414
「プロジェクトチーム21」の活動 p414
新社屋で「ABC運動」 p415
マンパワーアップ運動 p415
第2次「資格制度」の改正 p416
自己啓発に「通信教育」 p416
第2次「考課制度」の改正 p417
野田に「研修所」を開設 p417
3. 新しいキッコーマンの創造 p418
暴風雨の中に船出 p418
記念キャンペーンの展開 p419
「日本型食生活」への貢献 p419
消費者との交流の場「KCC」 p420
在日外国人レシピー・コンテスト p421
「お客様相談室」の設置 p421
第2章 「収益改善」への挑戦 p422
1. 収益改善推進本部の発足 p422
需要構造の変化がすすむ p422
1980年の価格改定 p423
生産性向上への挑戦を p423
2. 小集団活動と「KGA」 p424
「人間回復」の生産性運動 p424
「KGA」として全社会的に導入 p424
第2期「収益改善」と「中期実行計画」 p425
「CI計画」のスタート p426
3. 商品の多様化と活性化 p426
「開発部」の機能拡充 p426
社員モニター制度 p427
「ビヤング」と「ガンバレ玄さん」 p427
「デリシャスソース」の発売 p428
焼酎に甲乙混和の路線 p428
「トライアングル」の登場 p429
「だしシリーズ」の開発 p430
「減塩」が一般家庭に p430
高砂で「淡口しょうゆ」を製造 p431
「ぽん酢しょうゆ」の開発 p431
4. 生産体制と物流の改善 p431
「第1工場」「第9工場」の休止 p431
「高砂工場」の自動装置化 p432
「野田市駅」の貨車輸送廃止 p432
物流収益改善3か年計画 p433
「総武サービス」の設立 p433
北海道工場の建設を決定 p433
5. 営業体制の改革 p434
「加工用販売部」の新設 p434
「KMC」の役割 p434
「市場サービス部」の発足 p435
第3章 「バイオ」と事業開発 p436
1. バイオテクノロジーの新商品 p436
「工業用ベクター」の開発 p436
サイクリックAMP p437
ペクトリアーゼY-23 p437
診断用試薬と自動分析機器 p437
発癌性の予備テスト用試薬 p438
「オレタチ」の研究 p438
醸造・食品・バイオの3研究体制 p439
「生物科学研究所」に附属工場 p439
2. 遊休資産活用の新事業 p439
「事業開発」とスイミングスクール p439
スポーツクラブとの複合施設も p440
和食チェーン「味の民芸」 p441
3. エンジニアリング事業の発展 p441
「瞬間殺菌装置」の商品化 p441
「サニタリー機器」の商品展開 p442
「千葉ゼロックス販売」の設立 p443
「東京ディズニーランド」でも参加 p443
第4章 シンガポール工場の誕生 p444
1. ドイツから北欧への進出 p444
北欧市場戦略の成功 p444
スイス市場の壁も破る p445
2. 英仏市場への挑戦 p445
英仏市場の特性 p445
オピニオン・リーダーの理解から p446
「NCF」の運動としょうゆ p447
3. オーストラリア市場の飛躍 p447
可能性の高い市場 p447
輸出量は6年間で3倍 p448
4. ブラジル市場への対応 p449
「キッコーマン商工有限会社」の設立 p449
「テスト製造施設」の位置付け p450
5. 多国籍市場型工場の構想 p450
東南アジア市場も視野に p450
シンガポールも熱心に誘致 p451
6. シンガポール工場の操業 p451
「KSP」の設立 p451
麹菌の特定に1年半 p452
容器の問題も解決 p452
味の国際ハイウェイの起点 p453
KFIの「日米食品流通シンポジウム」 p454
茂木啓三郎に名誉博士号 p454
第5章 トマト、ワイン事業の明暗 p455
1. 構造的なトマト不足 p455
原料は過剰から不足の時代へ p455
キッコー食品工業の生産調整 p455
トマト加工品の多様化 p456
2. ワイン事業の成長にはずみ p457
ワインの成長で酒類部門が15%に p457
特性を訴えるマーケティング p458
「ホームパーティー」を理解の場に p458
市場のセグメント p459
3. 特別限定醸造の頒布会 p459
独自の総合的内容表示 p459
初心者からマニアまで p460
酒販店との共存も目的に p461
名門ラツール社との提携 p461
4. マンズワイン事件 p462
DEGと健康への影響 p462
安全宣言と製品回収 p462
マンズワインへの行政処分 p463
厳しかった消費者の叱責 p464
業績への甚大な影響 p465
5. 信頼回復への新体制 p465
9代社長に中野孝三郎が就任 p465
「品質保証審査制度」の発足 p467
ワイン表示の業界自主基準 p467
資本金81億900万円に p468
「社員持株制度」の実施 p468
第9編 CIで経営風土の刷新へ-「食の、あたらしい風」を旗印に 1986(昭和61年)~1990(平成2年)(円高不況・バブル景気) p469
時代と経営の軌跡 p470
第1章 「CI」の導入と「革新経営」 p472
1. 円高不況下の再出発 p472
雌伏と隠忍の1年 p472
「革新経営」と「顧客本位」 p472
「平成景気」と消費者行動 p473
2. 当社のCIの特徴 p474
「革新経営」「新中期経営計画」と一本化 p474
新しい「コーポレート・シンボル」 p475
ブランド体系の整備 p475
新しいキッコーマンの創造 p476
3. 組織の革新と「中期計画」 p477
商品別、事業別の組織へ p477
「研究本部」の新しい役割 p478
売上げは計画目標の98%を達成 p478
「顧客本位」と「MI運動」の推進 p480
「KGA」への意欲も高まる p481
「東京本社」と「野田本社」 p481
映画「中国の食文化」の制作 p481
4. 全員参加の経営と「方針管理」 p482
会社活性化プロジェクト p482
「方針管理」と「社長診断」 p482
5. 人事制度にも新しい風 p483
「60歳定年制」の実施 p483
ライフプラン研修 p484
資格制度の第3・4次改正 p484
「育児休職」と「看護休職」の制度 p485
「リフレッシュ休暇」と「年休半日取得」 p486
常務陣の拡充 p487
第2章 ハイテク化する工場設備 p488
1. 「千歳工場」の誕生 p488
75億円を投じた年産2万(kl)の工場 p488
高能率のアメニティー工場 p489
地域密着の工場運営と製品 p489
2. 野田、流山の新鋭設備 p490
野田工場の名称変更 p490
「多品種少量生産」に対応する設備 p491
中根プラントの「多品種詰ライン」 p491
流山工場にも「多品種詰ライン」 p492
「L-6」で深夜無人運転を実現 p492
野田プラント「L-7」の役割 p492
コンピューター制御の「FT」 p493
「野田物流サービス」の発足 p494
3. 高砂工場の改革 p494
製品多様化をめぐる動き p494
高砂工場製の「マンジョウ本みりん」 p495
「西の物流拠点」の役割も p495
第3章 ニーズ対応の商品開発 p496
1. 商品開発にも新しい風 p496
「和風調味料」への新たな対応 p496
「しょうゆ」と「つゆ・たれ」の逆転 p497
「プロダクト・マネジャー」の初期段階 p498
東京本社に「テストキッチン」 p498
2. 「特選丸大豆しょうゆ」の開発 p499
「超特選減塩しょうゆ」の発売 p499
「丸大豆しょうゆ」の系譜 p499
「丸大豆しょうゆ」のうまさの秘密 p500
1(l)マンパックを400円で発売 p501
減塩・うす塩しょうゆの値下げ p502
しょうゆの「製造年月日表示」と「賞味期限表示」 p503
3. 和風調味料も多彩に p503
激化した”めんつゆ競争” p503
「ストレートつゆ」への進出 p504
だししょうゆ p505
4. ソースの用途別商品化 p505
「ステーキ・ソース」に参入 p505
中華ソースのシリーズ化 p506
5. 酒類にも多様化の流れ p506
高級本みりんと万上220年祭 p506
量販店向けに「みりん風調味料」 p507
「駒子」と「夢大陸」 p508
6. 業務・加工用の営業力強化 p509
「業務用」と「加工用」の営業分離 p509
加工用ユーザー向けしょうゆの開発 p509
「バッターミックス粉」の開発 p510
業務用調味料シリーズと「本味」 p510
7. 売掛金回収システムの改革 p511
「自動引き落としシステム」の導入 p511
新システムへの順調な移行 p511
「直配手形制度」の廃止 p512
全社的なOA化のスタート p512
第4章 「デルモンテ事業」の確立 p513
1. 極東での商標使用権、営業権取得 p513
M&Aに揺らぐ「デルモンテ社」 p513
輸入販売権も獲得 p514
デルモンテ戦略の新展開 p514
東南アジア市場もにらむ p515
2. WE GROW QUALITY p515
トマト依存からの脱却 p515
低果汁飲料にも進出 p516
「デルモンテ部門」の独立 p517
缶詰の輸入販売を開始 p517
3. 「NDM」の発足と独自技術 p518
創立30周年の社名変更 p518
「コールドクッカー処理法」の開発 p518
栽培省力化に寄与する「NDM-051」 p518
「CMV」ワクチンの開発 p519
「濃縮還元ジュース」への移行 p519
第5章 「ワイン事業」の再出発 p521
1. 新しい体制のもとで p521
1978年水準に逆戻り p521
品質のダブルチェック体制 p521
2 ワイン戦略に新しい視点 p522
原点に立ち返った商品づくり p522
4段階の味覚表示 p523
日本人の味覚に合ったブレンド p523
仏メーカーと「ヴァンドール」開発 p524
3. 頒布会の再開と「ヌーヴェレール」 p524
ニーズに応える頒布会の企画 p524
「ヌーヴェレール」の開発 p525
第4次ブームを背景に p526
マンズ・レインカット方式 p526
第6章 米・欧からアジア市場へ p528
1. 米国市場で安定成長を維持 p528
高まる米国子会社の貢献度 p528
快調に増産を続けた「KFI」 p530
米国第2工場が検討課題に p530
「KFI」の15周年記念行事 p531
2. アジア市場の開拓を始動 p531
「KTS」の設立 p531
「統萬股?有限公司」の設立 p532
「TASTE」の発行 p533
1989年3月に資本金が100億円を突破 p534
第10編 高付加価値戦略の展開-揺らぐ「価値」と「価格」への対応 1991(平成3年)~1994(平成6年)(バブル崩壊・平成不況) p535
時代と経営の軌跡 p536
第1章 「新しい価値」の創造 p538
1. 失われた価値の回復 p538
「価値の回復」と「価格破壊」への対応 p538
価格設定と「販売経費」の削減 p539
販売量の減少も覚悟 p539
「価格」「価値」「数量」の総合施策 p540
1992年に過去最高の収益 p541
2. PB攻勢への対応 p542
流通主導の価格政策 p542
中小業者の実力向上とPB p542
3. 「経営の質」を高める p543
「方針管理」を重視する「中期経営計画」 p543
国際事業を2本部制に p543
「環境保護推進本部」の設置 p543
4. 製造・販売も参加する物流改善 p544
「DP95」のスタート p544
商品アイテムの整理 p545
「新配送基準」の実施 p546
「受注センター」の展開 p546
在庫の集約と削減 p547
「物流改革」への足固めを達成 p547
物流子会社を2社に集約 p547
第2章 商品のワンランク・アップ p549
1. 「特選丸大豆しょうゆ」が主役 p549
高付加価値戦略を採用 p549
「100億円商品」をスピード達成 p549
特選丸大豆減塩しょうゆ p550
2. 「高付加価値」を支える新鋭設備 p551
中野台プラント新詰ライン(NNP) p551
ファジー制御の「円型製麹設備」 p552
もの知りしょうゆ館 p553
群馬県尾島町に新工場を計画 p553
「上海申万醸造有限公司」の設立 p554
3. 和風調味料も丸大豆路線へ p555
原点に立ち返る商品開発 p555
「ストレートつゆ」のヒット p555
「ステーキしょうゆ」の開発 p556
4. 業務加工用営業の強化 p556
「家庭用」と「業務加工用」の逆転 p556
業務加工用のニーズも多様化 p557
「業務用営業本部」の新設 p558
第3章 「バイオ事業」の本格展開 p559
1. 21世紀に開花の期待 p559
「盛進製薬」を吸収合併 p559
「バイオケミカル事業本部」の発足 p559
2. 食品分野に広がる研究成果 p560
紅茶の混濁防止剤を開発 p560
発光酵素の量産に初成功 p560
ルシフェールLUプラス p561
「グレーブル」と「シューブル」 p562
3. しょうゆ製造への応用 p562
「バイオリアクターの利用」に先駆 p562
異業種との共同研究も積極的に p562
2週間で製造する技術を確立 p563
新しい発酵うまみ調味液の開発 p563
「オンラインセンサー」の開発 p564
研究本部にRI棟 p565
「野田産研」の「バイテク教室」 p565
第4章 逆風下の多角化2部門 p566
1. 「デルモンテ」のアジア展開 p566
KTSが25の国と地域に輸入販売 p566
アジアの2社に製造ライセンス p566
2. 飲料政策の軌道修正 p567
トマト製品、飲料の厳しい状況 p567
輸入中心に転じた原料トマト p568
ベンダーによる販売から撤退 p568
飲料商品の絞り込み p569
「ナタデココ」のブーム p569
3. ワイン市場も”冬の時代”に p570
需要低迷下の価格競争 p570
「個飲化」をねらった製品 p570
4. 「価格破壊」への対応 p571
低価格化のもとで品質訴求 p571
1,000円で100%国産ワインを p572
国産原料葡萄の価格低下 p572
フランス産のマンズワイン p573
オープン価格で「マンズ仏蘭西」発売 p573
第5章 高まる海外事業のウェート p575
1. 創業20年を迎えた「KFI」 p575
20年で約9倍の成長 p575
業務用出荷が50%以上に p575
めざましい生産性の向上 p576
「キッコーマン・フーズ基金」を創設 p576
「KFI」の20周年記念行事 p577
「こってりん」の製造 p578
2. 「KSP」もめざましい成長 p578
1994年には年産1万(kl)の能力に p578
製造品目も多彩に p578
コスト競争力の強化 p579
業界初の「ISO9002」取得 p580
3. ヨーロッパ市場の着実な成長 p580
販売体制の強化 p580
ドイツでのレストラン事業 p581
4. 新しい海外生産拠点の選択 p581
第2工場が差し迫った課題に p581
第2工場は西海岸に p582
ヨーロッパにも工場建設の機運 p582
工場立地をオランダに絞る p583
海外依存の高い経営体質に p583
中野社長の退陣表明 p584
1994年末の資本金115億8,300万円に p584
第11編 21世紀への飛翔を期して-挑戦的企業体質への変革 1995(平成7年)~1997(平成9年)(平成不況期) p585
時代と経営の軌跡 p586
第1章 「挑戦」と「変革」に向けて p588
1. 「攻めの経営」への転換 p588
10代社長に茂木友三郎が就任 p588
リスクを恐れず改革に挑む p589
「消費者」と「顧客」の峻別 p590
仕事、商品、企業に存在意義を p590
「復権」と「新たな成長」 p590
2. 経営課題に挑む組織づくり p591
商品開発力の強化にプロダクト・マネジャー室 p591
「生産」「営業」の2本部体制に p592
営業組織の抜本改革 p592
3. 「存在意義ある企業」をめざす p593
「経営理念」の見直し p593
環境保護の目標達成と「内部監査」 p594
全社的な社会貢献活動 p594
4. 情報体制の拡充 p595
「東京本社」の移転と「統合バーチャルLAN」 p595
電子メール「SLIM」 p596
営業マンの情報装備と「K-QRS」 p596
第2章 「丸大豆路線」の拡充 p598
1. 長引く“バブル崩壊不況” p598
深刻な環境下での経営転換 p598
連結利益が単独利益の2倍以上に p598
高まる海外事業への評価 p599
2. 新定番「丸大豆しょうゆ」 p600
「特選丸大豆」に続く商品を p600
「丸大豆しょうゆ」のスタンダード p600
「深紫」と「丸大豆昆布しょうゆ」 p601
3. 新しい「和風調味料」の世界 p602
「カテゴリー・ナンバーワン」をめざす p602
「食品部門」の堅実な成長 p602
消費者の支持を得た「本つゆ」 p603
「焼肉のたれ」に参入 p603
4. 酒類事業の新しい展開 p604
「尾島プラント」が完成 p604
「本みりん」に規制緩和の追い風 p605
焼酎増税を機に「外税方式」に p605
5. バイオ研究から食品素材も p606
「グラヴィノール」と「ソイアクト」 p606
微生物汚染測定器の拡充 p607
第3章 「国際標準化」と物流改革 p609
1. 相次ぐ「ISO」「HACCP」の導入 p609
「国際企業」の必須条件 p609
「野田プラント」と「高砂工場」が「ISO14001」を取得 p609
「中野台プラントNNP」は「ISO9002」を p610
海外の3工場で「HACCP」 p611
2. 物流改革「LP98」のスタート p611
物流コスト20%削減をめざす p611
工場直送で販促の効果も p612
パレットを「T-11型」に統一 p612
「野田配送センター」の再構築 p613
第4章 「トマト」「ワイン」のブーム p614
1. 「イタリアン」と「健康」への関心 p614
業績低迷の歯止めに p614
「トマト製品」の品ぞろえを強化 p614
「有機栽培シリーズ」の発売 p615
2. 第5次ワインブーム p616
「低価格ワイン」を主役に p616
ポリフェノール効果 p616
3. 新・ワイン宣言 p617
「低価格ワイン」と表示の問題 p617
商品の透明性を高める表示に p618
技術と風土を融合したチリワイン p619
第5章 日米欧亜の4極体制 p621
1. 欧州、米国第2工場の立地選定 p621
2つの「建設委員会」が発足 p621
ホーヘザンド・サッペメア市 p621
社長裁断でフォルサム市に p622
米工場の名称を「WIP」「CAP」に p622
2. 「KFE」とヨーロッパ工場の竣工 p623
機械・設備の現地調達は90%に p623
「KFE」の設立 p624
「よき企業市民」として p624
格段に高まった資本集約度 p625
3か国工場の使用原料 p625
10万(kl)に迫る海外産キッコーマン p626
3. KFIのCAPも完成 p627
「KFI」の創立25周年式典 p627
経済フォーラムとシンポジウム p627
「カリフォルニア・プラント」(CAP)は西部地区の大口ユーザーに p628
アメリカ料理への貢献に誇り p629
第6章 創立80周年を迎えて p631
1. 8つの記念事業を選定 p631
野田本社、新社屋の建設など p631
副社長に高梨兵左衛門 p632
2. 「新しい時代」への労使協調 p633
在籍者数2,000人台の時代に p633
「改革」への労使共同宣言 p633
3. 21世紀への3つの課題 p635
日本市場の深耕 p635
地球市場の創造 p635
事業化志向の研究開発 p636
1997年末の資本金は116億円に p636
外国人株主も増加の傾向 p636
現況口絵 p637
資料 p661
会社合併の訓示 p661
役員任期一覧表 p662
しょうゆ出荷量と当社の業績 p666
工場、出先営業部門等の変遷 p668
年表 p680
索引 p709
参考文献・資料 NP
あとがき NP
索引リスト
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