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サッポロビール(株)『サッポロビール120年史 : Since 1876』(1996.03)
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目次項目
ページ
口絵
巻頭
刊行のことば
NP
序編 ビール産業の夜明け
p3
第1章 ビール事始め
p3
[1] 蘭学者とビール
p3
(1) 蘭学書に見るビール
p3
(2) 川本幸民のビール試醸
p4
[2] 開港とビール
p5
(1) 幕府の使節と留学生
p5
福沢諭吉とビール
p5
(2) 岩倉使節団のビール醸造場見学
p6
(3) 舶来ビールと日本人
p8
第2章 ビール醸造の揺籃期
p10
[1] 官営ビール醸造の試み
p10
(1) 大蔵省観農寮のビール研究
p10
(2) 大阪の開商社と京都府舎密局
p10
(3) 品川県麦酒製造所の試醸
p11
[2] 居留地ビールとコープランド
p12
(1) 居留地ビール
p12
(2) 「天沼ビアザケ」の盛衰
p13
コープランド技術の系譜
p13
[3] 日本人醸造家の先駆者たち
p14
(1) 渋谷庄三郎と「渋谷ビール」
p14
(2) 野口正章と「三ツ鱗」印ビール
p15
第1編 サッポロビールの創製 明治9年-明治38年(1876-1905)
p17
中口絵
p17
第1章 札幌ビール前史
p25
[1] 開拓使の設置
p25
(1) 北方の脅威
p25
(2) 開拓長官黒田清隆の登場
p26
黒田清隆小伝
p28
[2] お雇い外国人の活躍
p29
(1) 「皇国の至宝」として招かれたケプロン
p29
(2) ホップ栽培を建言したアンチセル
p32
第2章 札幌冷製ビールの誕生
p34
[1] 開拓使麦酒醸造所の設立
p34
(1) 観農・殖産興業策としてのビール事業
p34
(2) 中川清兵衛と青木周蔵
p35
青木周蔵小伝
p37
(3) 中川清兵衛、雇技師に
p38
中川清兵衛小伝
p39
(4) 村橋久成、札幌に醸造所建設を建白
p40
村橋久成小伝
p41
(5) 麦酒製造所の建設
p42
[2] 札幌冷製ビールの醸造
p45
(1) 最初のビール製造
p45
(2) 「冷製ビール」と命名
p46
(3) 東京で「札幌冷製ビール」売り出す
p49
(4) 1本16銭、無税だった開拓使ビール
p51
(5) 五稜星マークの誕生
p53
[3] 創製期の原材料問題
p56
(1) 黒田長官、原料自給を目指す
p56
(2) ホップの国産化計画
p57
(3) 酵母問題で苦渋
p59
(4) ビール容器調達に苦心
p62
[4] 製品の輸送と貯蔵
p64
(1) 札幌ビールと東京市場
p64
(2) 官船で“氷付き”ビール輸送
p65
(3) 貯蔵、販売に中川嘉兵衛の氷倉庫利用
p67
中川嘉兵衛小伝
p68
[5] 開拓使ビールの声価高まる
p70
(1) 品質向上への努力
p70
(2) 大取次人制度の採用と廃止
p72
(3) 年産500石体制へ
p75
(4) 明治天皇、醸造所へ行幸
p77
(5) 開拓使時代の業績
p78
「サッポロビール沿革資料」について
p79
第3章 官営から私企業への転換
p81
[1] 開拓使諸事業の払下げ
p81
(1) 開拓使事業の展開と成果
p81
(2) 「工場払下概則」の制定と開拓使官有物払下げ事件
p82
(3) 開拓使廃止と管轄組織の変遷
p84
(4) 転換期の醸造場の概況
p85
[2] 明治10年代の国産ビール
p87
(1) 金沢嘉蔵と大阪の個人醸造家
p87
(2) 各地の国産ビールの消長
p87
第4章 札幌麦酒会社の成立と発展
p90
[1] 札幌麦酒会社の設立
p90
(1) 麦酒醸造場、大倉組商会へ払下げ
p90
大倉喜八郎小伝
p91
(2) 渋沢、浅野ら醸造場譲受け
p92
(3) 札幌麦酒会社の開業
p94
渋沢栄一小伝
p95
[2] 熱処理ラガービール発売
p96
(1) ポールマンの醸造法改良と熱処理ビールへの転換
p96
(2) 札幌黒ビールの発売
p97
(3) 中川清兵衛の辞任
p99
(4) 醸造技術革新への対応と製造能力の増強
p100
(5) 大販売店制度の展開
p101
[3] 札幌麦酒株式会社へ
p103
(1) 札幌麦酒株式会社への改称と植村澄三郎の入社
p103
(2) 札幌工場の製造能力増強へ
p105
植村澄三郎小伝
p105
(3) 東京出張店の開設と販路の拡張
p107
(4) 醸造技術の積極的吸収へ
p109
[4] 原材料問題の展開
p110
(1) ビール大麦栽培のの推進
p110
(2) 札幌製糖工場の買収と第2製麦所の建設
p112
(3) 道産ホップ栽培の中断と再興
p114
(4) 製びん所の建設
p115
ビール粕組合の発足
p117
[5] 東京への工場進出
p118
(1) 東京工場の着工
p118
(2) 東京新工場の稼動とその波紋
p120
(3) 製造量で業界首位へ
p121
(4) 新市場の開拓に努力
p122
(5) 資本金100万円、従業員600人の企業へ
p123
第2編 恵比寿ビールの誕生 明治20年-明治38年(1887-1905)
p127
中口絵
p127
第1章 日本麦酒醸造会社の成立
p135
[1] 日本麦酒醸造会社の設立
p135
(1) 遠大な計画を掲げて
p135
(2) 鎌田増蔵と発起人たち
p136
(3) 社長ほか経営陣の交代続く
p138
(4) 株主名簿は語る
p139
(5) 3倍増資と三井の資本参加
p141
[2] 恵比寿ビール発売
p142
(1) 工場建設へ
p142
(2) ドイツ人技師の招聘と醸造開始
p144
(3) 恵比寿ビール、市場へ
p146
(4) 内国博で「最良好」と評価
p147
[3] 経営不振と馬越恭平の登場
p148
(1) 極度の経営不振へ
p148
(2) 深刻な経営の実態
p149
(3) 馬越恭平の経営立直し策
p151
馬越恭平小伝
p152
馬越と石光真澄
p153
第2章 日本麦酒株式会社への改称と発展
p154
[1] 日本麦酒株式会社への改称
p154
(1) 日本麦酒(株)に社名を変更
p154
(2) 麦芽の自社製造へ
p155
三浦泰輔小伝
p155
[2] 積極経営の展開
p158
(1) 増資と設備の拡張
p158
(2) びんビールの装製
p159
(3) 「恵比寿ビヤホール」の開設
p161
各社のビヤホール合戦
p163
[3] 新技術の積極的導入
p164
(1) 醸造技師のドイツ派遣
p164
(2) カイザーの解雇とコブリッツの雇用
p165
(3) パリ万国博で金牌受賞
p167
[4] 地元での基盤強化
p168
(1) 恵比寿駅の開設
p168
(2) 工場用地の拡大
p169
(3) 三田用水の水利権問題と社員村会議員
p170
[5] 成長軌道に乗る
p173
(1) 業界トップへ躍進
p173
(2) 販売、4年連続の低迷
p174
(3) 海外販路開拓の努力
p175
(4) 30%の高配当を実施
p176
第3章 明治20~30年代のビール企業
p178
[1] 個人経営から大資本経営の時代へ
p178
(1) ビール醸造技術の革新
p178
(2) 駆逐される小資本経営
p179
(3) 麦酒税法施行の影響
p180
[2] ジャパン・ブルワリー・コンパニー
p181
(1) ジャパン・ブルワリーの設立
p181
(2) 麒麟ビールの誕生と明治屋との一手販売契約
p183
(3) ゼ・ジャパン・ブルワリーへの改組
p184
[3] 大阪麦酒株式会社
p185
(1) 大阪麦酒会社の設立
p185
(2) 旭ビールの誕生
p186
(3) 大阪麦酒株式会社と改称
p187
[4] 丸三麦酒株式会社
p188
(1) 丸三麦酒醸造所の創業
p188
(2) 丸三麦酒(株)の設立と発展
p189
[5] ドイツ風ビール全盛へ
p190
(1) 桜田麦酒から東京麦酒へ
p190
(2) “我が道”を選んだ浅田麦酒
p192
(3) 日の出ビールと横山助次郎
p193
(4) その他のビール企業
p195
第3編 3社合同-大日本麦酒へ 明治39年-昭和24年 (1906-1949)
p199
中口絵
p199
第1章 大日本麦酒株式会社の成立
p207
[1] ビール業界再編へ
p207
(1) 3社合同への胎動
p207
(2) 馬越恭平が主導
p209
(3) 札幌麦酒、大阪麦酒の対応
p210
(4) 3社の資産調査
p212
(5) 3社合同仮契約へ
p214
[2] 大日本麦酒の成立
p216
(1) 3社合同なる
p216
(2) 馬越恭平、社長に就任
p217
(3) 原料国産化とビール輸出拡大を基本方針に
p218
(4) 旧3社融合の努力
p219
(5) さらに大合同を策す
p222
[3] ビール業界のリーダーに
p223
(1) シェア70%以上を確保
p223
(2) 強気の経営を展開
p225
(3) ミュンヘンビールを発売
p227
(4) 札幌ビール会の誕生
p228
サラマンダー礼式
p229
(5) 麦酒税法の改正とその影響
p230
[4] 原材料自給と技術の近代化を目指して
p231
(1) 原料国産主義を貫く
p231
(2) 米などの副原料を使用
p233
(3) 工務部製造課に試験係を設置
p235
(4) 馬越社長の欧米視察
p236
(5) 製びんの近代化
p236
札幌支店で製びん工養成
p238
(6) 王冠の使用を開始
p239
[5] 清涼飲料水市場へ進出
p240
(1) 「シトロン」発売
p240
(2) 商品の多様化へ
p241
第2章 大正期の大日本麦酒
p244
[1] 大戦景気とビール業界
p244
(1) ビール愛飲層の広がりと投資の拡大
p244
(2) 麒麟麦酒の発展
p245
カフェーライオン開店
p245
(3) 日本麦酒鉱泉(株)の成立
p246
(4) 帝国麦酒(株)の成立と苦難
p247
(5) 日英醸造、東洋醸造の参入
p249
[2] 海外の生産拠点第1号-青島工場
p250
(1) ビール輸出に本腰
p250
(2) アングロ・ジャーマン・ブルワリーの買収
p252
[3] 設備の拡充進む
p254
(1) 既設工場の増強
p254
(2) 博多工場の稼動
p256
(3) 名古屋工場の稼動
p257
(4) 高収益で高配当実施
p258
[4] 関東大震災発生
p258
(1) 関東地区工場に大被害
p258
(2) 工場の復興に着手
p259
(3) 復興と合同20周年
p260
御大典記念ビールの発売
p261
第3章 昭和前期の大日本麦酒
p262
[1] 販売競争の激化と3社協定の成立
p262
(1) 設備過剰と乱売合戦
p262
(2) 3社協定の成立
p263
(3) 桜麦酒の加入で4社協定へ
p264
(4) 日本麦酒鉱泉、桜麦酒の4社協定脱退
p265
(5) 輸出統制-帝国麦酒輸出組合の設立
p267
[2] 日本麦酒鉱泉の合併
p268
(1) 昭和初期の大日本麦酒-倍額増資とその後の苦境
p268
(2) 馬越社長、再度の大合同画策と死去
p269
(3) 日本麦酒鉱泉の合併
p270
(4) 大橋会長・高橋専務の新体制
p272
銀座ビルの竣工と本社の銀座移転
p272
[3] 麦酒共同販売(株)の設立
p273
(1) 麦酒共販会社の発足
p273
(2) ビール値上げ問題と重要産業統制法
p274
(3) 寿屋の撤退、桜麦酒も共販体制下に
p276
[4] 酵母剤「エビオス」の発売
p276
(1) エビオス発売
p276
(2) パン酵母、ビタミンCの製造
p278
ビタミンビールの登場
p278
[5] 海外進出の積極化
p279
(1) 海外進出の概況
p279
(2) 朝鮮麦酒(株)の設立
p282
(3) 満州麦酒(株)の設立
p283
(4) 哈爾賓麦酒(株)と大満州忽布麦酒(株)
p285
(5) 北京麦酒(株)の設立
p286
(6) 高砂麦酒(株)への経営参加
p286
(7) バリンタワク麦酒醸造(株)の設立
p287
[6] 招聘されたドイツ人技師たち
p289
(1) ビール製造技術の見直し
p289
(2) リューエルス博士の問題提起と改善策
p290
(3) 3人のドイツ人技術者を招聘
p291
目黒工場に少年養成工教習所発足
p291
[7] 合同30周年を迎える
p292
(1) 合同30年、札幌工場創業60年
p292
(2) 共栄(株)と日本硝子(株)の設立
p293
第4章 戦時統制下の大日本麦酒
p296
[1] 高橋龍太郎の社長就任
p296
(1) 高橋新社長の就任と欧米視察
p296
高橋龍太郎小伝
p296
(2) 製造量、戦前最高に
p297
[2] ビール増税と酒類販売免許制
p298
(1) 戦時増税と庫出税への転換
p298
(2) 酒類販売に免許制
p299
[3] 公定価格と配給制
p299
(1) ビール「マル公」時代へ
p299
(2) 家庭用ビールに配給制
p300
ビールの泡裁判
p300
[4] 統一商標の採用
p302
(1) 酒類業団体法の制定と配給ルートの一元化
p302
(2) 銘柄別ラベルの廃止とビールびんの共用
p303
[5] 原料確保に必死の対応
p305
(1) ビール大麦契約栽培の中止と日本麦酒原料(株)の設立
p305
(2) “ホップ危機”と自給体制
p305
(3) 原材料対策に土地の大量取得へ
p307
[6] 企業整備令による工場の統廃合
p308
(1) 半田工場を中島飛行機(株)へ譲渡
p308
(2) 桜麦酒(株)を合併
p309
各工場の銅像も供出
p309
(3) 全工場の軍用転換を通達される
p310
第5章 終戦から復興へ
p312
[1] ビール製造再開へ
p312
(1) 在外資産の喪失
p312
(2) 被災工場の復旧
p313
(3) 酵母M2の再生
p314
[2] 食糧危機とビール原料
p315
(1) 占領軍の製造停止命令
p315
(2) ビール大麦の払下げとホップの緊急輸入
p316
[3] 終戦後の販売機構と配給制度
p317
(1) 進駐軍へ優先出荷
p317
(2) 配給統制会社から配給公団へ
p318
(3) インフレとビール価格
p319
[4] 労働組合の結成
p321
(1) 川口工場に労組結成
p321
(2) 大日本麦酒従業員組合連合会の結成へ
p321
第6章 戦中戦後の発酵技術の展開
p323
[1] (財)大日本麦酒科学研究所の開設
p323
(1) 科学研究所の設立
p323
(2) (財)大日本麦酒科学研究所へ
p324
[2] 戦時下、発酵技術で2新会社設立
p325
(1) 大日本ビタミン製薬(株)設立へ
p325
(2) 新居浜化学工業(株)の設立と展開
p325
[3] ペニシリン、ストレプトマイシンの開発
p327
(1) ペニシリンの開発
p327
(2) タンク培養技術の確立
p328
(3) ストレプトマイシンの開発成功、そして撤退へ
p329
第4編 大日本分割-新生日本麦酒 昭和24年-昭和38年(1949-1963)
p331
中口絵
p331
第1章 大日本麦酒(株)の分割
p339
[1] 分割案浮上
p339
(1) 大日本麦酒首脳、自主分割の方向を探る
p339
(2) 集中排除法の指定通知を受ける
p342
(3) 持株会社整理委員会の事実認定と聴聞会
p344
(4) 分割決定指令と臨時整備本部の設立
p347
[2] 日本麦酒(株)、朝日麦酒(株)への分割
p349
(1) 分割遅れる-日本硝子の抵抗
p349
(2) 分割の概要
p350
(3) 共栄(株)と日本硝子(株)の分割
p352
(4) 大日本麦酒の軌跡
p353
第2章 ビール業界の復興と新生日本麦酒(株)の発足
p355
[1] ビール業界の復興
p355
(1) 配給から自由販売へ
p355
(2) 戦後のビール税の推移
p356
(3) 卸売制度の復活
p357
(4) ビヤホール復活
p358
[2] 新生日本麦酒の出発
p359
(1) 柴田常務、社長に就任
p359
(2) 新ブランド「ニッポンビール」の発売
p361
(3) 「ニッポン」ブランドの広告活動
p363
(4) 経営諮問委員会の発足
p364
第3章 「ニッポンビール」の苦戦
p365
[1] 伸びるビール消費と生産
p365
(1) ビール消費、急速に回復
p365
(2) 新酒税法と麦酒酒造組合の設立
p365
[2] 販売、生産体制の整備
p367
(1) 市場分割合意とその解消
p367
(2) 西日本の販売網を急ピッチで整備
p368
(3) 増資と製造体制強化
p370
(4) 国産原料生産の再開
p370
[3] 新ブランド売込みに全力
p372
(1) 競争本格化-都市部の業務用に重点
p772
手形決済方式を導入
p374
(2) 多彩な広告宣伝活動を展開
p375
[4] 「ニッポンビール」の苦戦
p376
(1) 新ブランドの弱み
p376
(2) 市場の偏りに泣く
p377
第4章 「サッポロビール」の復活
p379
[1] ビール業界、高度成長の30年代へ
p379
(1) 高度成長とビール消費の急拡大
p379
(2) キリン、独走体制へ
p380
(3) 各社、製造能力を急ピッチで拡大
p381
ビール容器と計量法
p382
(4) ビール、統制価格から基準販売価格へ
p383
(5) 缶ビール登場
p383
[2] 「サッポロ」、北海道で復活
p384
(1) 北海道で「サッポロ」の復活発売
p384
(2) 「サッポロ」、全国復活を決断
p385
(3) 「サッポロ」「ニッポン」一挙に逆転、商標一本化
p387
(4) 缶入りサッポロビールの発売
p389
[3] 販売強化策の展開
p390
(1) 関西市場など販売網の強化
p390
出荷100万石突破
p391
(2) 特約店・酒販店の支援、強化策の展開
p392
(3) 「サッポロ会」の結成などファンの組織化
p393
[4] 広告活動本格化
p395
(1) 宣伝部設置
p395
(2) ミュンヘン・サッポロ・ミルウォーキー
p396
納涼ビール電車走る
p396
(3) PR映画「ビール誕生」「サッポロ物語」
p397
(4) PR誌『サッポロ』の発刊
p398
[5] 組織・制度の近代化を推進
p399
(1) 本社の組織を整備
p399
(2) 伝票式会計制度の導入
p399
(3) ビヤホール3社を日本共栄に合併
p400
[6] 柴田社長在職12年の奮闘
p401
(1) 「ニッポン」と「サッポロ」のはざまで
p401
(2) 業績と増資の推移
p401
第5章 清涼飲料水事業の展開
p403
[1] リボンブランドの復活
p403
(1) リボンシトロンの復活発売
p403
(2) リボンジュースの発売
p404
[2] 清涼飲料水事業の拡大
p405
(1) 飲料水市場拡大へ
p405
(2) 各種飲料水の一挙投入
p406
(3) 飲料水製造設備の整備、拡張
p408
(4) リボン復活広告とテレビCM
p408
(5) 日本柑橘工業(株)と国際飲料(株)の設立
p409
第6章 経営規模拡大への対応
p411
[1] 新競合時代始まる
p411
(1) 宝酒造(株)の参入
p411
(2) 沖縄ビール(株)の設立
p412
(3) サントリー(株)の参入
p412
[2] 松山副社長、社長に就任
p413
(1) 技術者社長の誕生
p413
(2) 経営規模拡大で増資へ
p414
[3] 「サッポロジャイアンツ」の発売
p415
(1) 徳用びんの“生”ビール登場
p415
特大びん詰ビール小史
p416
(2) 瞬間殺菌生ビール
p417
[4] 原料問題への取組み
p418
(1) ビール大麦取引と全販連問題
p418
(2) 製麦設備の拡張と日本農産加工(株)の設立
p419
(3) 長野忽布東信分場、岩手忽布作業所の開設
p421
[5] 事務機械化の推進
p422
(1) 能率委員会の新設
p422
(2) 事務機械化5カ年計画スタート
p423
[6] ビール大量輸送への対応
p424
(1) 輸送問題クローズアップ
p424
(2) 東京支店、輸送合理化に先鞭
p425
(3) 直系運輸会社の設立へ
p426
[7] 朝日麦酒との合併問題
p428
(1) 合併問題の発端
p428
(2) 合併問題の再燃と決着
p429
第7章 海外技術の導入と設備の拡張
p431
[1] 海外新技術の導入
p431
(1) 松山常務の欧米視察
p431
(2) 海外新技術を導入
p432
(3) 設備拡張と資金手当
p433
[2] 大阪工場の新設
p434
(1) 大阪に新設第1号工場
p434
(2) 東洋一の新工場
p435
[3] 各工場の設備拡張と能力増強
p437
(1) 製麦関係設備
p437
(2) 醸造関係設備
p438
(3) 製品工程関係設備
p440
(4) (株)新光製作所の設立
p441
第8章 新時代の労使関係と従業員諸制度
p442
[1] 新たな労使関係のスタート
p442
(1) 日本麦酒労働組合の結成
p442
(2) 労働協約と賃上げスト
p442
ストライキとビール取付け騒動
p443
[2] 従業員諸制度改正への模索
p444
(1) 新給与制度と賞与支給方式
p444
(2) 労働条件の改善進む
p444
(3) 福利厚生制度への取組み
p445
[3] 従業員の能力向上
p446
(1) TWIと提案・研究論文制度
p446
(2) MTPによる管理者訓練
p446
[4] 社内一体感の醸成
p447
(1) 硬式野球部の活躍と社内体育大会
p447
(2) 各事業場で場内報の刊行
p448
社内報『麦苑』小史
p449
第5編 社名変更-サッポロビール 昭和39年-昭和51年(1964-1976)
p451
中口絵
p451
第1章 サッポロビール株式会社に社名変更
p459
[1] ビール業界、安定性長期に入る
p459
(1) 日本経済の高度成長とビールの安定成長
p459
(2) 競争の新局面
p459
[2] サッポロビール(株)に社名変更
p460
(1) 社名変更
p460
(2) 組織の整備と拡充
p461
[3] 商品多様化戦略の展開
p462
(1) 多様化路線の新商品群
p462
(2) 「ギネススタウト」発売とサッポロ・ギネス(株)の設立
p463
(3) アルミ缶の採用と缶ビール自動販売機の導入
p464
[4] 業容の拡大に対応した松山社長
p465
(1) 商品多様化に先鞭
p465
(2) 100億8,000万円に増資
p466
第2章 市場・消費者への積極対応
p467
[1] 4社競合へ
p467
(1) 生ビール時代への助走
p467
(2) タカラビールの撤退
p467
(3) 破びん事故、不当表示問題への対応
p468
[2] 野々山専務の社長就任
p470
(1) 松山会長、野々山社長体制へ
p470
(2) 業績評価制度の導入
p470
[3] 新タイプのビールで多様化を推進
p471
(1) 高濃度ビール「サッポロファイブスター」の発売
p471
(2) 「サッポロライト」の発売
p472
(3) 重点地区で「びん詰サッポロ生ビール」発売へ
p473
(4) ビール贈答券の発売
p474
ビール券物語
p475
[4] サッポロファンづくりを推進
p476
(1) 品質訴求と目かくしテスト
p476
(2) バイサッポロ運動の全社的展開
p477
スターレディーの会誕生
p477
[5] 野々山社長の采配
p478
(1) 経営変革点での指揮
p478
(2) 業績の伸び悩み
p478
第3章 経営体制を改革
p480
[1] 消費者層の拡大とビール値上げ問題
p480
(1) ビール、全酒類の60%を超える
p480
(2) たび重なるビールの値上げと行政の動き
p480
[2] 内多副社長の社長就任
p482
(1) 長期経営計画の策定と経営新体制
p482
(2) 若返り人事を推進
p484
(3) 全社統一社内報『麦苑』の発行
p484
[3] 経営強化に全力
p485
(1) 販売組織を拡充
p485
(2) 家庭用市場などへの努力
p486
[4] ヱビスビール、28年ぶりの復活
p487
(1) “ヱビス復活”のシナリオ
p487
ビール純粋令(Reinheitsgebot)
p487
(2) 「名品、いまよみがえる」
p488
[5] 内多社長、販売主導の経営
p489
(1) 積極策が裏目に
p489
(2) さらに減配
p490
第4章 健全経営への見直し
p491
[1] 第1次石油危機とビール業界
p491
(1) 石油危機、日本経済を直撃
p491
(2) ビール業界の対応
p491
[2] 門脇専務の社長就任と石油危機への対応
p492
(1) 門脇専務の社長就任
p492
(2) 石油危機に全社で対応
p493
(3) 緊縮策と組織の整備
p494
[3] サッポロビール創製100年を迎える
p495
(1) サッポロ創製100年記念
p495
(2) 本社新社屋の建設
p495
[4] 堅実経営に努めた門脇社長
p496
(1) 財務体質の強化
p496
(2) 資本金130億円へ
p497
業界初の正月ビール「賀春」
p497
第5章 設備拡張とセラミックフィルター開発
p498
[1] 当社、4工場を新設
p498
(1) 昭和40年代の各社新設ビール工場
p498
(2) 札幌第2工場の新設
p498
開拓使麦酒記念館の落成
p499
(3) 宝酒造木崎麦酒工場を買収、北関東工場へ
p500
(4) 仙台工場の新設
p501
(5) 飲料水専門の厚木工場竣工
p501
[2] 既存工場の増設
p502
(1) 大阪、門司、名古屋各工場の増設
p502
(2) 空びん検査機の開発とナショナルクラウン(株)への資本参加
p503
(3) 樽生ビールの供給力強化
p504
ポリエチレンジスク王冠の使用始まる
p504
[3] セラミックろ過システムの開発
p506
(1) 生ビールろ過システムの開発試験
p506
(2) 大阪工場、無菌ろ過研究の端緒
p506
(3) セラミックフィルターに統一
p507
[4] 公害問題への対処
p508
(1) 公害対策基本法とビール業界
p508
(2) 各工場に排水処理設備を設置
p508
[5] 昭和40年以降の原料事情
p510
(1) 激減した国産ビール大麦と製麦場の閉鎖
p510
(2) 国産ホップの生産減少と産地の移動
p511
[6] 三田用水裁判と取水の停止
p512
(1) 大日本麦酒時代の目黒工場と三田用水
p512
(2) 三田用水の水利権と水路敷所有権をめぐる訴訟
p513
(3) 三田用水からの取水停止
p514
第6章 物流合理化と事務機械化の推進
p515
[1] 物的流通に脚光
p515
(1) 物流コストの高騰
p515
(2) 物流意識の高揚
p516
[2] 一貫パレチゼーション化への軌跡
p516
(1) アンケーサー、ケーサーなどの導入
p516
(2) P箱化の推進
p518
(3) 一貫パレチゼーションへの取組み
p519
[3] 地域別物流体制の推進
p520
(1) 物流管理室の新設
p520
(2) 各地に運輸会社の設立続く
p521
[4] 第2次事務機械化5カ年計画のスタート
p522
(1) コンピューターの本格稼動へ
p522
(2) 大量反復事務の機械化と対象業務の拡大進む
p523
(3) 地方事業場の事務機械化計画
p524
第7章 揺れた清涼飲料水施策
p526
[1] 品種多様化を推進
p526
(1) 昭和40年代の清涼飲料水市場
p526
(2) 「リボンサイダー」発売
p527
[2] チクロショックへの対応
p528
(1) チクロ問題の発生
p528
(2) リボンシトロンの全糖化
p528
[3] 飲料水3社の設立
p529
(1) 東京リボン飲料(株)、サッポロリボン飲料(株)の設立
p529
飲料水のフロック問題
p529
(2) (株)日本水質研究所の設立
p531
(3) 自販機用缶入り商品の拡充急ぐ
p531
第8章 不動産活用など関連事業の本格化
p533
[1] 不動産関連事業の推進
p533
(1) 多角化への組織づくり
p533
(2) 星和不動産(株)の設立
p534
(3) その後の不動産会社新設
p535
(4) ビール園事業の拡大
p536
成吉思汗鍋の由来
p537
(5) (株)成城グリーンプラザなどの設立
p538
[2] 工場副産物の事業化
p539
(1) ビール粕などの有効利用
p539
(2) 酵母エキスの開発
p540
酵母エキス入りクラッカーの開発
p540
第9章 人事・勤労関係諸制度の新展開
p542
[1] 人事制度の整備
p542
(1) 新従業員制度の導入
p542
(2) 研修制度の整備進む
p544
[2] 勤労関係での新施策
p545
(1) 労使の対立と勤労部の新設
p545
(2) 定年延長と労働時間短縮
p545
(3) 省力化への取組み
p546
(4) 社宅などの整備と社員持株会の発足
p547
第6編 生ビールを基本に-黒ラベル 昭和52年-昭和63年(1977-1988)
p549
中口絵
p549
第1章 ガリバー型寡占下での生ビール戦略
p557
[1] 独禁法の改正と公正競争規約の制定
p557
(1) 独占禁止法改正問題
p557
(2) 公正競争規約の制定
p558
(3) 4度にわたるビールの増税と業界の対応
p560
[2] 「キリンラガー」対「生」戦争の激化
p562
(1) 消費者に支持された生ビール路線
p562
(2) 新容器戦争へ
p563
[3] 河合専務の社長就任
p563
(1) 河合社長体制へ
p563
(2) 生ビール戦略の推進を宣言
p564
(3) 経営効率化の推進
p565
[4] 「サッポロびん生」の発売
p566
(1) 注文殺到の「サッポロびん生」
p566
(2) 「びん生」拡大へ
p567
愛称「黒ラベル」の誕生
p567
(3) 生ビール、新たな潮流に
p568
[5] 新容器生ビールの積極投入
p569
(1) 家庭用小型樽と「サッポロぐい生」のヒット
p569
PET容器と“飲み頃サイン”表示
p570
(2) 各種缶ビールの展開
p571
[6] 消費行動の変化と販売促進
p572
(1) テイクアウト型重視-店陳店装活動の積極化
p572
(2) クリーンアップ作戦の展開など
p573
[7] 企業体質の強化
p574
(1) 河合社長時代の経営
p574
(2) 創立30周年を迎える
p575
第2章 ビール市場大変動への対応
p576
[1] 容器から中身新商品の競争へ
p576
(1) 低成長が続く市場への対応
p576
(2) 中身多様化への転換
p577
(3) 「生」と「缶」の伸長
p578
(4) 「チューハイ」ブームの到来とビール増税の影響
p579
(5) 容器リサイクル問題への取組み
p580
[2] 高桑専務の社長就任
p582
(1) 河合会長、高桑社長体制へ
p582
(2) 「複合経営」ビジョンの提唱
p583
(3) 北海道本社の開設と経営会議の新設
p583
[3] 高品質のビールを追求
p584
(1) 「サッポロ冬物語」など異色商品の開発
p584
(2) 海外有力ビールの発売
p586
[4] ドライ戦争への対応
p587
(1) 「スーパードライ」登場の衝撃
p587
(2) 「サッポロ生ビール★ドライ」でドライ市場に参入
p588
(3) 「サッポロクールドライ」の投入とドライ戦線からの撤退
p590
(4) ドライ戦争による広告宣伝費の大量投入
p590
[5] ドライを乗り越え新局面へ
p591
(1) 「びん生」から「ドラフト」へのリニューアル
p591
(2) 「サッポロドラフト」発売と酒販店、消費者からの反発
p592
[6] 市場変化のなかのマーケティング活動
p593
(1) マーケティング部の新設と消費者行動への対応
p593
(2) 酒販店に対する販売支援活動
p594
(3) 大型料飲店などへの新たな取組み
p596
(4) 地域社会との関係を強化
p597
[7] 複合経営への図式を示した高桑社長
p598
(1) 次代へ向けての路線
p598
(2) 財務体質を強化
p598
第3章 ビール製造部門の新展開
p600
[1] セラミックフィルターの全面採用
p600
(1) セラミックフィルター、各工場へ導入
p600
(2) 海外へのセラミックろ過システムの技術供与
p602
[2] 微生物管理の徹底
p603
(1) 品質管理センターの新設
p603
(2) 乳酸菌混入事件
p605
[3] 静岡、千葉、北海道3工場の建設
p606
(1) ビール各社の新工場建設進む
p606
(2) ZKタンクの導入
p607
(3) 静岡工場の建設とコンピューターによる集中管理
p609
(4) コンピューターとアメニティ重視の千葉工場建設
p611
(5) ビール公園工場を実現した北海道工場の建設
p613
[4] 既存工場の能力増強と一部工場の閉鎖
p615
(1) 既存工場の増設と設備の更新
p615
(2) 公害防止関連設備の拡充
p618
(3) 恵比寿工場、札幌工場第1製造所の閉鎖と工場名の改称
p619
[5] 国際化した原材料調達
p620
(1) 増大する輸入麦芽と内外価格差
p620
(2) 麦芽のコンテナ、バルク輸入の開発
p621
工場から貨車輸送側線消える
p622
(3) 内外ホップの消長と高品質指向
p623
(4) 輸入原料の規格設定と安全性の確保
p624
(5) アメリカ・レスコ社による容器・包装の見直し
p626
第4章 飲料水市場への新たな対応
p627
[1] 新ブランドの積極的投入
p627
(1) 飲料水事業再建への決意表明
p627
(2) 「リボン」ブランドの拡充と「リボンうめ20」のヒット
p628
(3) 「サッポロビヤーズ」など新ブランドの投入
p629
[2] 製造・販売体制の刷新
p631
(1) 飲料水製造の外部委託
p631
(2) アメリカ・ハンセンフーズ社への製造委託と解消
p632
(3) サッポロビール飲料(株)の発足
p633
第5章 ワイン、洋酒事業への進出
p635
[1] ワイン事業進出の背景
p635
(1) ワインへの進出構想
p635
(2) ワインの自社ブランドによる製造と販売の提案
p635
[2] サッポロワインの誕生
p636
(1) W-計画委員会の発足とワイン国産化の決断
p636
(2) 丸勝葡萄酒(株)の買収とワイン醸造
p637
(3) ワイナリー竣工とサッポロワイン(株)への社名変更
p638
(4) サッポロワイン「ポレール」の誕生
p638
ポレールも五稜星
p639
[3] 徹底した後発戦略の成果
p640
(1) ワイン市場の拡大と当社の基本戦略
p640
(2) 独自のシリーズ商品で差別化
p641
(3) 拠点構築と啓蒙活動の重点的な展開
p642
[4] ポレールの躍進
p643
(1) 岡山ワイナリーの竣工
p643
(2) ラベルの変更と裏ラベルへのワイン情報表示
p645
[5] 洋酒事業の展開
p645
(1) サッポロ洋酒(株)の設立と輸入洋酒の販売
p645
(2) ブランデーの製造と販売
p647
第6章 物流高度化の推進と情報システムの構築
p648
[1] 地域別物流から広域物流へ
p648
(1) 転換を迫られた地域別物流
p648
(2) 静岡工場による広域物流への対応
p649
(3) 物流関係会社の集約
p649
[2] 自動倉庫の建設
p651
(1) 千葉工場に自動倉庫を建設
p651
(2) 本社コンピューターと工場物流を連動
p652
[3] 会計情報システムの開発と全社的展開
p653
(1) 「会計情報システム」開発プロジェクトの発足
p653
(2) 基幹業務のシステム構築と展開
p654
(3) 地区サブセンターの開設と「会計情報システム」の導入
p655
(4) 「会計情報システム」の完成と効果
p655
[4] オンライン・リアルタイム化の推進
p656
(1) 中期業務計画と物流オンラインシステムの開発
p656
(2) 情報オンライン業務の拡大
p657
(3) 工場事務部門の統合と地区別経理体制への移行
p658
第7章 関連事業の新展開
p660
[1] 不動産部門、本体事業へ
p660
(1) 不動産部の新設と星和不動産(株)の吸収
p660
(2) 新宿エルタワーなどの建設
p660
(3) ビール園事業の多面展開
p661
(株)ニュー・トーキョーの躍進
p662
(4) 各地にスポーツクラブを開設
p664
(5) マンション事業への進出
p664
(6) 多目的貸スタジオ「ファクトリー」の直営
p665
(7) 当社の不動産事業の特色
p666
特住総について
p666
[2] (株)サッポロライオンの躍進
p667
(1) 社名変更と東証第2部への上場
p667
(2) 新業態開発の積極展開
p668
(3) 海外進出
p670
[3] 新事業領域への進出と関連事業の整理
p671
(1) 新事業開発への挑戦
p671
(2) 関連事業の整理
p674
第8章 海外ビジネスの多面的推進
p675
[1] アメリカ市場での活躍
p675
(1) ニューヨーク駐在員事務所の開設
p675
(2) 意表をついた「びん生」大びんの投入
p675
(3) 家庭向け販促活動の展開
p677
(4) 米国サッポロ(株)の設立とアメリカ系ルートの拡大
p678
(5) 「サッポロカップ生」でアメリカ輸出トップに
p679
(6) ヨーロッパ、中国市場へ
p680
[2] 中国事業の展開
p681
(1) 中国ビジネスの端緒
p681
(2) 中国室の発足
p682
(3) 大連市、北京市で外食事業
p682
(4) 合弁ホテル事業の推進
p683
(5) アグリ分野で3事業
p684
第9章 新人事制度の制定と労働条件の改善
p687
[1] 労使関係の環境変化と対応
p687
(1) 労使交渉の変容
p687
(2) 労働時間の短縮と休日の拡大
p688
(3) 恵比寿、札幌両工場の移転問題への取組み
p689
[2] 新人事諸制度の制定
p690
(1) 新人事諸制度制定の経緯
p690
(2) 60歳定年制の実現と退職金支給制度の改定
p691
(3) 賃金制度、年金制度の改革
p692
(4) 職能資格制度の導入
p693
第10章 研究開発の展開
p695
[1] 醸造科学研究所からサッポロ生物科学振興財団へ
p695
(1) (財)醸造科学研究所への改称と業績
p695
(2) (財)サッポロ生物科学振興財団の設立
p696
[2] 拡大する研究分野
p697
(1) 中央研究所の設立と技術開発室の開設
p697
(2) 総合研究所への改組と応用開発研究所の分離
p698
(3) 中央研究所と応用開発研究所の焼津市への移転
p699
(4) ビールの製造、品質向上に貢献した研究成果
p699
(5) 飲料食品研究所の独立と再編成
p700
(6) 飲料水、食品の研究開発状況
p701
[3] 大麦・ホップ育種の展開
p702
(1) 戦後のビール大麦育種体制
p702
(2) 日本のビール大麦主要品種を育成
p703
(3) ホップの研究施設と業績
p704
[4] 研究開発体制の再編成
p705
(1) 研究開発の中枢としての研究開発本部
p705
(2) 醸造技術研究所と植物工学研究所の新たな研究分野
p705
[5] 医薬開発への挑戦と撤退
p708
(1) 医薬開発の端緒
p708
(2) 医薬開発研究所の設立
p709
(3) 医薬開発からの撤退
p710
第7編 複合経営へ-サッポロ新時代 平成元年-平成7年(1989-1995)
p713
中口絵
p713
第1章 新局面の経営
p721
[1] 平成の経営環境
p721
(1) 当社の経営課題
p721
(2) 荒川副社長の社長就任
p722
(3) 激動する平成
p723
[2] 経営諸施策の展開
p724
(1) 手づくりのCI
p724
(2) 人事制度の刷新
p728
(3) 総合福祉施策
p730
第2章 ビール事業の再構築
p732
[1] ビール業界の新局面
p732
(1) 酒税法などの抜本改正
p732
(2) “最後”のビール価格改定
p733
(3) 商品開発競争
p734
[2] 積極的な商品戦略
p735
(1) 「黒ラベル」復活発売
p735
(2) 新ジャンル商品開発
p735
[3] 激動する市場と販売策
p737
(1) テイクアウト市場への取組み
p737
(2) 缶ビールと樽生ビールの拡大策
p738
(3) 市場変化と営業組織
p739
[4] 次代に即応する製造部門
p740
(1) 続々と新商品発売
p740
(2) ミニブルワリー設置と技術アカデミー開校
p742
(3) 新製麦工場の稼動
p743
第3章 事業部自立を目指して
p745
[1] 飲料水事業の躍進
p745
(1) 飲料水事業、黒字化へ
p745
(2) 躍進の足取り
p746
[2] ワイン洋酒事業部の努力
p747
(1) 厳しい市場環境
p747
(2) 国産ワイン第3位へ
p748
[3] ビール周辺技術を生かした事業
p749
(1) 種苗会社を目指すアグリ事業部
p749
(2) プラント事業部の活躍
p750
第4章 都市開発事業発進
p752
[1] 再開発への道
p752
(1) 経営の重点課題
p752
(2) 「情報文化都市」構想
p752
[2] サッポロファクトリー
p753
(1) 札幌工場第1製造所の跡地開発
p753
(2) 「生活工房」構想へ
p754
(3) 札幌初の複合施設完成
p755
[3] 複合都市「恵比寿ガーデンプレイス」
p757
(1) 巨大プロジェクト始動
p757
(2) サッポロの新しい顔誕生
p758
第5章 21世紀へ向かって
p761
[1] 荒川社長の積極策
p761
(1) 局面打開へ
p761
(2) 長期経営構想の策定
p763
[2] 枝元副社長の社長就任
p764
広告宣伝編 もうひとつのサッポロビール史
p767
資料
p811
I 経営と組織
p811
I-1 経営の基本理念
p811
・大日本麦酒(株)
p811
・サッポロビール(株)
p811
I-2 沿革系統図
p812
I-3 定款
p814
I-3-1 原始定款
p814
・日本麦酒醸造会社
p814
・大日本麦酒(株)
p816
・日本麦酒(株)
p818
I-3-2 定款の主な変更
p820
I-3-3 現行定款
p821
I-4 役員在任期間一覧
p824
・大日本麦酒(株)
p824
・日本麦酒(株)・サッポロビール(株)
p826
I-5 組織
p831
I-5-1 主な変遷
p831
・明治39年
p831
・大正6年
p831
・昭和18年
p832
・昭和24年~平成7年の本社組織変遷図
p838
I-5-2 現行組織
p840
I-6 事業場
p840
I-6-1 事業場の概要
p840
・事業場所在地一覧
p840
・支社の概要
p842
・工場の概要
p844
I-6-2 支社の沿革
p846
I-7 情報システム
p848
I-7-1 主な変遷
p848
I-7-2 全社コンピュータ配置とネットワーク
p851
II 財務と株式
p852
II-1 業績・資本金の推移
p852
・大日本麦酒(株)の業績・資本金推移
p852
・日本麦酒(株)・サッポロビール(株)の業績推移
p854
・日本麦酒(株)・サッポロビール(株)の資本金推移
p856
II-2 大株主および株主分布状況
p857
・大株主
p857
・所有者別株主分布
p857
・所有株数別株主分布
p857
II-3 株価の推移
p860
II-4 主要商品別売上高の推移
p861
III ビールと税金
p862
III-1 ビールに関する酒税法などの沿革
p862
III-2 ビール小売価格およびビールに対する課税額の変遷
p863
III-3 国税と酒税、ビール税の割合
p866
IV 生産
p867
IV-1 ビール製造量の推移
p867
・明治9年~明治38年
p867
・明治39年~昭和24年
p868
・昭和24年~平成6年
p869
IV-2 製造工程図
p870
・ビール
p870
・清涼飲料水-リボンシトロン(缶詰)
p871
・清涼飲料水-リボンオレンジ(びん詰)
p871
V 技術と設備
p872
V-1 工場レイアウトの変遷
p872
・札幌工場-明治39年
p872
・札幌工場-昭和24年
p873
・札幌工場-昭和60年
p874
・目黒工場(部分)-明治39年
p875
・目黒工場-昭和22年
p876
・恵比寿工場-昭和60年
p877
V-2 技術・設備の変遷
p878
VI 商品
p882
VI-1 商品発売年表
p882
・ビール
p882
・清涼飲料水
p886
・ワイン、洋酒その他
p892
VI-2 現行商品一覧
p902
・ビール
p902
・清涼飲料水
p902
・ワイン
p904
・発泡酒、その他
p904
・輸入ワイン
p905
・輸入洋酒、その他
p909
VII 人事・教育・福利厚生
p910
VII-1 従業員
p910
・事業場別従業員数の推移
p910
・従業員数・賃金などの推移
p912
・役員数の推移
p913
VII-2 教育研修
p914
VII-3 福利厚生制度
p916
VII-4 寮、社宅
p917
VIII 関連会社
p918
年表
p931
索引
p981
主要参考・引用文献
p1001
ご協力いただいた方々
p1007
あとがき
p1008
索引リスト