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日清製油(株)『日清製油六十年史』(1969.11)
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目次項目
ページ
序
p1
第一編 創業の時代
p3
第一章 日清豆粕製造株式会社の創立
p3
一 大倉喜八郎、松下久治郎を知る
p3
二 会社の創立
p4
三 定款と営業目的
p7
四 大連工場設置と営口出張所開設
p15
第二章 満州油房(製油工場)の状況
p18
一 日本企業の満州進出
p18
二 会社創立期の経済情勢
p20
三 満州油房の起源
p21
第三章 社業の進展
p25
一 創業期の業況と松下商店との関係
p25
二 社業順調に推移
p26
三 特産売買部門設置
p28
四 本社移転と当時の状況
p29
五 高島社長の欧州視察
p30
第四章 波乱の時代
p32
一 雑穀類の取扱いを始める
p32
二 大正初期の業績不振と減資断行
p33
三 松下新社長就任
p35
四 世界大戦と当社の業績伸張
p36
第二編 大正年代の発展
p41
第一章 日清製油株式会社の発足
p41
一 大戦ブームと当社への影響
p41
二 商号ならびに営業目的の変更
p42
三 松下商店の合併と増資
p43
四 松下商店合併直後の業績
p47
第二章 松下久治郎商店概史
p49
一 その幼時
p49
二 小僧として転々
p50
三 肥料商を見習う
p50
四 肥料仲次人となる
p51
五 越前堀に店舗を持つ
p51
六 佐賀町に肥料問屋を開業
p52
七 豆粕に着眼する
p52
八 横浜での新商法
p54
九 松下豆粕製造所
p54
一〇 溌刺たる松下商店
p55
第三章 大戦ブームの反動と関係会社設立
p59
一 本社、現所在地に移る
p59
二 営業網の拡張
p60
三 大戦ブームの反動と当社の業績
p62
四 満州ペイント株式会社創立
p64
五 朝鮮肥料株式会社設立
p65
六 亀崎製油株式会社設立
p66
第四章 豆粕の黄金時代
p68
一 大正時代の大豆製油工場の実態
p68
二 流通肥料の過半数に達す
p71
三 板粕工場の完成とその本格的稼動
p74
四 毎船損益と当時の深川市場
p76
第五章 関東大震災と当社の対策
p79
一 震災による当社の被害
p79
二 当社の災害対策
p81
三 新鋭精製工場完成
p83
四 松下社長逝去と首脳陣の変動
p84
五 大正末年における不況と当社の業績
p86
六 青島工場設置
p87
第三編 不況の時代
p91
第一章 昭和初頭の不況
p91
一 わが国未曽有の金融恐慌
p91
二 金融恐慌と当社の危機
p92
三 当社の再建方策
p94
四 本社新社屋落成
p96
五 製品需要の減退と欧州向け輸出大豆の増大
p96
第二章 不況時代の対策
p100
一 難局に対処して
p100
二 事業ようやく多角化す
p102
三 不況期における経理状況と金融事情
p105
四 経営さらに悪化す
p107
五 営業網の縮小と人員整理
p109
第三章 不況から復興ヘ
p112
一 昭和不況時代の実相
p112
二 不況時代の明暗
p114
三 為替の調整勘定
p115
四 復興の機運動く
p116
第四編 社業興隆の時代
p123
第一章 満州油房の盛衰
p123
一 大戦による興隆の時代
p123
二 大戦後の衰退と需要の転換
p124
三 恐慌、拍車を加える
p126
第二章 体質の改善進む
p129
一 満州事変と当社の業況
p129
二 横浜工場、抽出設備新設
p131
三 大連工場、板粕圧搾設備増設
p131
四 製造工業本来の姿へ
p132
五 業績ようやく不振を脱す
p133
六 朝鮮肥料株式会社解散
p135
七 大連飼料工場設置
p136
第三章 社業興隆期を迎える
p137
一 苦節一〇年
p137
二 創立三〇周年を迎える
p138
三 対米蘇子油の輸出状況
p138
四 蘇子油粕の日本向け輸出
p140
五 松下社長就任
p140
第四章 会社興隆期閑話
p143
一 レクリエーションの復活
p143
二 休暇内地帰省旅行
p144
三 満州見学旅行
p145
四 奥地視察旅行
p146
五 大連工場閑話
p146
第五章 ますます事業の多角化をはかる
p149
一 米国の禁止的輸入関税
p149
二 当社興隆期の営業実績
p150
三 大連工場設備の新増設
p152
四 日清化学工業株式会社設立
p152
五 横浜工場敷地拡張
p155
六 日華事変と当社の業績
p155
第五編 戦時統制の時代
p159
第一章 臨戦体制への移行
p159
一 株式会社日清桟創立
p159
二 日清製油販売株式会社設立
p161
三 戦前の生産設備と稼動状況
p163
四 戦時統制経済初期の当社業績
p165
第二章 油脂の統制はじまる
p166
一 日本における油脂統制の状況
p166
二 帝国油糧統制株式会社の誕生
p168
三 統制直後の当社業態
p169
第三章 当社の戦時活動
p171
一 南方地域への社員派遣
p171
二 社団法人油脂製造業会発足
p173
三 戦時中の当社業績
p174
第六編 戦後復興の時代
p179
第一章 終戦時における当社内外の状況
p179
一 内地側の状況
p179
二 外地側の状況
p182
第二章 会社再建への努力
p189
一 再建発足までの社内情勢
p189
二 福田社長就任と役員の増員
p191
三 制限会社令の適用
p193
四 終戦後のわが国油脂業界
p194
五 戦後の油脂原料問題
p197
六 特別経理会社に指定される
p198
七 山梨醸造土場
p198
八 那須疎開工場
p201
九 横浜工場接収解除運動
p203
第三章 再建軌道にのる
p205
一 横浜工場の接収解除
p205
二 再建整備期間の当社業績
p206
三 北海製油株式会社合併
p207
四 日清醸造株式会社設立
p209
五 日清商事株式会社設立
p210
六 戦後初の配当
p211
七 食用油の製造再開
p212
八 油糧統制の撤廃
p214
九 業績の進展と増資
p215
第四章 朝鮮動乱とその影響
p217
一 動乱とわが製油業界
p217
二 動乱変動期の当社業績
p218
三 横浜工場抽出設備完成
p221
第七編 躍進向上の時代
p225
第一章 関西進出の宿願を達成
p225
一 那須および小樽工場閉鎖
p225
二 神戸支店ならびに神戸工場設置
p226
三 新たに一億円の増資
p227
四 福田社長逝去
p228
五 大阪支店設置
p230
第二章 創立五〇周年を迎える
p232
一 神戸工場火災復旧ならびに新設備
p232
二 坂口社長就任
p233
三 古沢相談役逝去
p234
四 業績好調を持続する
p236
五 創立五〇周年とその行事
p237
第三章 新鋭設備の導入
p238
一 坂口社長の欧米視察とデスメットの導入
p238
二 横浜工場、抽出ならびに精製設備を拡張
p239
三 中東動乱と当社の業況
p239
四 横浜工場デスメット連続抽出設備
p240
第四章 事業の新展開
p243
一 棉実製油稼動開始と新製品
p243
二 摂津製油株式会社、当社の傘下に入る
p244
三 日清製油研究所設立
p245
四 横浜根岸湾埋立地購入を決定
p246
五 本多相談役逝去
p250
六 営業網全国的に拡充
p251
第八編 飛躍の時代
p255
第一章 輸入原料の自由化
p255
一 業界の自由化対策
p255
二 大豆自由化と関税引上げ
p256
三 神戸工場、連続抽出設備完成
p257
四 山岸常務取締役逝去
p259
第二章 横浜磯子工場建設
p260
一 自由化と臨海大型工場
p260
二 横浜磯子工場完成
p261
三 日本油脂協会誕生
p263
四 社友の親睦会
p266
第三章 創立六〇周年を迎える
p270
一 東京本社社屋増築工事完成
p270
二 新川の歴史と当社との関係
p271
三 天保古銭発掘される
p272
四 米国大豆視察団と坂口社長
p277
五 日清製油健康保険組合の誕生
p285
六 創立六〇周年を迎える
p286
第四章 新しい飛躍をめざして
p288
一 坂口社長、国際製油業者大会に出席
p288
二 横浜磯子工場第二期建設工事
p290
三 食用油の日米共同PR
p292
四 繊維状大豆蛋白“ソイミー”発売
p293
五 発展期における販売の状況
p296
資料編
p301
一 資本金ならびに株式分野の変遷
p301
二 “日清サラダ油”の沿革
p305
三 宿舎制度の変遷
p313
四 従業員給与の推移
p318
五 労働組合
p326
六 往年の社則
p328
七 役員年代譜
p336
八 創立以来の業績の推移
p344
年表
p351
索引
p374
あとがき
p375
索引リスト