(株)帝国ホテル『帝国ホテル百年史 : 1890-1990』(1990.11)

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目次項目 ページ
ごあいさつ 取締役会長 小佐野政邦 取締役社長総支配人 犬丸一郎 巻頭
口絵 巻頭
沿革編 p1
序章 p1
舵輪とライオン―日本の「迎賓館」たる創意と努力の1世紀 p3
近代ホテルの幕開け p3
鹿鳴館の隣に出現したグランドホテル p5
帝国ホテルの特異な位置 p7
わが国都市ホテルの先駆け p9
帝国ホテル前史 p12
開国と日本人の西欧体験 p12
横浜に集中した初期のホテル p14
築地ホテル館そのほか p18
東京の居留地外における外国人止宿状況 p20
リゾート地のホテルとその他ホテル p24
マレーの『日本旅行案内』 p25
政府関係施設 p31
第1章 波瀾万丈の門出(創成期) p33
第1節 創業準備進む p35
1. 帝国ホテル発起人群像 p35
時代が必要とした人物・井上馨 p35
外国貴賓の接遇をどうするか p36
井上馨ら「一大客館」建設を計画 p39
気鋭の企業家精神が結集 p40
2. 開業までの事務的経緯 p43
有限責任東京ホテル会社 p43
有限責任帝国ホテル会社 p46
外務省所轄官有地の無地代借用 p49
3. 建築設計および工事の経緯 p53
官庁集中計画と帝国ホテル設計者 p53
工事中止の背景 p56
日本人建築家・渡辺譲の起用 p62
建物概要と設計思想 p63
第2節 開業と初期の業績 p66
1. 開かれた文明のエントランス p66
開業および開業披露宴 p66
七つの海を越えて p70
貴紳の宿泊と諸集会の場 p73
貴族院仮議場となる p76
帝国ホテルの調理場 p77
西洋料理と帝国ホテル p79
天長節夜会 p83
2. 試練の15年 p90
開業当初の陣容 p90
帝国ホテル株式会社に改組 p92
震災により本館を大破 p95
「往々一客ヲ留メサル」日々 p97
フライク兄弟の功績 p100
建物および施設設備の改善 p104
横山孫一郎のホテル事業論 p111
第3節 近代ツーリズムの波 p114
1. 喜賓会および海外定期航路 p114
喜賓会の活動とその意義 p114
わが国外航海運業界の発展 p118
2. 明治後半期のホテル業界 p120
活発化するホテル業界の動き p120
日本ホテル協会の発足 p124
東京および全国のホテル p128
ジャパン・ツーリスト・ビューローの設立 p130
第4節 明治末期における経営 p132
1. 株式会社帝国ホテルの発足 p132
メトロポールホテルを合併 p132
支店経営の不振 p135
2. 追いつめられた経営陣 p136
渋沢栄一取締役会長を辞任、大倉喜八郎取締役会長に就任 p136
すべての外国人の雇用を解く p138
明治帝国ホテル営業主要データ p139
第2章 刷新のビジョンと展開 p141
第1節 明治から激動の大正へ p143
1. 支配人林愛作の経営刷新 p143
林愛作スカウトの経緯 p143
ホテル経営理念の明確化 p146
大胆な設備投資と諸アイデアの実現 p150
ホテル新築の構想 p152
明治末期の営業成績 p156
2. 「世界の一等国」への道程 p158
第1次世界大戦と日本のアジア進出 p158
大正デモクラシーの光と影 p160
来日外国人数の推移 p162
第2節 新ホテルの建設 p165
1. 設計発注の経緯 p165
難航した用地問題 p165
内務省の新たな要求 p166
新ホテル設計者選定をめぐる経緯 p168
林支配人の渡米 p174
フランク・ロイド・ライトとの契約 p176
2. 工事着工へ p177
資本金を300万円とする p177
ミューラー技師との契約 p179
当初の新ホテル建築概要 p180
大谷石とスダレ煉瓦 p182
粘土層の上に浮かぶ大船 p185
3. 災厄を超えて工事進行 p192
別館を全焼 p192
ライトの執念と日本の職人技術 p195
ライトの帝国ホテル建築概算見積 p200
4. 工事遅延と予算超過 p204
資本金を600万円とする p204
工事大幅に長引く p207
本館の全焼 p210
取締役全員辞表提出 p216
借入金膨らむ p217
ライト、工事半ばで帰国 p219
第3章 ライト館の時代始まる p225
第1節 ライト館ついに落成 p227
1. 新体制を敷く p227
社長制を実施 p227
帝国ホテル事務章程の制定 p227
犬丸徹三、支配人に就任 p229
南翼部客室の工事 p230
2. 「人間の尺度」をもつ建物 p232
日比谷公園の緑とマッチ p232
文化の殿堂 p237
一女性記者の見た帝国ホテル p240
3. 関東大震災 p244
東京、横浜の壊滅 p244
帝国ホテルの震害 p246
従業員の活躍 p248
社会への奉仕 p250
第2節 大正期の帝国ホテル経営と国際観光 p256
1. 大戦ショックから好況へ p256
第1次世界大戦、ホテル業界を直撃 p256
空前の好況期を迎える p258
国際観光への認識の高まり p261
未完成に終わった「小田原ホテル」 p263
コマーシャルホテルへの土壌 p265
2. 長びく恐慌期への突入 p267
戦後不況始まる p267
帝国ホテル、危機を乗り切る p267
第3節 ライト館、市民交歓の場となる p272
1. 音楽・ダンス・演劇のメッカに p272
ホテル音楽 p272
剣舞事件おこる p276
帝国ホテル演芸場 p277
2. ライト館での多彩な食事と宴会 p280
帝国ホテルの料理の伝統 p280
大正期における結婚式、披露宴 p283
第4章 花開く国際観光 p291
第1節 国策としての「外客誘致」 p293
1. 国際観光局の創設 p293
「国際貸借の改善」を目指して p293
「外客誘致」に関する中央機関の誕生 p296
国際観光の組織面の整備 p298
2. 「外客誘致」事業の展開 p301
海外宣伝の実施 p301
政府資金融資によるホテル建設 p305
来日外国人の増加 p310
第2節 帝国ホテルが関与した政府融資ホテル p313
1. わが国初の本格的山岳観光ホテル p313
上高地ホテルの誕生まで p313
上高地ホテル建築概要 p316
経営順調に推移 p327
2. 蓄えた人材・ノウハウを提供 p331
新大阪ホテル p331
名古屋観光ホテル p333
川奈ホテルと大倉喜七郎 p335
志賀高原温泉ホテルおよび赤倉観光ホテル p339
第3節 昭和初期における帝国ホテル経営 p343
1. 経営の多角的展開 p343
昭和恐慌のなかで p343
東京会館の業務委託 p345
営業拠点の積極展開 p351
2. さらにサービス充実を目指して p353
留学生の派遣 p353
留学生からの報国 p355
帝国ホテルの料理の新しい展開 p359
ツェッペリン伯号への食事供給 p367
帝国ホテルのダンス p370
来泊した多数の名士、著名人 p373
3. 財務内容改善への努力 p381
借入金の利下げ p381
300万円に減資断行 p383
第5章 戦争下のホテル経営 p391
第1節 戦時統制の強化へ p393
1. 昭和10年代前半期帝国ホテルの経営 p393
ようやく景気好転したが p393
幻の新館建設計画 p395
東京会館の営業打切り p400
2. 緊迫化する時局 p402
二・二六事件、そして戦時体制へ p402
国家総動員法の公布 p404
戦時経済統制の拡大強化 p406
大政翼賛会の発会 p409
3. 決戦体制下のホテル業 p410
「贅沢は敵だ」 p410
社団法人日本ホテル協会の設立認可 p413
戦時経済統制のもとでの物資調達 p414
ホテル報国会の結成 p416
ホテル宿泊料金の統制 p417
日本ホテル業統制組合の設立 p419
金属類の供出ほか p420
宴会業務の停止命令 p422
支配人犬丸徹三の対外的活動 p424
第2節 戦雲・戦火のなかのホテル業 p430
1. 南方占領地におけるホテル経営 p430
昭和17年から大挙進出 p430
バンコクでのホテル経営 p434
帝国ホテル経営のその他の占領地ホテル p437
戦火のなかの従業員 p439
2. ついに敗戦へ p443
帝国ホテルの被災 p443
相次ぐホテルの焼失、休廃業 p446
第6章 ホテル受難時代 p453
第1節 連合軍の進駐とホテル接収 p455
1. 連合軍の日本進駐 p455
ポツダム宣言受諾、連合軍先遣隊の厚木進駐 p455
マッカーサー来着と横浜進駐 p458
降伏文書調印式の日 p460
2. 連合軍によるホテル接収 p461
帝国ホテル、将官・VIP宿舎として接収される p461
東京地区の接収 p466
接収全国に広がる p466
3. ホテル業界の対応 p469
陳情を重ねる p469
帝国ホテルを基準に使用料査定 p471
限度を超える要求にも耐える p473
特別調達庁の設立 p476
接収解除への希い p478
4. 連合軍の日本「改革」と財閥解体 p479
日本の民主化および経済安定政策 p479
財閥解体と大倉喜七郎辞任へ p480
犬丸徹三、取締役社長に就任 p482
第2節 接収下の帝国ホテル経営 p485
1. 米国人支配人の監督を受ける p485
米国人支配人J・M・モーリス p485
終戦直後の帝国ホテル建物状況 p486
帝国ホテルを宿舎とした将官・VIPの横顔 p489
野戦口糧と冷凍食品 p492
クラブ内にフレンチ・レストランを設置 p495
2. 接収中の経営と営業成績 p497
接収期間中の経営陣 p497
帝国ホテル従業員組合の発足 p500
給与制度の改定 p502
従業員への株式分与 p505
資産再評価の実施 p506
接収中の営業成績 p508
3. 接収が残していったもの p510
接収解除の努力 p510
日本のホテル業界に与えた影響 p511
接収ホテルと米国文化 p512
戦後史を綴る人々の舞台に p513
第3節 戦後日本の国際観光 p518
1. 観光立国への模索 p518
メイドの養成と運輸省に観光課の設置 p518
国営ホテルを設営 p520
施設・設備の拡充への努力 p521
2. 「万難を排し」国際観光振興へ p522
日本ホテル協会新たに発足、犬丸徹三会長に就任 p522
漸増する外国人観光客 p524
観光事業審議会の発足 p526
国際観光ホテル整備法の制定 p528
ホテルマンの育成 p529
第7章 ホテル新時代への基礎確立 p533
第1節 国際社会への復帰 p535
1. 接収解除と営業再開の喜び p535
営業再開への準備 p535
日本ホテル協会の努力 p537
待望の自由営業再開 p538
南翼客室の復旧工事も完了 p540
2. 観光立国へ始動 p542
営業再開当時の日本の立場 p542
対日講和会議の舞台裏で活躍した犬丸一郎 p544
国際経済社会への復帰 p545
第2節 自由営業再開後の経営 p547
1. 新しいビジネスチャンスに挑戦 p547
株式会社博多帝国ホテルの開業 p547
苦戦の15年間 p549
列車食堂経営に進出 p550
2. 第1新館を建設する p552
好調な営業成績と新館建設への機運 p552
業界初の開銀融資を受ける p554
第1新館の建築概要 p555
第1新館の特徴 p556
3. 第2新館を建設する p562
新国際航空時代の到来 p562
世界周遊大型豪華船の寄港相次ぐ p563
来日外国人の激増 p564
第2新館の建設に着手 p565
第2新館の建築概要 p567
潜函工法の採用と防音対策 p568
各所に日本調を取り入れる p568
“日本風”にデザインされた豪華な特別スイート p569
4. 犬丸体制の確立 p573
自由営業再開後の経営陣 p573
帝国ホテル客室総数800を超える p573
北欧の伝統料理に着目する p574
画期的なインペリアルバイキング開始 p577
帝国ホテル株式2部上場 p578
昭和30年代の営業成績 p580
5. 昭和30年代帝国ホテル事件簿 p581
狩野川台風の被害 p581
殺人事件の発生 p583
集団赤痢事件 p584
第3節 高度経済成長への離陸 p587
1. 急成長するコンベンション市場 p587
コンベンションビューロー設置の提唱 p587
ICC総会の開催 p588
急増する国際会議・行事・催し p589
2. 第1次ホテルブームおこる p592
オリンピックの東京招致決定 p592
高度成長路線と経済開放体制への移行 p593
ホテルの新築、増改築進む p594
第1次ホテルブームの特徴 p597
第8章 飛躍のための始動 p599
第1節 オリンピックとホテル業界 p601
1. 受入れ体制の整備 p601
帝国ホテル、IOC本部ホテルとなる p601
外国人客に対する非課税措置 p602
京浜地区の宿泊施設は足りるか p603
宿泊予約金の払込み p605
給食業務の体制と準備 p606
好評だった試食会 p609
2. 大いなる“宴” p611
延べ20万人、60万食の給食に成功 p611
調理革命をおこした東京オリンピック p613
大会期間中の外国人宿泊状況 p614
東京オリンピックの残した影響 p615
第2節 日本万国博覧会までの帝国ホテル経営 p617
1. “宴”のあとの環境変化 p617
「40年不況」きたる p617
GNP世界第2位となる p618
東京オリンピック後の営業成績 p619
2. 社内活性化への努力 p620
『社報』を創刊する p620
サービス向上運動 p621
能率向上委員会の設置および提案制度 p622
シンボルマークを統一する p624
アリガトウチェック運動 p625
3. いくつかの事始め p627
「ファミリープラン」で新市場開拓 p627
「シアターレストランインペリアル」 p628
「コーヒーハウス」をオープンする p631
“食”によって“国”を知るフェスティバル p633
片道ではない“国際料理交流” p635
国際会議華やか p636
ベルリンにホテル経営を依頼される p638
業界初のコンピュータ導入 p639
第3節 ライト館の終焉 p643
1. 社会問題となったライト館保存問題 p643
ライト館取壊しに至る経緯 p643
ライト館(旧館)の現状 p646
ライト館保存への要望 p650
保存問題が投げかけた問い p652
2. 正面玄関・ロビー部分を保存 p654
明治村への部分移築保存決定 p654
ライト館(旧館)保存問題に関する小年表 p660
第9章 世界の一流ホテルへの道 p665
第1節 新本館の落成 p667
1. 「進歩と調和」を具現した地上17階 p667
“黄金の60年代”を背景に p667
建築確認申請の経緯 p668
幻の地上26階 p670
建設費予算188億円 p672
安全性を高める新工法を採用 p673
10階建て駐車場ビルの建設 p676
最新技術の成果を取り入れる p678
システム化された厨房施設 p680
2. 世界の一流ホテルとして p681
伝統と現代性を融合させたインテリア p681
質を追求した客室およびタワー階客室 p685
多目的使用の宴会場、完璧な国際会議場 p686
レストランおよびバー p690
新本館建設費および関連工事費の内訳 p692
数字でみる新本館 p693
3. 華やかに開業を祝う p694
竣工披露・レセプション p694
開業1週間の営業成績 p696
第2節 日本万国博覧会とその後のホテル業界 p699
1. 第2次ホテルブーム p699
日本万国博覧会の開催 p699
万国博覧会、再びホテルブームの契機に p700
万国博覧会と外国人宿泊客の増加 p702
業績悪化の昭和46年 p703
2. 激化するホテル間競争 p705
“ドルショック”および“ポンド危機” p705
石油危機への対応 p708
拡大するホテル業界 p709
3. 犬丸徹三、帝国ホテル社長を退く p713
経営ピンチのなか社長交代相次ぐ p713
原正雄社長、ホテル経営の合理化に取り組む p715
新本館開業後の営業成績 p716
上高地帝国ホテルの改築 p716
関連会社の設立と推移 p722
第3節 業績拡大への努力 p727
1. セールス活動を強化する p727
開かれた経営方針をとる p727
セールス部の創設と国内案内所の増設 p727
海外セールス活動と海外案内所の開設 p730
各国フェスティバルの継承発展 p732
閑暇期の売上増を図る p732
各種の企画商品相次ぐ p736
世界一流ホテルの予約組織と提携する p738
信頼を生むための宣伝活動 p740
2. ホテルの味を売り出す p743
「カルガンチュワ」の開店 p743
高島屋の特別食堂、北里カフェテラスなどを運営 p745
3. 国際会議、VIP接遇の舞台として p745
国際会議場としての不動の地位 p745
両陛下ご臨席の晩餐会も p751
迎賓館における接遇 p757
第10章 21世紀の都市ホテル目指して p761
第1節 開業90周年を迎える p763
1. 激動から多様化へ p763
90年の年輪の尊さ p763
転換する産業構造 p764
生活者の意識・行動の変化 p765
2. 第3次ホテルブーム p766
昭和55年当時のホテル業界 p766
業態に質的変化を強いる p768
第2節 インペリアルタワーの建設 p770
1. 新しい都市空間を創造する p770
計画決定の経緯 p770
タワー構想―その建築概要および資金計画 p771
多様な機能・空間をもつ複合ホテル p772
インペリアルタワーの完成 p774
建築業協会賞を受賞 p778
2. 複合ホテルの内部構成および機能 p781
各客室の特長 p781
ガラス張り天蓋のプール p784
多目的ホール「光の間」 p784
最先端をいくホテル・オンラインシステム p785
ホテルライフの秘書役―デジタル式電子交換機 p786
国際色豊かなショッピングプラザおよびオフィスフロア p788
レストラン構成の決定 p788
3. 帝国ホテルのレストラン p789
「コーヒーハウス さいくる」 p789
「グリルルーム」から「レ セゾン」へ p790
アールヌーボー時代の「ラ ブラスリー」再現 p792
小粋なパリの味と香り「サロン ド テ」 p794
それぞれの個性をもつ多彩なレストラン構成 p794
第3節 超高級路線の確立 p796
1. 販売力を強化する p796
海外市場の新たな開拓 p796
「宴会レセプション」機能の充実を図る p798
国際会議への舞台提供 p798
国際的VIPの接遇 p801
2. 顧客管理を進める p807
「日比谷クラブ」の拡充 p807
個人顧客管理システムの発足 p808
3. 商品企画力を高める p809
ブライダル市場へ帝国ホテルの提案 p809
新需要を掘りおこすインペリアルプラン p812
本場の味と音楽を楽しむフェスティバル p814
4. 大規模な本館改修を断行 p819
総額150億円を投入する p819
客室の居住性を高める p820
ハイテク化された「孔雀の間」 p823
宴会場の拡張と機能強化 p825
17階のレストラン、ラウンジを大幅改修 p825
ロビーの拡張、ランデブーラウンジ・ランデブーバーの改修 p828
本館5階を総合付帯施設フロアに改修 p828
第4節 昭和から平成へ p832
1. 経営陣の異動 p832
犬丸徹三元社長逝く p832
タワー完成後の経営陣 p833
犬丸一郎、社長に就任 p835
2. タワー開業後の業績 p836
インペリアルタワーの相乗効果現れる p836
LHWへの加盟 p838
上高地帝国ホテル開業50周年を祝う p839
新しい幾つかの試み p842
ホテルアーケードの先駆 p843
3. 数々の受賞・章 p845
社員の受賞・章相次ぐ p845
犬丸一郎社長、ホテル経営者賞を受賞 p847
連続受賞の帝国ホテル広告 p847
4. 昭和から平成へ p850
大喪の礼参列VIPの接遇 p850
第5節 帝国ホテルの味(1945~90年) p853
1. 戦後歴代の料理長と料理人 p853
“中興の祖”石渡文治郎 p853
戦後復興期の名料理長、常原久弥 p857
“努力の人”一柳一雄 p858
世界的一級ホテルを支える村上信夫 p860
冷凍技術の導入とサプライの設置 p864
2. 戦後の帝国ホテルのレストラン p866
伝統を伝える「フォンテンブロー」 p866
時代の最先端をいく「レ セゾン」 p868
パリ直移入の「プルニエ」 p870
新しいブフェスタイルを確立した「レインボールーム」 p872
フランスの地方料理「ラ ブラスリー」 p872
ロシア王朝の味を伝えて80年の帝国ホテルのパン p873
酒神パッカスも微笑む「オールドインペリアルバー」 p875
終章 新たな歩みを、変わらぬ心で p877
1. 開業100周年記念事業に取り組む p879
「百周年組織委員会」の設置 p879
帝国ホテルの理念 p880
帝国ホテル十則 p880
多彩な記念事業を展開 p881
標語決定およびシンボルマークの明確化 p888
2. 第2世紀への体制づくり p889
組織機構の改革 p889
新人事制度の確立へ p891
研修制度をさらに充実 p893
「比類なきサービス」の確立へ p896
社員の福利厚生をさらに充実 p898
業界初の完全週休2日制度の実施 p900
今後の路線を検討確認する p902
列車食堂からの撤退と新子会社設立 p904
3. 新しい事業展開への決断 p905
バリ島でホテルを運営 p905
大阪進出を決める p907
帝国ホテル第2世紀への船出 p908
結び p909
中口絵/設備紹介 p910
資料編 p911
資料―社名改称之儀上申 p911
帝国ホテル株式会社定款(明治26年10月) p913
株式会社帝国ホテル定款(明治40年1月) p914
株式会社帝国ホテル定款(現行) p916
役員任期一覧表 p918
現役員 p922
組織の変遷 p925
資本金の推移 p932
株価の推移 p933
初任給・賞与の推移 p934
休日・休暇および労働時間の歴史 p938
帝国ホテルの概要 p939
年表 p943
索引(一般事項) p990
索引(人名) p1001
主要参考文献 p1005
資料提供・取材協力いただいた方がた 巻末
あとがき 巻末
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