(株)読売新聞社『読売新聞百年史』(1976.11)

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目次項目 ページ
口絵写真 p33
カラー p33
現勢 p33
100周年記念式典 p33
大手町の東京本社社屋 p34
国際会議 p36
天皇皇后両陛下本社へ p37
東京本社編集局/テレックス/無電室 p38
モノタイプ・コントロールーセンター/工程センター p39
印刷管理センター/電子計算室 p40
ファクシミリ/漢字テレタイプ p41
超高速輪転機/鉛版コンベヤー/発送コンベヤー p42
出版物/ザ・デーリー・ヨミウリ p44
読売機の活躍/暗室カー p45
読売新聞大阪本社/同北海道支社 p46
同[読売新聞]西部本社/同[読売新聞]北陸支社 p47
報道写真 p48
戦後30年(日本橋方面から江東地区を望む) p48
エリザベス女王とフォード大統領 p49
本紙の歩み(1) p50
初代社長子安峻/創刊号/虎の門の日就社 p50
日就社発行の英和辞書/チリンチリン箱 p51
版画 p52
京橋側から見た銀座通りのにぎわい p52
ガス灯と日就社 p54
京橋から見た読売新聞社屋 p55
文豪の原稿 p56
紅葉「金色夜叉」 p56
逍遥「旅ごろも」/露伴「天うつ浪」/吉川英治「太閤記」 p57
読売サンデー漫画 p58
読売日本交響楽団/関連会社 p60
読売仙台ビル/報知新聞社/福島民友新聞社 p60
日本テレビ/読売スタジオ/読売会館/読売理工学院/読売テレビ p61
よみうりランド p62
東京よみうりカントリークラブ/大阪よみうりカントリークラブ p63
東京読売巨人軍 p64
王・長島選手 p64
モノクローム p65
本紙の歩み(2) p65
創刊100周年を迎えて 49・11・2の紙面/記念碑新聞創刊の地 p65
本紙の歩み(2) p65
歴代社長(明治・大正)/創刊当時の本社/東京進出以前の日就社 p66
初代編集長ほか/銀座に移転当時の本社/明治末期からの社屋の変遷 p67
社説の前身「読売雑譚《ざふだん》」/健筆をふるった人たち p68
文学新聞/よみうり抄第一回 p69
紅露二本立ての小説欄 p70
紅葉・露伴/はじめての懸賞小説入選作「滝口入道」 p70
文学新聞全盛時代と自然主義の作品 p71
天外・藤村・秋声 p71
磐梯山噴火特殊製版の写真/号外のさきがけ p72
日清日露戦争当時の主筆/河上肇の「社会主義評論」/日比谷焼打事件の報道 p73
東海道五十三次駅伝競走 p74
大正時代の編集首脳/関東大震災後発行された本紙/よみうり「婦人附録」 p75
よみうりラヂオ版/本因坊対雁金七段戦/正力社長時代初期首脳 p76
昭和・終戦まで p77
日本名宝展覧会 p77
夕刊発行 p78
三原山噴火口探検/正力時代首脳 p79
全米選抜チーム招へい/よみうり3号機遭難 p80
日中戦争と本社特派員/読売写真ニュース p81
ついに太平洋戦争に突入/報知新聞を合併「読売報知」と改題 p82
ビルマ新聞/マレー語のバリ新聞 p83
ビルマ新聞社/バリ新聞社/セラム新聞社/シンガポールの南方総局 p84
空襲で被災築地本願寺へ/共同新聞発行/地下工場の建設 p85
昭和・終戦後 p86
終戦の詔書下る p86
マチス展/ゴッホ展/原子力平和利用博覧会 p87
大阪読売新聞の創刊 p88
第5福竜丸事件/ついに太陽をとらえた p89
「社会暗黒面摘発」キャンペーン/第一回「菊池寛賞」 p90
華厳滝のナゾを探る/鳴門の渦潮を解明 p91
「これがアメリカだ」/宇宙飛行士の手記/「今日の断面」欄 p92
インサイド・レポート/三面トピックス p93
戦後の役員 p94
現在の社主・役員・局長・顧問 p95
読売信条/タイムカプセル p96
p97
大手町時代はじまる p99
1 百周年を迎えたその日 p99
読売新聞の号数 p99
さらに躍進を誓う記念式典 p100
2 物故した諸先輩にささぐ p101
物故者慰霊式典 p101
風雪賞 p102
記念碑、本社「創刊の地」 p103
3 成功した多彩な記念事業 p104
画期的なセザンヌ展の開催 p104
読売ブッククラブ(YBC) p105
国際植生学会 p106
4 異彩放った二つの国際会議 p106
明治の“ニュース箱”チリンチリン箱 p107
5 天皇、皇后両陛下、本社をご視察 p108
6 始動する百年の計 p109
新社屋完成披露パーティー p108
新社屋に寄せた先輩の感想 p109
新社屋の骨組み p110
7 新社屋の概略と移動“GO”作戦 p111
新社屋地鎮祭 p111
始動する新鋭輪転機 p112
移転“GO”作戦の主役たち p113
旧社屋最後の新聞印刷 p114
8 「第三の危機」乗り越えて p115
故正力前社主の胸像除幕式 p115
形式と組織にとらわれるな p116
社報の歴史 p117
9 読売百一年・二世紀の方向 p118
東京会議の緊急提言 p118
“モナリザの微笑”「麗子像」 p119
れんさいまんが日曜版最終ページに登場 p120
車イスでの「白鳳会員」表彰 p121
百寿の壷 p122
創業 p123
第1章 読売新聞の誕生 p125
1 開明の社会をめざして p125
維新期の新聞 p125
「日就社」の語源と創刊者たち p125
2 創業のトリオ―子安・本野・柴田 p126
子安峻 p126
本野盛亨・柴田昌吉 p127
最初の和文モールス符号を考案した子安 p128
3 日就社の創立、英和字彙の著述出版 p128
子安、柴田の共訳本と英和字彙 p129
本木昌造・平野富二・田中平八 p130
4 古名を題号に大衆とともに出発 p130
虎の門時代の日就社編集陣 p131
明治7年の取材許可申請書 p132
5 創刊 p133
親しまれた初代編集長・鈴木田 p133
明治8年ころの7新聞を詠んだ投書 p133
供をつれ、羽織、袴に小刀さして集金 p134
6 言論弾圧に各社と共同歩調 p135
禁獄でも抑えきれず発行停止の布告 p135
本社が受けた禁獄と罰金 p136
7 官令雨下、傍訓に感謝の寄書 p136
説話欄にイソップ物語や種痘のはなし p136
子安社長も平易な育児論を投書 p137
8 発刊一年で発行部数全国一位 p138
本紙号外のはじめ p138
9 新聞界初の蒸気印刷と紙型鉛版 p139
新聞業界初の紙型鉛版と蒸気動力印刷 p140
古井多助 p140
10 初期販売に平野弥十郎が活躍 p141
平野弥十郎の日記 p141
11 萩の乱報道で永井編集長禁獄 p142
禁獄記者が見た「鍛冶橋監獄」 p142
第2章 西南の役と本紙の地歩確立 p143
1 報道戦で堂々「大新聞」と並ぶ p143
通信網の重要性を教えた西南の役 p143
陸軍士官の正装をした鈴木畏三郎 p144
秩禄処分と紙貨の差 p144
“赤い星”になった西郷さん p145
2 読売初めての政治論 p145
“西郷の首見当らず”の号外附録 p145
鈴木彦之進 p146
3 発行部数の増加と銀座進出 p146
明治10-11年の各紙発行枚数 p147
永井碌 p147
銀座煉瓦街と新聞社 p148
“創意の功”で竜紋賞 第1回内国勧業博 p149
4 街頭読み売り廃止の決断 p149
千里軒の郵便馬車で新聞発送 p150
5 啓蒙期の論説欄「雑譚」 p151
加藤九郎 p151
日就社初期の定期刊行物 p152
6 紙幅を中型に拡大、成島柳北も執筆 p152
明治14年の各社印刷機と工員数 p154
7 十四年政変に野党色を強める p154
成島柳北 p154
柳北が雑譚文を指導 154
新聞検閲を風刺したポンチ p156
8 寄書欄、文壇の登竜門となる p157
加藤瓢乎・高畠藍泉 p157
鴎外・逍遥・美妙の投稿 p158
第3章 総合新聞への道 p159
1 小野梓を招聘、政論へ一歩接近 p159
鹿鳴館の開館 p159
小野梓 p160
小野梓の隠れた論稿 p160
2 大小新聞の接近と本紙の脱皮 p162
前年の重大ニュースを戯文と絵で特集 p162
世相を諷した寄書欄の俳諧 p164
3 近代文学掲載への胎動 p164
「小説神髄」に諸文星たつ p165
政治小説も大流行 p166
「修羅浮世鍛鉄場主」の出版 p167
4 杉浦重剛、高田早苗、坪内逍遥論陣に加わる p167
杉浦重剛 p167
高田半峰・坪内逍遥 p168
西洋戯曲脚本連載の社告 p169
5 三度の改革で変化期を乗り切る p169
明治19年の本紙販売網 p170
第4章 「立憲政治」と「文学」への展開 p171
1 初代主筆、高田早苗が進路定める p171
首相官邸で催された仮装舞踏会 p171
高田半峰が語る主筆就任のいきさつ p171
硯友社と我楽多文庫 p172
2 憲政思想の普及 p173
大・小新聞の差ほとんど消滅 p173
高田の論説「内閣更迭論」 p174
3 山田美妙の言文一致体小説「武蔵野」を紹介 p175
二葉亭四迷の「浮雲」出版の記事 p175
山田美妙の「武蔵野」 p176
最初の報道写真掲載 p177
4 高田の「通俗憲法注釈」 p177
国旗は売り切れ、祝賀にわいた東京 p178
5 高田の第二次改革 p179
“裸論争”も飛び出す寄書欄の筆戦 p179
文豪・鴎外若き日の逸話 p180
6 大隈の条約改正支持で発行停止 p180
大隈の条約改正 p181
7 饗庭、加藤退社し、紅葉、露伴が入社 p182
饗庭退社事件について p182
紅・露の入社 p183
8 東京新聞界の販売戦激化 p183
9 文星集め“文学新聞”の花開く p184
田中正造、木下尚江も解停祝文寄せる p184
坪内逍遥の叢譚披露文 p185
鈴木彦之進の演劇記事スクラップ p186
明治23年ころの各社劇評家 p186
10 初期議会に「民党」の先導を自任 p186
市島謙吉 p187
第1回議会が開かれた国会議事堂 p187
第2議会で民党の旗色を明らかにした社説 p188
大津事件に際して事前検閲で削られた社説 p189
はじめて電話がつく p189
高田遭難と発行停止のころ p190
11 新聞条例改正の先頭に立つ p190
書生芝居とオッペケ節流行 p191
初の本社主催大演説会 p192
12 紅葉山人、読売文芸を背負う p192
紅葉の苦吟、連載小説しばしば途切れる p193
花形作家の争奪戦 p194
13 吉田東伍、史論に気を吐く p194
吉田東伍 p195
福沢諭吉の本社20年節あいさつ p196
第5章 報道中心時代に乗り遅れる p197
1 日清開戦直前、中井錦城主筆となる p197
小冊子「読売節用」年鑑のはしり p197
中井喜太郎 p197
畳敷きの編集局、夜は相撲場となる p198
石井勇 p199
気ぜわしい紅葉の仕事ぶり p199
2 重役、社友総出の日清報道 p199
従軍記者たちの異様ないでたち p200
日清戦役従軍記者 p200
日清戦役当時の本社主要社員 p201
3 紅葉の「多情多恨」と月曜附録の創設 p202
紅葉のスランプと引き抜きの危機 p202
最盛時の硯友社8人衆 p202
奇抜な社告“狂詩募集歌” p203
4 不覇奔放な中井主筆の論調 p203
乗合船のような編集局・上司小剣回顧談 p204
中井の失策、号外で社説訂正 p205
5 「金色夜叉」の舞台裏で紅葉病む p206
「金色夜叉」紅葉の訂正文 p206
6 足尾鉱毒問題でキャンペーン p207
足尾鉱毒キャンペーン開始の緒言 p207
奇骨二人・中井錦城と田中正造 p208
田中正造直訴事件の報道文 p209
7 中井、多彩な企画で戦後競争に対処 p208
8 島村抱月「月曜附録」を編集 p210
紫山張りの雑報書きにひと苦労・島村抱月回顧談 p210
4コマの漫画登場 p211
9 北清事変―英国製輪転機を購入 p212
月給18円、劇評書きから小説書きに、山岸荷葉回顧談 p212
10 日英同盟成立を特報 p214
処女作「雲の行方」を発表・徳田秋声回顧談 p214
松平康圀 p215
日英同盟の特報について p215
11 石井主筆、永田編集長の改革献言 p216
“日刊雑誌”の評にあきたりず・永田新之允回顧談 p216
天下の珍?古新聞を再版発行 p216
学生富士登山の順路と同行名誉会員 p217
12 紅葉の退社と文芸色の転換 p217
明治37年11月3日天長節当日の本社 p218
硯友社一門が紅葉追悼記事取材をことわる p218
第6章 評論・文芸の特殊新聞に傾く p219
1 足立主筆、紙面企画に腐心 p219
明治36年の主要社員 p219
明治36年末に本社電話2本目 p219
足立荒人 p219
ノーボエ・ブレーミヤ誌の社説紹介 p220
露伴の「天うつ浪」中断の辞 p221
2 日露戦争の報道 p221
寸鉄人を刺した「三十年間全国人物千人評」 p222
横川・沖銃殺場面のスケッチ p223
入社試験のはじめ p223
ボアソナードの手紙 p224
3 ポーツマス会議と日比谷暴動 p225
203高地を砲撃する日本軍臼砲陣地 p225
元日の旅順陥落号外で足立主筆のカミナリ p225
戒厳令下る p226
4 科学欄の創始と河上肇の「社会主義評論」 p227
勝手放題の評論・河上肇回顧談 p227
「社会主義評論」に関する本社への手紙 p228
5 正宗白鳥編集の日曜附録 p229
ヤースナヤ・ボリヤーナの徳富芦花 p229
6 竹越三叉を主筆に招く p230
明治時代の読売マーク p230
竹越与三郎 p230
“明治調”を脱した竹越の論説スタイル p231
7 西園寺の文士招待会「雨声会」 p232
「雨声会」の企画と命名 p232
8 「銀座三層楼」に改築、新輪転機を購入 p233
銀座8丁・新聞興亡の跡 p234
9 自然主義文学論の本拠となる p235
混とんとした自然主義論争 p236
田山花袋の「生」連載開始の言葉 p237
石橋湛山の抱月批評の一部 p237
竹久夢二のスケッチ p238
第7章 明治末期の低迷 p239
1 高柳社長、評議員制で運営 p239
明治42年の主要社員 p239
笹川潔・金崎賢 p240
海外文学通信 p241
本野一郎 p241
高柳豊三郎 p242
2 中心欠き紙面も不統一に p242
南北朝正閏問題 p242
明治45年の本社主催文芸家新年会出席者 p243
海外に衝撃を与えた乃木自刃 p244
第8章 大正新時代と社長本野英吉郎 p245
1 文化的な社風みなぎる p245
本野英吉郎 p245
大正2年12月の主な社員名 p245
啄木の遺稿掲載 p246
2 主筆笹川の独走 p247
停会とは p247
朝吹英二と一郎との親交 p248
3 経営の苦境続く p249
政界こぼれ話 p249
童話と講談 p250
第9章 「婦人」と「文芸」に新風 p251
1 主筆五来素川を支えた「婦人論」 p251
シーメンス事件 p251
五来欣造 p251
婦人関係の論説から・「婦人問題」・「女権思想と女子教育」・雑誌も「婦人特集号」 p252
2 「婦人附録」に創意をもる p253
“身の上相談”の面談は10人前後 p254
「カチューシャ」で本紙引っぱりだこ p254
“相談”担当記者、窪田空穂 p255
3 文芸欄の“理想選挙”問答 p255
理想選挙でいくらかかるか p256
書きまくった丸茂従軍記者 p256
4 晶子の長詩と対支政策批判 p257
「怖ろしき兄弟」与謝野晶子 p257
石橋湛山と黄遠庸の評価 p258
5 文学論争に大正デモクラシーの花開く p259
「民衆芸術論」の幅広い展開 p259
夫君の台所参与 p259
「日露貿易発展号」と中村白葉 p260
6 駅伝と社会部長土岐哀果 p261
「駅伝競走」のはじまり p261
東海道五十三次駅伝競走の参加章 p261
駅伝「今切れの渡し」と「箱根越え」 p262
中継地点「藤沢」の朝 p262
第10章 本野家最後の社長秋月左都夫 p263
1 シベリア出兵論議と秋月の「永久平和論」 p263
秋月左都夫 p263
秋月、細川嘉六の釈放に心をくだく p264
2 本野兄弟の死とパリ講和会議 p265
伊達源一郎 p265
読者文芸の選者たち p266
“晶子女史は窮民ではない” p266
3 同盟罷業おこる p267
抱月のデスマスク p267
大島貞吉 p268
4 上司、青野、子母沢らの作品から p269
「良妻賢母」幽霊論 p270
奥野七郎かつての仲間を語る p272
第11章 社長松山の改革実らず p273
1 編集の陣容を強化 p273
松山忠二郎 p273
「白虹事件」 p273
物価の値上げ相次ぐ p274
文学者も生活闘争・荷風氏原稿料制定のこと p274
2 報道戦への対応 p275
杜撰極まる文士の所得税 p275
連載小説とさし絵 p276
3 松山、大庭コンビで論戦をいどむ p276
英文「日米親善号」ザ・ヨミウリ p278
「亜米利加号発行の趣旨」 p278
4 大庭柯公、露国に消える p279
大庭の「女房お筆との別れ話」の一席 p279
大庭柯公 p280
大竹博吉 p281
階級文学是非ににぎわう文芸欄 p281
5 新社屋に夢を託す p282
読売巡廻大学の創設 p282
6 関東大震災の痛手深し p283
安成二郎の銀座焼け跡の記 p283
1ページの社説 p284
躍進 p285
第1章 正力陣頭に奮戦 p287
1 劇的な正力の登場 p287
大正末期の読売新聞本社 p287
私設総監正力さん p288
新感覚派の名づけ親 p289
子母沢寛の思い出話 p290
2 総力をあげて危機乗りきる p291
大正末年の活版部と写真製版室 p291
印刷に応じます p291
和服姿も見える大正末期の編集局/読売講堂 p292
歌舞伎座買いきりでどぎもを抜く p293
読売式高速輪転機/電話交換室と電信室 p294
3 ラジオ版の創設 p294
「天下無類の悪法」 p295
ラジオ版以前のラジオ・プロ p296
早慶戦を本社が提供 p296
「米の飯と共に欠き得ぬ」ラジオ p297
愛宕山の見学会/婦人記者を募集 p298
4 ファン熱狂の大棋戦 p299
これが「よみうり撞球場」 p299
囲碁には明治以来の伝統 p300
緊張の対局ぶり p301
覆面子の正体を読者が迷推理 p302
5 創刊一万八千号と五十五周年 p302
白鳥の原稿をそのまま紙面に p302
「昭和文壇事始」/芥川死す p303
モガ、モボ/「影絵双紙」 p304
広告合戦 p305
盗作が一等に/「今日の新刊」 p306
6 文芸欄、論争で活気 p307
文明批評論争の紙面 p307
形式主義文学論争 p308
小説のさし絵に破格の扱い/海外文芸特置員 p309
2ページの通し広告/東京行進曲でも論争 p310
小林多喜二の自己紹介 p311
「共同製作」の小説を連載 p311
7 警官隊、本社記者を襲撃 p311
この紙面発売禁止 p312
三・一五、四・一六事件の報道禁止 p313
「記事差止を嗤ふ」/襲撃事件最初の紙面 p314
処分巡査の不満の声を特集 p315
言論圧迫を糾弾する15社宣言 p315
8 新聞戦国時代の販売戦 p316
大正末期の営業局風景 p316
販売主任は琵琶の名手/主任募集の自社広告 p317
時事新報に“声援” p318
読者を伊勢神宮初参りに招待 p318
敵は戦艦、こちらは水雷艇 p319
9 空前の名宝展 p320
躍進時代の正力と務台 p320
徳川喜久子姫の感想記/単行本も2点出る p321
「50万円」の宣伝/名作女性美展覧会 p322
10 独自の紙面企画あいつぐ p323
正力が「さん」と呼んだ人 p323
この見出し10段抜き!/初の電送写真 p324
「葦原将軍」も登場 p324
2面に英文掲載/「スポーツ」のカット p325
エロ時代の紙面 p326
ノンキナトウサン/さすが、社告も漫画入り p327
10年後のモダンガール?/鬼気迫る「浜口登院」 p328
11 市民奉仕の読売診療所 p328
これが最初の読売診療所/初期の広告 p329
第1回巡回診療班/「移動する太陽」とうたう p330
第2章 夕刊発行―大飛躍とげる p331
1 命運かけた夕刊発行 p331
4ページのサンデーグラフ p331
人生案内「悩める女性へ」 p331
特派員は陸軍中尉ドノ p332
「今将に一大飛躍の門出に立たんとす」 p333
ルブラン「真夜中から七時まで」 p334
よみうり少年新聞 p334
2 危機を救った販売網づくり p335
活気あふれる販売会議 p335
報知の大広告を掲載 p336
恒例となった伊豆大島への読者招待 p337
昭和7年の社屋/輪転機5台に p338
「素人必ずしも不成功とは限らず」 p339
「熱気を捧げて......御期待に副はん」 p340
ピストル片手にすごむ店主も p340
案内広告、東京で第1位に p341
社屋も面目一新 p342
ルーズベルト大統領と単独会見 p343
社報より先に通信部報 p343
3 本格紙へ態勢つくる p344
「銃剣は耕す」 p344
社長自ら月給を決める p345
「丹下左膳」「大菩薩峠」もイタダキ p346
惜しまれた山崎の死 p346
第一回の「社説」 p347
4 暗い時代に光る健筆 p348
不思議な転回/特派員帰る p348
五・一五事件の第3号外 p349
文芸面でも事件特集 p349
チャプリン来日 p350
松尾邦之助、ジュネーブから放送 p350
読売六十年史/「満州国」で共同宣言 p351
これが最初の「話の港」 p352
京大事件当時の文芸面 p353
「ぜいろく新聞を粉砕せよ」 p353
浅間山噴火の現場を撮影/二・二六事件の号外 p354
お定登場/「一日一題」 p355
「読売時代」をうたう p356
5 ベーブ・ルースきたる! p357
本社選定「日米野球行進曲」 p357
東京駅前、人波に埋まる p357
これぞスモークボール/全日本惜敗 p358
打撃王と苦学生/「職業野球創設を歓迎」 p359
銀座通りの大群衆/超満員の神宮球場 p360
ルースを喜ばせた似顔絵ポスター p361
オールスター勢ぞろい p361
全米軍、有終の美飾る p362
「大日本東京野球倶楽部」(巨人軍)誕生 p362
6 正力遭難にも屈せず p363
1面つぶして報道(正力遭難) p363
招待客でにぎわう大島/社報第1号 p364
突撃隊出発!/街角でもタスキがけ p365
7 「日食は血に染む」―航空陣の充実へ p366
よみうり1号機 p366
太平洋をひと飛びに p367
魔のロッキーを征服 p368
新感覚「空の奥の細道」 p369
ベルリンの空かける6号機 p370
熊川に初の「航空章」 p370
3号機の最期 p371
8 大企画に全国熱狂 p372
三原山探検成功 p372
飛ぶように売れた号外 p373
連載された探検記/海底写真は日曜夕刊に p374
これが水中写真機/ムッシュー・ヨミウリ p375
「竜虎相搏つ」/「岡田嬢大奮戦」 p376
問題となった打ち掛けの慣習 p377
「聖盤に殺気漲る」 p377
ついに敗れた坂田三吉/木村・花田の情熱 p378
第3章 戦時下にひらく新生面 379
1 日中戦争はじまる p379
北支総局と特派員の従軍スタイル p379
従軍二態 p380
2 “読売魂”の前線特派員 p381
上海総局の無電室/同郵便サービス p381
基地総局にみる内助の功 p382
航空史に残る片翼・樫村機 p383
帰順部隊を閲兵した特派員 p384
従軍特派員の遺書 p385
3 夕刊2回発行と速報 p385
4 海外通信網の確立へ p386
米国務省に初の日本人記者 p386
不破安雄 p386
各社をリードした映画「読売ニュース」 p387
第2次大戦勃発 p388
高橋主筆の視察談 p389
5 社会面に国際電話の新境地 p390
越境事件でも他紙をリード p390
速報に犬ゾリの新兵器 p391
「朝の食卓へ世界の話題」 p392
6 論説陣の強化拡充へ p392
社会大衆党の体質 p393
ハトに社長賞 p394
ハトはかく戦えり p395
7 紙面の刷新向上めざして p395
8 広告二ページを廃し記事収容 p396
婦人の投書熱 p396
読売ファンの提供写真 p397
広告2ページの廃止を社告 p398
9 落下さん塔の建設 p399
四大航空事業に取り組む p399
世間を驚かした落下さん塔の建設 p400
本社に感謝状 p401
10 社屋工事、部数増で設計変更 p401
5年目に完成した銀座社屋 p402
発展を物語る金字塔 p403
11 販売店を表彰 p403
功労賞を授与された20傑 p404
12 躍進を象徴の新社旗制定 p404
使い初めの本社旗 p405
13 報知新聞を経営 p405
本社と合併当時の報知新聞社屋と三木社長 p406
14 樺太から九州まで地方紙経営 p406
足かけ7年連載の「太閣[太閤]記」3部作 p407
吉川英治の「ことば」 p409
税の天引きはじまる p410
第4章 新聞統制と開戦前後 p411
1 日曜評論の馬場、筆を折る p411
その前夜 p411
「献納広告」欄を新設 p412
2 論壇に新風の「日曜新論」 p412
販売店から「人事」お知らせ p413
学生もついに戦線へ p414
集団疎開はじまる p415
青空教室はじまる p416
3 矢部貞治らの「第一線」 p417
矢部貞治 p417
4 米紙を通じて国民外交 p418
日本の真意を知れ p418
新聞王ハースト p419
5 読売新聞と情報局 p420
軍隊の行動は報道禁止 p420
事前検閲1日平均二五〇件 p421
銃後の美談は特別扱い p422
記事差し止め通達書 p423
学生狩り p424
6 部数調査で本紙が第一位 p424
ゴビ砂漠探検行 p425
ヨーロッパの用紙事情 p426
7 共販制に入る p427
女の郵便屋さん p427
ヒットした戦時歌謡曲 p428
8 「議会を開け」と紙面で抵抗 p428
本社募集の標語とポスター p429
相互理解のため中国と交換論文 p430
臨時議会召集要望 p431
9 発表はすべて情報局 p432
新体制の組閣風景 p432
報道統制の26法令 p433
10 誇大記述で発禁 p434
新聞記者を登録 p434
11 正力社長、命をかけて統制会社案を阻止 p435
大政翼賛会と新聞 p435
翼賛議会と婦人衛視 p436
最高の統帥部・大本営 p437
新聞事業令 p438
第5章 大戦下の悪戦苦闘 p439
1 太平洋戦争はじまる p439
真珠湾奇襲 p439
天気予報も消える p440
アメリカで問題となった紙面 p441
2 南方へ特派員ら百三十人 p442
9日付の開戦紙面 p442
キスカ島の撤収作戦 p443
スピード進撃の銀輪部隊 p444
“空の神兵”降下 p445
スキー銃撃隊 p446
3 開戦半年後の布陣 p446
「大東亜通信会議」開く p447
南方特派員 p447
4 合併で「読売報知」の新題号 p448
銅鉄供出はじまる p448
関門トンネル開通 p449
5 機構と職制の大改革 p450
読売病院開設 p450
警報下の原稿運び p451
読売診療所の特訓 p452
6 日刊「点字よみうり」を発行 p452
社内で配った点字表 p453
7 出版部と「月刊読売」 p453
「月刊読売」創刊 p454
8 文壇総動員の連載記事 p454
「日本の母」を連載 p455
9 南方地域で新聞発行 p456
10 悪条件下でビルマ新聞の創刊 p456
「グレーター・エシア」発行 p456
自給自足へ p457
最後のプロペラ記者 p458
本社募集の航空マスコット p459
深まったビルマとの友情 p460
11 犠牲者十四人を出したセラム新聞 p460
「シナル・マタハリ」 p461
終戦後、東南アジアに残された特派員 p462
“自由通信”小屋 p463
セラム新聞創刊号/セラム新聞社全景 p464
12 無電傍受事件 p465
“言動に注意”と社長訓示 p465
13 タブロイドの「戦時版よみうり」 p466
「戦時版よみうり」 p466
14 地方紙出向と輪転機疎開 p467
疎開と農園づくり p467
本社の“決戦訓” p468
15 空襲で社屋炎上 p468
屋上監視哨に“新兵器” p469
燃える本館 p469
非常時編集室 p470
16 築地本願寺に仮事務所 p471
落首・狂歌・流言蜚語 p471
17 地下壕工場を建設 p472
地下工場の設計見取図 p472
18 原爆、そして終戦 p473
罹災証明書 p473
尊い社員の戦争犠牲者177人 p474
罹災者920万人 p474
第6章 第一次争議起こる p475
1 暗い世相 p475
厚木進駐の日、注目の“叫び” p475
2 民主化要求起こる p476
3 別館移転とプレスコード p476
占領下(22年)の新聞検閲ゲラ p476
検閲特報 p476
新聞検閲の種類 p477
天皇陛下、マッカーサー元帥御訪問 p478
新聞並びに言論の自由に対する新たな措置 p478
「東京三紙の発禁は矛盾」 p479
4 鈴木東民の復職 p478
5 社員大会開く p479
6 「経営管理」に入る p480
鈴木東民、長文連の“争議抄録” p480
7 紙面で攻撃 p482
会衆も応援、社会党の本社闘争批判演説会 p482
連日紙面で攻撃 p483
8 正力、自説を曲げず p484
小林光政 p484
徳田、志賀ら出獄 p484
9 小山義一の一石 p485
10 調停委へ提訴 p485
11 正力の戦犯容疑指名 p486
パンフレット「読売争議の真相」と内容 p486
正力社長の“争議”演説 p487
12 ようやく解決 p488
読売争議・労使双方の調停委員 p488
本社に保存されている調停文書 p489
正力の「私の座禅体験」 p490
第7章 第二次争議 p491
1 鈴木東民、編集局長となる p491
正月雑観 p491
2 左傾紙面 p492
「小島文夫日誌」 p492
馬場社長の新年のあいさつ p494
3 緊張した国内、国際情勢 p495
先頭に立つ“読売隊” p496
4 プレスコードに抵触 p497
5 馬場社長、決意固める p498
「ニッポン日記」による食糧メーデー p498
6 販売店も辞職勧告 p499
7 編集権確立へ p500
馬場の「読売争議の思出」 p500
8 馬場社長、涙で訴える p502
岩淵辰雄 p502
日本新聞協会の編集権確保に関する声明 p502
9 いったんは解決 p503
インボデン少佐 p504
10 紙面刷新へ p504
紙面刷新は題字の書体変更から p506
「泉」 p506
11 コーエン声明で再燃 p505
12 輪転機とまる p506
労組法11条とプレスコードとの関係 p507
13 論調かわる p508
「ストの渦巻の中で」 p508
14 単一から脱退 p509
15 読売信条を宣言 p510
「小島日誌」による工場ストの前後一週間 p510
新組合誕生 p511
16 国鉄総連、本社の輸送をとめる p512
終戦から2・1ストまでの主な争議 p512
17 新聞ゼネスト、不発 p513
21年夏、デモ隊に囲まれた本社 p513
初めての労働協約 p514
18 組合、一つになる p515
ようやく解決 p516
第8章 復興から充実へ p517
1 創刊七十五周年を祝う p517
75周年記念式典 p517
読売ホール p518
2 全国ブロック別総局制 p518
支局の花形サイドカー p519
3 ハトと無電 p520
ハトと無電......「通信筒背にかれんな姿」 p520
「超短波ラジオカー」 p520
「小型携帯用無線電話」 p521
4 新聞マイクロ化に先べん p522
「10進分類法」の検討 p522
資料部再建に「欠号の贈り物」 p523
読売商店街と読売診療所 p524
第9章 独自の紙面打ち出す p525
1 「安田副社長・編集主幹」 p525
安田庄司/「安さん」の人柄 p525
2 「望みなきに非ず」 p526
織田作の上京 p526
「空襲下の吉野村定期便」 p527
3 呉清源の棋譜独占 p528
呉清源/「盤側には真剣、平安の気」 p528
4 下山・三鷹事件 p529
読者の“カン”は3対1で他殺説が優勢 p530
竹内上申書をスクープ p531
5 フジヤマノトビウオ p532
古橋、1500メートル決勝のターン p532
全米水上・国際報道合戦の第一報 p532
6 単独講和の主張 p534
講和論争の年明け p534
講和問題かけた参院選 p535
臨時選挙対策本部を設置 p536
7 読者の声を紙面に反映 p537
紙面にみる「戦後」(1)/鉄カブトをナベに p537
手巻きタバコが流行/タバコ巻きに好適紙 p537
紙面にみる「戦後」(2) p538
「舶来ビックリ箱」/「コップ酒復活」 p538
「豆オトナ、美空ひばり」 p539
「“はと”ガール登場」 p539
8 教育部の十一年 p539
入社試験の時事単語 p540
9 湯川奨学基金 p541
新入社員の研修 p541
湯川奨学基金を創設 p542
湯川奨学金交付者氏名 p542
10 平和を願って p543
「シールズ華やかに入京」 p543
首相(吉田茂)“ミス日本”の渡米激励 p544
第10章 購読調整と夕刊旋風 p545
1 タブロイド判発行 p545
合計35日間、タブロイド判を発行 p545
そろばん玉で受け渡し部数を確認 p546
2 用紙対策を急ぐ p546
戦後の新聞用紙需給推移/郡司宗秋 p547
3 購読調整を乗り切る p548
新聞の転読=購読調整 p548
販売陣営の両会長/野村安太郎・八木坦 p549
4 「夕刊読売」発刊 p550
「夕刊読売」が復活 p550
マンガ「轟先生」と「人生案内」 p551
25年初の販売会議 p552
濠に腰掛け p553
5 株式会社に改組 p554
よみうり101号機からみた銀座本館付近 p554
第11章 務台光雄の復社 p555
天皇、食糧難突破を訴える p555
戦後、1面下段コラムのタイトル変遷 p556
戦後、社会面下段コラムのタイトル p558
マンガに見る「終戦一年」 p560
立会演説会を主催 p561
新憲法を祝う花火大会 p562
台風で大水害の江東へ救援隊 p563
帝銀事件発生 p564
太宰治死す p565
ニュースカーの活躍 p566
第12章 社長馬場の辞任 p567
伝統の菊人形、6年ぶり復活 p567
馬場恒吾・四方田義茂・武藤三徳 p568
現勢 p569
第1章 全国紙への展開 p571
1 講和の年、安田・務台体制のスタート p571
民間人、戦後初の空の旅 p571
戦後、文化の空白埋めた「アンリ・マチス展」 p572
安田、全国制覇の意図明かす p574
2 務台の積極政策みのる p574
“放出紳士”を皮肉る-編集手帳 p575
新風俗からみて「女性は解放されたか」 p576
3 新聞用紙統制撤廃にも積極的 p577
悲惨な桜木町駅事件の現場写真 p577
“マッカーサー時代”去る p578
身を削る思いの紙集め p579
新聞用紙輸入詐欺事件 p580
4 朝夕刊ワンセットと八時間労働体制の実施 p581
講和会議をマンガ取材 p581
近藤日出造 p581
「くろしお号」活躍 p582
名選手生んだ「青森―東京駅伝」 p583
8時間勤務体制実施の掲示 p584
5 専売復帰への台頭 p584
「もく星」号・民間航空初の事故 p585
独立後初のメーデー暴動化す p586
6 専売前夜、中央紙と地方紙との抗争 p587
佐野有国・田村三之助・武藤政一 p587
7 三社三様の建てページ、建値で専売へ p588
新威力・多色刷り機が始動 p588
拡材に秘策ねる各社 p589
8 苦心の店舗づくり p590
菅尾且夫・池川勇・米田円 p590
「近世名勝負物語」の誕生 p591
専売移行時、販売店も戦った p592
防空ごうも店舗に 本社・店が一体 p593
9 増紙三十万、緒戦の勝利 p592
10 意表の広告料値上げで、不況を切り抜ける p593
皇太子ご出発を追う報道戦に凱歌 p594
11 広告主に信頼されたABC認証 p596
ABC協会の成り立ち p596
倫理化委員会の組織 p597
12 広告段数減らして記事を充実 p598
不公正取引の「特殊指定」実施 p598
アンコール8回、ギーゼキングの初演奏 p599
ドルをかせいだ鵜飼いの写真 p600
13 創刊八十周年、百年への誓い p600
感銘与えた正力の追想談 p601
創刊80周年における被表彰者 p602
第2章 暴力と権力への闘い p603
1 ペンの力、銚子の暴力一掃 p603
社会部へ初の「菊池寛賞」 p603
「記者を消せ」を殺し屋に依頼 p604
2 新宿暗黒街の粛正 p605
“悪の華”新宿歓楽街 p605
倒れてやまん“記者魂” p606
「読売史上かつてない取材力」 p608
3 “東京租界”の摘発 p609
「脅迫に屈せず戦った」 p609
国際とばく団の本拠に乗り込む p610
4 伏魔殿・魚河岸の浄化 p610
安井都知事、本社記者に確答 p611
立正交成会事件と鳩森小学校問題 p612
第3章 覆面の大阪進出 p613
1 “全社一体”で百八十万突破 p613
八反田角一郎・栗山利男 p613
社員増紙運動をたたえる抽選会 p614
増紙へのアピール p615
2 なんども挫折した大阪進出 p616
統制時代の大阪業界 p616
山本インキ店主の信義 p617
3 第二の危機に挑む安田、務台体制 p618
読売を去る務台の心境 p618
4 社屋用地を安く入手 p620
赤サビた鉄骨から文化の殿堂 p620
本館前の大イチョウ p621
5 「新大阪印刷」始動す p622
寒空で焼け輪転機の整備 p622
苦心の活字作り p623
6 正力と務台の胸中 p624
8月15日の異変 p624
支局から支社へ昇格 p626
金閣炎上 p627
7 「大阪読売新聞社」ついに誕生 p628
天皇の関西ご旅行 p628
10か月で土地、鉄骨代償却 p629
務台代表の大阪発刊第一声 p630
「読売を締め出せ」各社の取材妨害 p630
8 発刊までの五十二日間 p631
割り込みに苦労した広告 p632
創刊時の販売店―妨害にめげず p633
9 第一号発刊、部数百四十三万 p633
創刊時の販売店―体力の限界を超越して p634
東西両本社でメッセージ交換 p635
10 紙面、企画に活気みなぎる p636
「読売はなぜ大阪で発行したか」安田大阪読売会長のあいさつ p636
11 八反田専務の登場と夕刊発行 p637
八反田専務の就任あいさつ p638
社会に奉仕した一億円くじ p639
12 少年少女新聞問題で協会から除名される p639
大相撲から美術展まで・幅広い事業 p640
13 二億円福引の波紋と大阪本社の態度 p641
日本新聞協会に抗議し―全読者に訴える p642
東京高裁に提出した陳述書 p644
第4章 ビキニ“死の灰”のスクープ p645
1 第五福竜丸の船員を追って p645
現在でもみごとなチームプレー p645
「ついに太陽をとらえた」誕生 p646
2 久保山の死と波紋 p648
“ビキニ死の灰”異聞 p648
風化させるなビキニ事件 p649
第5章 正力松太郎を社主に推挙 p651
1 全役員一致で推す p651
匿名組合の全出資者に返済 p651
2 資産再評価と増資、定款の変更 p652
徳富蘇峰からの手紙 p652
3 「正力厚生会」へ二十万株寄贈 p653
品川主計 p654
“原子力平和利用懇談会”の発足まで p654
4 原子力平和利用にも貢献 p655
原子力平和利用懇談会世話人氏名 p655
ホプキンス、正力社主と鳩山首相訪問 p656
ホプキンスさんへ p656
国民を啓発「原子力平和利用博」 p658
“太陽の火”ともる p658
第6章 ファクシミリ新聞誕生 p659
1 高橋雄豺、本社代表に再登場 p659
高橋雄豺 p659
正田美智子「はたちの願い」に2位入選 p660
日曜クイズに応募2600万通 p661
工務局の損紙軽減運動に社長賞 p662
2 新機軸みせた県版づくり p663
爆発的人気の「読売電話ニュース」 p663
記者の不当逮捕と取材源の秘匿 p664
読売会館の完成 p665
3 設備増強の戦い p666
「読売式全面多色刷り高速度輪転機」の完成 p666
地上8階 第2別館の完成 p667
4 活版工程に革命、全自動モノタイプの開発 p668
初期に導入された3機種のモノタイプ p668
わが国最初の漢字入りテレタイプ 邦文印刷受信機の完成 p669
読売式全自動モノタイプの公開 p670
「だっこちゃん」人形の流行 p671
5 編集・工務の一体化、総合技術委員会の発足 p672
銀座本社時代の活版工場 p672
山岡重孝 p673
6 北海道、北陸で現地印刷「ファクシミリ新聞」の誕生 p673
「北海道現地印刷」開始の社告 p673
芸術か、わいせつか、チャタレー裁判 p674
ファクシミリ実用化スタート p675
盛大に「北陸読売文化会館」開く p676
7 「月刊読売」から「日本の歴史」まで p677
週刊誌ブームの到来 p677
「日本の歴史」にスタッフの努力 p678
8 広告局の新設 p679
古戸一郎・深見和夫 p679
藤原と正力 p680
9 案内広告の充実 p682
速報に威力をみせたプリントファックス p683
10 反響呼んだ「日本の平和提案」と異彩の論壇 p684
「日本の平和提案」要旨 p684
本社の「平和提案」に返書を寄せた人々 p686
第7章 科学・学術調査に新機軸 p687
1 科学報道本部の誕生と読売学生科学賞の設定 p687
南極一番乗り、坪川特派員の壮挙 p687
人工衛星観測に協力、本社観測班の設置 p688
学生科学賞入賞者の皇居訪問 p689
2 内外に学術調査団派遣 p690
滝つぼ潜水撮影の苦心 p690
ナゾが解けた鳴門の渦潮調査 p691
天海蔵の開扉式 p691
初めて科学のスポットをあびた谷川岳 p692
コーチ陣は一流、夏の立山大集会 p692
踏査7か月間、東南アジア学術調査団 p693
二つの大遺跡発見、成果あげたアンデス調査 p694
第8章 安保闘争への姿勢 p695
1 逆コースに挑む p695
連載「逆コース」光る p695
「削られた国民の声」に一矢 p696
乱闘国会に3社共同声明 p697
生きかえる参謀本部 p698
2 勤評闘争で全国に調査団派遣 p699
内灘、砂川の基地闘争 p699
勤評問題調査団の報告記 p700
勤評現地調査団の活躍 p701
勤評反対運動の犠牲者はこども p701
3 「警職法改正」に反対 p701
皇太子のご婚約に拍手を贈る p702
4 安保改定闘争の軌跡 p703
左右に偏らず主張を堅持 p703
バンデンバーグ決議 p704
日米新安保条約に調印 p704
ヤジと怒号と暴力―5月19日の国会 p705
流血の6月15日、国会周辺の乱闘 p706
共同宣言、「暴力を排し、議会主義を守れ」 p707
5 正力社主、米「タイム」誌の暴言に抗議 p708
浅沼社会党委員長刺殺される p708
「正力抗議」提出までの経過 p709
総資本、総労働の対決、三井三池争議 p710
第9章 市民生活をまもる p711
1 「黄色い血」の恐怖に抗して p711
共鳴者の集団献血風景 p711
読売新聞社献血会 p712
日赤から金色有功章 p713
2 許すまじ「交通戦争」 p713
ここに悲しみが/愛川重義 p714
“交通戦争”のツメの跡(交通事故の統計) p715
3 見逃すな「小暴力事件」 p715
4 急げ、身障者対策 p716
車イスで全国行脚 p716
拝啓厚生大臣様 p717
5 公害退治に総力をあげる p718
日本における戦前の公害の歴史 p718
A・J・ハーゲンスミット博士 p719
スモッグの日は死亡者も多い p720
ネーダー招へいまで p721
6 選挙浄化の実現をめざして p721
「国会の黒い霧」 p722
選挙浄化委員会委員のメンバー p723
7 紙面での政治キャンペーン p723
選挙標語を募集 p724
政治資金規正法改正の政府案特報 p725
8 未到の分野開いた「総理大臣」 p725
「総理大臣」の企画から取材まで p726
「にっぽん権力地図」のポスター p727
9 暴走物価に挑戦する p727
タダ乗り日本 p728
「物価戦争」に新聞協会賞と社長賞 p729
二つの警視総監賞 p730
第10章 苦闘・西部進出 p731
1 社報でみる“歴史的一瞬” p731
「西部読売」の歴史的第1号 p731
第1号最終版の完成にバンザイ p732
2 名古屋か九州か p732
“殺人鬼”西口彰、熊本で捕まる p733
宿命のめぐり合い p734
3 正攻法での進出きまる p736
西部本社39年度年表 p736
大阪読売時代の「九州版」 p737
ビル建設の新記録 p738
社会面、どたん場の変更 p739
4 土地入手などの圧迫をはねのけ、発刊準備進む p740
「水ぎわ作戦」を打ち破る p740
5 販売網の開拓と人集め p741
はせ参じた有能な人材 p741
正力社主、25年ぶり九州の土を踏む p742
6 苦闘の歴史始まる p743
初の3本社編集局長会議 p744
7 他社の妨害退ける p744
象眼ハプニング p745
8 象眼との戦い p746
海に山に相次ぐ大スクープ p746
9 報道合戦に全力をあげる p747
10 三十万の周辺 p748
三浦武男・青木照夫 p748
威容を誇る読売理工学院 p749
11 五十万部体制整う p750
苦節10年、新装なった読売福岡ビル p750
12 栄光の十周年、価値ある六十万部 p751
伸びる西部本社の機能 p751
1年間で10万部の伸び p752
第11章 大衆紙と高級紙との融合はかる p753
1 平和を求めて p753
往復書簡「平和問答」の執筆者 p753
「世界平和推進会議」に参加した外国学者とその一言発言 p754
ウォルター・リップマンの横顔 p756
「モスクワ会議」成功のかげに p757
金嬉老事件とマスコミ p758
エンタープライズをとらえた p759
「日本総点検」の二大特徴 p760
2 世界に目を開く p761
コラムニスト細川忠雄死去 p761
虚構から抜け出せ p762
専務・編集主幹小島文夫逝く p763
3 「世界の新風」と「これが○○だ」 p764
永久保存される本社制作のポスター p765
4 アジアを含めた国際問題を重視 p766
迫力あったラオス作戦・現地ルポ p766
5 国際経済委員会と東京会議 p767
元日の大スクープ「三菱・第一銀行の合併」 p767
繊維問題担当記者の記録 p768
「福祉とインフレ」を論じる東京会議分科会 p770
6 論壇に新風吹き込む p771
吉展ちゃん事件で社長賞 p771
「昭和史の天皇」秘録 p772
7 年間「統一テーマ」の設定 p773
人間回復のための6提言 p774
8 独占したアポロ宇宙飛行のすべて p774
アポロ13号宇宙脱出 p775
9 異色の解説欄「今日の断面」 p776
「人物再発見」 p776
「実録・川端康成」 p777
新紙面初の“土俵入り” p778
第12章 言論の自由求めて p779
1 大学紛争と言論 p779
エスカレートする大学紛争 p779
東大安田講堂、封鎖解除される p780
2 ワシントン・ポスト紙の勇気ある戦い p781
ピューリッツァー賞 p781
印パ戦争に関する秘密会議の内容 p781
ワシントン・ポスト社主、本社訪問 p782
3 報道の自由と「外務省秘密電報漏えい事件」 p782
外務省極秘電文の内容 p783
外人記者が見た機密事件 p784
4 金大中事件の報道で新聞協会賞 p785
「金大中事件」本紙記事に対する米国の論調 p785
長谷川実雄 p786
甲藤信郎ソウル特派員、退去までの経過 p787
「これからの世界と日本の課題」 p788
第13章 経営の近代化と技術革新 p789
1 正力社主死去 p789
正力社主に対する弔辞から 佐藤栄作・万直次・河合良成 p789
献歌 p790
正力松太郎 p791
正力亨 p792
2 務台光雄、社長に就任 p792
務台光雄 p793
小林与三次 p794
盛会だった社主・社長就任披露 p794
各界代表の祝辞 p795
原四郎 p796
3 経営の体質は運命共同体 p796
4 着実に進む経営の合理化 p797
長倉栄 p797
橘英雄 p798
5 近代化への促進機関、相ついで誕生 p799
夕刊完載200日 p799
第一回新聞製作工程委員会開く p800
6 組織実態調査から組織・人事の改善へ p801
初の監督者研修講座 p801
電算機で新入社員の意識調査 p802
7 用紙事情悪化の危機克服 p802
佐々木芳雄・大場兵助 p803
為郷恒淳・白神勤 p804
8 販売合理化の推進へ p804
女性初の販売会長 p805
9 育英、奨学制度の充実 p805
鈴木茂三郎からの感謝状 p806
10 解決迫られる販売上の諸問題 p807
新潟地震救援一番乗り p807
大講堂の壁面に歴代社長の写真額 p808
11 広告にも新生面 p809
丸山巌・森田善十 p809
広告費の伸び率表 p810
AFCマークの制定 p811
12 キャンペーンから多彩なアイデアまで p812
葬儀広告に顔写真 p812
137組が新形式の大挙式 p813
13 AFC広告と特集広告 p813
本社広告代理店一覧表 p814
14 技術革新時代に対処して p815
15 東京五輪で一段と強化された機械化 p816
損紙率引き下げ0.3%余の重み p816
“世紀の祭典”に万全の取材体制 p817
16 選挙報道にも機械化の威力を発揮 p818
全社員の英知を募る提案制度 p818
基本活字の新書体 p819
17 相つぐ新技術、新機器の開発 p820
読売電子新聞 p820
岡久雄 p821
APR製版の三大特徴 p822
18 大手町社屋とその後 p822
情報集配システムとは p823
正力前社主の7回忌法要 p824
第14章 新生面ひらく文化キャンペーン p825
1 芸術の世界的一級品を提供 p825
大にぎわいの泰西名画展 p825
ルービンシュタイン招へいの苦心 p826
2 学術の成果を庶民の手に p827
海洋開発国際シンポジウム p827
3 福祉厚生事業やキャンペーンにも一役 p828
橋本道淳・村上徳之 p828
4 スポーツその他の事業 p829
エベレスト・スキー滑降に成功 p829
「最高棋士決定・棋聖戦」 p830
第15章 「中部読売」と業務提携 p831
1 独創的な新聞発行―姉妹紙の発展に期待 p831
「編集手帳」/高木健夫 p831
地価(年間)初めて下がる p832
2 青森で現地印刷開始 p833
新聞界の危機打破へ p833
青森工場が完成 p834
第16章 画期的な購読料・広告料据え置き社告 p835
1 決意示す社告 p835
昭和51・3・25朝刊一面に掲載された据え置き社告 p835
国際経済協力シンポジウムで“調和”を説く p836
2 公共的使命を果たす p838
新入社員に感銘 p838
広告料据え置き説明会 p840
“わが意を得た”販売陣/正副会長会議 p842
読売新聞購読料の推移 p843
3 激励と賛辞 p844
緊急幹部会 p844
読者の激励 p845
第17章 ロッキード事件を追う p847
児玉の入院騒ぎ p847
11年ぶりの証人喚問 p848
ロッキード事件の世論調査 p849
カミカゼ特攻 p850
ロッキード事件の主な日誌 p851
3年ぶりの号外 p852
関連会社 p853
第1章 読売巨人軍・40年の栄光 p855
1 読売新聞と野球 p855
明治時代の野球 p855
飛田・市岡の野球論争 p856
球界の殿堂「野球体育博物館」 p857
2 日米野球と大日本東京野球倶楽部の創設 p858
市岡早大監督、巨人入り p858
ベーブ・ルースの来日 p859
巨人軍発祥の地 p860
3 職業野球リーグ戦へ p861
野球殿堂入りした鈴木惣太郎 p861
“職業野球団”アメリカ遠征へ p861
米遠征の東京野球倶楽部、帰国歓迎集会 p862
日本最初の職業野球団同士の試合 p863
4 沢村投手の活躍 p864
後楽園スタジアムの落成と水原の本塁打 p864
後楽園開場と広告 p864
アメリカの巨人軍 p866
“巨人軍の花”沢村とロマンス p866
5 苦難期の人々 p867
中島治康、マニラで大ホーマー p868
川上哲治の“甲子園回想” p869
太平洋戦争と巨人軍 p870
6 戦後の野球復興 p870
戦後、苦難の北海道シリーズ p871
人気を二分した赤バット、青バット p872
7 二リーグ誕生へ p873
GHQ、日本野球に関心 p873
正力、日本野球連盟名誉総裁に p874
三原総監督にシーズン出場停止 p875
本紙、社説で反論 p875
論議の分かれる正力コミッショナー p876
8 巨人のスターたち p877
水原茂、元気に帰る p877
背番号と選手/川上、米キャンプで成長 p878
巨人軍、大リーグに初勝利 p879
モンロー、日本野球に花そえる p880
9 九連覇と新生巨人 p881
巨人軍の観客動員数 p881
王貞治、巨人軍入り p882
長島、天覧試合にサヨナラ・ホーマー p883
西村亜希子とホームイン p883
巨人軍、川上から長島へ p884
第2章 日本テレビと読売テレビ p885
1 正力テレビ構想 p885
大正末期からテレビ研究 p885
トーキー渡来話 p886
ラジオ開局の話題!! p887
2 免許申請 p888
正力のテレビ構想とド・フォーレ博士 p888
ウォルター・ダスチンスキー博士の卓見 p889
正力、追放解除とテレビへの関心 p890
3 六メガ論争 p891
日本もテレビ時代へ、八木アンテナも一役 p891
電波三法を施行、民間にも“電波開放” p892
NHK、「日本テレビ」を中傷 p893
4 免許第一号 p894
そっけないテレビのマンガ p894
日本テレビの事業計画とNHKへの反駁 p894
坂本・電波監理委員、民営先行を主張 p896
5 NTV開局 p896
日本テレビに深夜の免許1号 p897
街頭テレビ花ざかり p898
NTV開局に吉田首相もお祝い p899
受像機の広告相つぐ p899
見物料をとる喫茶店、ニュース劇場 p900
6 大阪読売と新大阪テレビの発足 p900
新大阪テレビが経営方針 p901
正力構想は利権......郵政官僚が横ぐるま p902
動き出した新大阪テレビ/設立発起人総会 p903
新大阪テレビ敷地決まる p904
YTV生駒送信所、設置の苦心談 p905
7 10チャンネル獲得までの苦闘 p905
テレビ11チャンネル時代へ p906
マイクロウエーブは正力構想が発端 p907
郵政省に異議申し立て p908
八木アンテナの発明者 八木秀次 p909
読売テレビ・単独免許のいきさつ p909
野球中継でNHK、NTVと対抗 p910
8 YTV開局とNTV・YTVカラー化 p911
YTVの開局 p911
YTV、冷や汗のうら話 p912
カラーテレビ値下げへ p913
9 NTV系列の確立 p914
カラーテレビ本放送 p914
「正力タワー」構想の発表 p915
UHF局の誕生 p916
読売テレビのオンライン・システム p917
清水与七郎・福井近夫・新田宇一郎・岡野敏成 p918
10 ラジオ・テレビ推進本部の設置 p919
これがCATVシステム p919
「番組嗜好調査」で視聴率向上 p919
編集局に電波報道部を設置/青山行雄 p920
第3章 よみうりランドと東西読売ゴルフ場 p921
1 ゴルフ場建設とレジャー時代 p921
よみうりランドへの秘話 p921
大衆にゴルフを......正力、コース新設発表 p922
アーノルド・パーマー正力訪問 p922
読売スター・ドームが完成 p923
2 大阪・読売ゴルフ場 p924
よみうりゴルフ・今昔 p924
メンバーコース開場 p927
パブリックコースも開場 p928
3 よみうりランドの誕生 p929
400万平方メートルに夢がいっぱい p929
ランド工事に正力陣頭指揮 p930
二つの私鉄が「読売ランド前」駅 p931
アイススケート場完成 p932
関根長三郎・高橋雄二 p932
第4章 報知新聞・福島民友新聞 p933
1 報知新聞 p933
郵便報知創刊号 p933
野間清治と報知 p934
昭和十六年の報知新聞役員 p935
「報知青梅マラソン」 p936
2 福島民友新聞 p937
ユニークな福島民友 p937
福島民友の復活1号 p938
和久幸男 p939
3 株式会社読売旅行 p939
“読売旅行”の発展 p940
創刊当時の「旅行読売」 p941
索引 p942
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