(株)読売新聞社『読売新聞百二十年史』(1994.11)

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目次項目 ページ
刊行にあたって 代表取締役社長 渡辺恒雄 p1
図版 p2
明治~太平洋戦争 p2
本紙創刊号 p2
日就社発行の英和辞典 p2
「新聞創刊の地」記念碑 p2
創業のトリオ子安峻・本野盛亨・柴田昌吉 p3
錦絵に描かれた本社 p4
錦絵とチリンチリン箱 p6
チリンチリン箱の現物 p7
本社建物四態 p7
“写真画”で報道、磐梯山噴火 p8
社説の前身「読売雑譚」 p8
新聞検閲をポンチ絵で風刺 p8
「金色夜叉」連載始まる p9
同・単行本のさし絵 p9
第一面の全面広告 p10
ラヂオ版の新設 p10
夕刊発行 p11
サンデー漫画 p12
三原山噴火口探検 p13
正力社主も出席、記事審査会 p14
米大リーグ招く p14
戦災から本社建物を守る防護団員 p14
太平洋戦争に突入 p15
御茶ノ水の本社地下工場 p15
終戦を報じる第一面 p16
空襲で被災、築地本願寺に臨時編集局 p17
戦後~大手町時代 p17
マッカーサーの新聞検閲 p17
新聞製作の“古典時代” p18
歴史的スクープ「第五福竜丸事件」 p19
「ついに太陽をとらえた」 p19
東京五輪、連日のカラー写真 p20
ワイド解説面「今日の断面」始まる p21
報道に新風「昭和史の天皇」 p21
深海作業潜水船「よみうり号」 p21
昭和天皇・皇后ご来社 p22
国宝展に天皇・皇后 p22
日航ジャンボ機が墜落 p23
三国合同・チョモランマ南北同時登頂に成功 p24
ゴルバチョフ元ソ連大統領を招く p24
防弾服を着てカンボジアPKO取材 p25
防毒マスクを持ち湾岸戦争取材 p25
インマルサット衛星経由で送稿するソマリア紛争取材 p25
ロンドンで国際円卓会議 p25
ギネスブックが本紙の世界一再認定 p25
ハイテク取材と新聞制作 p26
世界各地で愛読される本紙 p28
巨匠の客演相次ぐ読売日響 p29
Jリーグ初代王者ヴェルディ p29
巨人軍創立六十周年に槙原の完全試合 p29
記録的な入場者、バーンズ展 p30
USA丸ごと体験、アメリカンフェスティバル p31
全国的に展開、四本社・ニ支社と分散工場 p32
第一章 明治・大正 p44
第一節 読売新聞の誕生 p44
日就社、英和辞典からの出発 p44
「読売」の由来と傍訓新聞 p45
創刊当時の政治環境 p47
順調な発展と紙面改革 p50
西南戦争で早くも報道戦 p50
銀座煉瓦街へ進出 p52
論説欄「雑譚」の創設 p53
政局激動の渦中に p54
政府の統制強まる p55
小野梓の論陣参加で精彩 p56
「中の中たる」新聞へ p57
低価格で東京一を維持 p58
第二節 立憲政治の鼓吹 p59
甲申事変で海外への目 p59
初代主筆に高田早苗 p60
憲法発布に率直な喜び p62
条約改正と発行停止 p63
山田美妙の「武蔵野」 p64
磐梯噴火で視覚化の芽 p65
帝国議会を詳報 p66
度重なる発行停止 p68
第三節 日清・日露戦争 p70
対外強硬論に同調 p70
日清戦争始まる p71
講和と三国干渉 p73
尾崎紅葉の「金色夜叉」 p74
足尾銅毒に同情 p75
新聞紙条例改正される p76
日英同盟締結を特報 p77
極東の風雲急 p79
日露戦争への対応 p80
学芸新聞への傾斜 p84
社屋改築と新体制 p86
明治の終幕 p87
第四節 大正時代の経営難 p89
開明的な本野社長 p89
大正政変で世論と対立 p90
あわや買収される危機も p91
婦人面のはじまり p92
自重説く対中国論 p93
「駅伝」ことはじめ p94
日就社の名消える p95
各社での印刷ストライキ p96
本野家の手を離れる p98
松山社長、懸命の改革 p99
大庭柯公、消息を絶つ p100
関東大震災、本社を直撃 p101
第二章 昭和前期 p104
第一節 正力松太郎の登場 p104
運命の「虎ノ門事件」 p104
後藤新平の友情と援助 p105
総力挙げ危機を乗り切る p106
徹底した節約とたるみ是正 p108
画期的なラジオ版創設 p109
天下を沸かせた大棋戦 p111
歌舞伎座を借り切る大宣伝 p114
正力、東京市疑獄で逮捕 p114
日本名宝展で屈辱そそぐ p115
販売戦と務台の入社 p117
紙面改革と漫画の重視 p120
読売診療所の開設 p122
第二節 夕刊発行で全国紙に p123
満州事変の衝撃で決断 p123
“非常時”下の社説・記事 p126
米大リーガーを招く p128
三原山探検など大型企画 p130
言論自由への暗雲 p132
航空陣の充実 p136
第一面をニュースに開放 p139
乱戦抑えて増紙 p140
第三節 日中戦争に突入 p142
戦況速報で夕刊二回発行 p142
海外通信網の整備 p146
論説に左右から人材集め p149
圧迫される国民生活 p151
新社屋と新社旗 p153
馬場恒吾、筆を折る p155
コラム、右へ傾く p156
内閣情報局の発足 p158
報知新聞を経営 p161
共同販売制に入る p163
統制会社案を葬る p164
第四節 太平洋戦争 p167
「来るべきものが来た」 p167
東南アジアに進出 p169
一県一紙の時代 p171
戦火の犠牲者 p174
資材難・非常態勢 p176
地方紙と「持ち分合同」 p178
東京大空襲で被災 p179
具体化した地下工場構想 p181
原爆の惨禍をルポ p182
終戦―一番長い日 p184
第三章 昭和戦後 p186
第一節 新時代への模索 p186
輪転機からの復興 p186
GHQの統制始まる p187
民主化要求運動 p189
第二節 再度にわたる争議 p192
正力追及の第一次争議 p192
「人民の機関紙」時代 p195
第二次争議に馬場奮起 p198
第三節 占領下の復興 p204
題字を改める p204
記者を再教育 p205
社是を唱える読売信条 p206
用紙難でタブロイド判 p207
読める限界の十八段制 p208
購読調整を乗り切る p209
GHQの検閲 p212
東京裁判報道の厚い壁 p215
再開の特ダネ競争激化 p217
銀座本館ようやく復旧 p218
地方通信網も整える p219
難産の「編集手帳」誕生 p220
下山・三鷹・松川事件 p222
「独立夕刊」を発行 p224
SFシールズが来日 p226
第四節 発展の基礎固める p228
株式会社に改組 p228
務台光雄の復社 p229
体力をつける積極政策 p231
現実見つめ単独講和論 p233
新宿粛正キャンペーン p236
ラジオカー登場 p239
新聞用紙の統制撤廃 p241
朝夕刊セットが復活 p244
「マチス展」を開催 p247
漢字制限を完全実施 p248
第五節 全国紙への開花 p250
読者も専売制要望 p250
三社三様の建てページ p252
販売店の士気上がる p252
挫折重ねた大阪進出 p253
隠密裏に印刷準備 p254
正力と務台の考え p256
「大阪読売新聞社」の誕生 p257
格調高く発刊の辞 p258
大阪もセット制に p261
ABCに率先加入 p263
北海道・北陸で現地印刷 p264
西部進出と読売興業 p267
九州販売網の開拓 p268
中部読売との提携 p271
英字新聞を発行 p273
第六節 独立から六〇年安保へ p273
「逆コース」を流行語に p273
勤評・警職法闘争 p275
六〇年安保闘争 p276
第七節 原子力知識の普及とビキニ特報 p279
ついに太陽をとらえた p279
「第五福竜丸」のスクープ p280
原子力利用に熱込める p283
東海村に“太陽の火” p284
科学報道の充実 p285
潜水艦まで持った p288
第八節 テレビ時代と新聞 p289
正力テレビ構想 p289
ご成婚で急速な普及 p290
ケネディ暗殺の衝撃 p291
東京オリンピック p292
報道の過熱に批判も p295
第九節 高度成長のひづみつく p297
四次にわたる「交通戦争」 p297
「物価戦争」庶民に共感 p300
選挙浄化委の発足 p301
政治の深層に迫る p303
売血の暗黒面 p305
公害―汚染との闘い p306
第十節 高級紙への指向 p308
相次ぎ国際会議を招集 p308
米ソの宇宙開発競争 p310
「昭和史の天皇」で新手法 p312
ベトナム戦争に“総力戦” p313
文化大革命の奔流 p316
海外取材網の充実 p318
他紙に先駆けた解説面 p319
第十一節 銀座時代の終幕 p321
販売・広告局の分離 p321
工程近代化を図る p323
正力社主逝き務台社長に p324
新社屋着工への曲折 p328
第四章 大手町時代の開幕 p332
第一節 新社屋で飛躍する戦略 p332
思い切った耐震設計 p332
昭和天皇がご来訪 p333
キーレスとRX輪転機 p334
カラー印刷とリジロン版 p336
凸輪からオフ輪へ p337
分散印刷の進展 p339
第二節 日本一の部数に p340
オイルショックと資材危機 p340
購読料・広告料を据え置き p341
狂乱物価と購読料 p343
据え置き第二弾 p344
朝日を抜き部数トップに p345
販売正常化へ共同宣言 p346
四年三か月ぶりに購読料値上げ p346
務台―小林体制 p347
広告の多様化に挑戦 p348
広告評価に読者も参加 p350
発行部数を広告料金に反映 p351
メディア・ミックスの試み p352
広告料金を四本社一体化 p353
クーポン広告スタート p354
宅配確保を図る値上げ p354
消費税を上乗せ p356
販売店を「サービスセンター」に p357
鉄道からトラックへ p358
海外へも本紙広告 p360
第三節 CTSへの移行(上)胎動 p361
変容するCTSの概念 p361
メーカーとの接触 p362
さまざまな選択肢 p364
パートナー、富士通に p366
第四節 CTSへの移行(中)模索 p367
先行した案内広告・英字CTS p367
開発計画の発表 p370
パーフェクトと命名 p371
制作本部の発足 p371
第五節 CTSへの移行(下)完成 p374
パーフェクト始動 p374
計画より半年早く p375
威力もトラブルも予想外 p377
組織・人材委の設置 p379
四本社ネットワークの確立 p381
コード伝送・再編集システム p381
相互バックアップ体制 p382
画像システムの開発 p383
第六節 横断的になった報道体制 p384
キッシンジャー、サダトの回想録 p384
米ソの「NOW」にボーン賞 p388
各国首脳との大型会見相次ぐ p389
大中事件でスクープ p393
ロッキード事件に燃える p395
再審・無罪への五年九か月 p400
「医療をどうする」に新聞協会賞 p403
日航機墜落にスクランブル p407
リクルート、苦渋の調査報道 p411
昭和天皇崩御を総力取材 p413
凝固剤手抜き工事を告発 p419
ベルリンの壁崩壊 p421
イラクのクウェート侵攻と湾岸戦争 p423
第七節 品格ある紙面の追究 p427
東京会議に世界の英知 p427
世界経済の潮流示す p429
社内シンクタンク「調研」 p432
「THIS IS」創刊 p435
読売論壇賞を創設 p437
ノーベル・フォーラム p439
世論調査の拡充 p442
報道と人権の基準を初公開 p446
実名報道原則を掲げる p448
被疑者呼び捨て報道の廃止 p450
被害者感情にも配慮 p452
虚報・誤報事件の続発と教訓 p452
法務室の新設 p455
ロス疑惑報道への対応 p456
家庭に根ざす「写真大賞」 p457
世界の輪「漫画グランプリ」 p459
衛星支局の発足とSS制 p461
第八節 情報の多角利用 p463
ニューメディア時代 p463
電波報道部の新設 p464
海外の読売新聞 p467
データベースの構築 p468
ニューメディア本部から電波本部へ p471
マルチメディアに脚光 p474
第九節 務台名誉会長逝く p475
経営の現役68年 p475
闘魂と友情をしのぶ p477
第五章 一千万部への巨歩 p480
第一節 責任ある言論 p480
主筆・渡辺恒雄が社長就任 p480
社論の確立と論説委員会規定 p480
読売信条を継承 p483
長期的、国際的な視野に立って p487
積極的な国際貢献を主張 p493
政治改革に生きた主張 p497
憲法問題調査会を設置 p498
第二節 信頼高まる紙面 p502
証券不祥事などで特報 p502
「家庭経済新聞」から「YEN」へ p504
ゴルバンゴル・プロジェクト p505
ガイアに象徴させた地球環境問題 p507
環境保護、リオで盛り上がる p511
脳死に揺れた医の倫理 p512
健康・医療に国民の関心 p515
ソ連邦の消滅を追う p518
クレムリンのきわどい会見 p522
ゴルバチョフを挙げて歓迎 p524
「地球を読む」スタート p525
協定下の取材、皇室報道 p527
五五年体制の崩壊と政局報道新時代 p530
政治の流れ、相次ぐ特報 p533
政治の実相えぐる企画 p534
第三節 海外への情報発信 p536
衛星版発行グローバルに p536
アジアでも活力示す p538
欧州でも、きめ細かく p539
英文ニュースレター発足 p540
デイリー・ヨミウリの伸長 p541
第四節 飛躍する機器 p545
記者ワープロシステム p545
第二次CTS p550
機動性を備えた色刷り p552
印画紙無しの写真原稿 p554
デザイン課の独立と電算化 p556
新聞ニュース収集システム p557
航空取材再編 p558
印刷拠点の拡充 p559
大阪、西部でも衛星工場 p562
第五節 変容する広告戦略 p564
長期不況で広告激減 p564
努力と企画で挑戦 p565
基本料金を引き上げ p566
香り付き広告に務台賞 p566
マルチ広告、一段と活気 p567
編集局と連携 p568
オール読売でふるさとフェア p568
「ハードルを越えよう」 p570
総選挙広告に圧勝 p570
アイデアを振りしぼる p571
二年ぶりの広告料金改定 p572
現代新聞読者気質 p572
第六節 事業・出版 p573
文化事業の伝統 p573
美術館連絡協議会の発足 p575
読売書法会の活動 p576
スポーツ事業は多彩化 p577
オールラウンドの事業開発 p579
出版に出る個性 p580
出版社系と激闘する週刊読売 p581
第七節 四本社一元化と一千万部 p583
渡辺社長の販売第一主義 p583
最高経営会議と社長室 p584
新聞も訪販法の対象に p585
再び宅配危機の深刻化 p586
労務難に優先順位 p587
厳しい環境―創意と努力 p589
YSC自営意識の強化 p589
楽しめる夕刊へ改革 p590
ギネスが世界一を再認定 p592
長期不況に購読料値上げ p592
構造不況でリストラ p593
年間二億円の経費削減 p594
全社的に要員見直し p595
営業主幹を新設 p596
百二十年祝い多彩な事業 p596
記録的な入場者、バーンズ展 p597
熱い夏、アメリカン・フェスティバル p599
日米市民がスポーツ交流 p602
読売国際協力賞の創設 p603
舞台に脚光、読売演劇大賞 p604
国際医療フォーラム p605
街路樹が主役、緑の都市づくり p606
百二十周年を担う新陣容 p607
別章 関連会社 p610
第一節 読売巨人軍 p610
大日本東京野球倶楽部の誕生 p610
正力の尽力で球団整う p611
戦時中の苦難 p612
戦後の野球復興 p613
ニリーグの誕生 p614
巨人軍のスターたち p614
九連覇達成への道 p615
ONからヤング世代へ p616
第二節 ヴェルディ p617
Jリーグ初制覇 p617
底辺からの強化 p618
第三節 大衆レジャーの提供 p619
「ゴルフウイドーをなくせ」 p619
よみうりランドの誕生 p621
第四節 報知と福島民友 p622
「郵便報知」の発足 p622
スポーツ芸能紙への転換 p624
試練の争議乗り越えて p625
福島民友新聞 p626
第五節 日本テレビと読売テレビ p627
正力、先見性を発揮 p627
日本テレビの発足 p629
街頭テレビに群がる群衆 p630
カラー化の先達役 p632
危機を乗り切る p633
読売テレビ p634
第六節 読売日本交響楽団 p636
新聞がオーケストラ! p636
話題集めた全国縦断公演 p637
第七節 教養講座と再雇用 p638
読売・日本テレビ文化センター p638
東京読売サービス p640
資料編 p665
年表 p665
一千万部への歩み p666
四本社別の部数推移 p666
読売新聞の活字と構成・ページ数 p667
四本社構成図 p668
国内外の本社拠点 p670
パーフェクトシステムの流れ p672
歴代役員・幹部 p676
索引 p686
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