(社)日本綿業倶楽部『本邦綿糸紡績史. 第1巻』(1937.06)

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目次項目 ページ
題 字 NP
公爵 島津忠重閣下 NP
元商工大臣民政党総裁 町田忠治閣下 NP
貴族院議員工学博士 菊池恭三君 NP
背文字 NP
東洋紡績会社々長大日本紡績聯合会委員長 庄司乙吉 NP
序文 NP
日本綿業倶楽部会長 庄司乙吉 NP
日本綿業倶楽部研究室 絹川太一 NP
第一編 始祖時代 p1
第一章 機械紡績以前の衣料 p1
一 糸車 p1
二 棉花 p2
三 木棉 p4
四 糸車と手織機の末路 p8
第二章 鹿児嶋紡績所 p9
一 創建時期 p9
二 創建と三公 p12
三 紡機輸入事情 p15
四 本邦最初の紡機輸入者 p28
五 薩英関係と英人技師 p34
六 磯の浜の地勢と紡績工場 p39
七 構内設備 p40
八 斉彬公の雄図 p44
九 田上村水車館 p46
十 永吉村水車館と中村綿工場 p53
十一 斉彬公の綿業道徳観 p58
十二 斉彬公の人となり p60
十三 母堂の育児法と公の仏心 p66
十四 綿帆布の自給策 p70
十五 斉彬公と舶来紡織機 p71
十六 舶来綿糸の発見 p78
十七 紡績設立発企者石河正竜 p86
十八 明治天皇行幸 p87
十九 機械据付と伝導装置 p89
二十 今日残存せる鹿児嶋紡機械類 p94
二十一 薩英戦争と紡績機械 p98
二十二 異人館と特別々荘 p100
二十三 堺綿糸場及佐土原藩紡機 p101
二十四 佐土原藩紡機払下 p104
二十五 鹿児嶋紡績所経営者 p107
二十六 組織変更と県庁の監督 p114
二十七 西南役前の経営模様 p115
二十八 経営困難益々加はる p120
二十九 販売所の費消事件 p126
三十 新式機械買入と工場閉鎖 p128
三十一 経営上の諸病弊 p129
三十二 紡機型式と時勢 p130
三十三 士族救済の過度 p131
三十四 職工使用の過多 p132
三十五 工場内の不整頓 p132
三十六 所謂士族の商法 p134
三十七 無智の干渉 p135
三十八 地理の不適当 p137
三十九 諸救済計画 p138
四十 結言 p139
四十一 紡績所趾碑文 p140
第三章 堺紡績所 p149
一 堺紡績所着手 p149
二 紡績所責任者任命 p160
三 紡績所建設の進行 p162
四 紡機運搬と石河氏の心境 p164
五 組立運転と開業 p165
六 堺紡績の買上 p167
七 営業成績 p169
八 紡績所の変転と光栄 p170
九 肥後氏と川崎氏 p173
十 瓶原紡績 p176
十一 紡績所残骸の検分 p178
十二 紡績神社 p180
十三 構内設備 p183
十四 工場内機械配置 p185
十五 明治天皇行幸御模様 p190
第四章 紡績の開祖石河正竜翁 p199
一 翁の誕生地 p199
二 江戸及び長崎へ遊ぶ p200
三 諸藩傭ふべく目を矚す p201
四 薩州侯に仕ふ p203
五 結婚と分娩 p204
六 鹿児嶋紡績の計画萠す p207
七 国産会所を開く p208
八 内綿英国輸出の計画 p210
九 銀札の発行 p213
十 堺紡績所の建設献議 p215
十一 紡績奨励の本舞台に上る p217
十二 諸紡績への奔走 p218
十三 十基紡機の到着と大阪紡績 p220
十四 政府奨励の方針変る p221
十五 正竜翁の雅懐 p228
十六 楠氏と石河家 p230
十七 正竜翁の著書 p235
第五章 楠正季...石河正竜家譜 p237
序言 p237
巻之一 p242
巻之二 p257
第六章 鹿嶋紡績所 p271
一 優良成績の独占 p271
二 紡機の変態的型式 p275
三 穴の中の工場 p277
四 最小の紡機 p283
五 高城家三野村利左衛門を三井へ紹介す p287
六 機械の排列具合 p289
七 精紡機の製作 p291
八 世間へ垂教の数々 p295
九 荒川新一郎氏と万平翁の姻戚関係 p296
十 大倉喜八郎氏との貸借関係 p297
十一 行幸御内沙汰 p299
十二 粗糸不足と夜業開始 p299
十三 職工情態 p301
十四 最も高い紡機 p303
十五 万平翁の履歴とその日常 p308
十六 東京紡績を創立す p315
十七 紡機の最後 p319
十八 万平翁石碑 p320
十九 万平翁の綿業説 p324
二十 翁の織機広告 p328
年譜 巻末
要項索引 巻末
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