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(社)日本綿業倶楽部『本邦綿糸紡績史. 第2巻』(1937.09)
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目次
索引
年表
資料編
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目次項目
ページ
題字
NP
元内大臣伯爵 牧野伸顕閣下
NP
元商工大臣法学博士 小川郷太郎閣下
NP
元鐘淵紡績会社専務取締役工学博士 高辻奈良造君
NP
背文字
NP
東洋紡績株式会社々長大日本紡績聯合会委員長 庄司乙吉
NP
序文
NP
日本綿業倶楽部会長 庄司乙君
NP
元大日本紡績会社副社長日本綿業倶楽部幹事 福本元之助
NP
例言
NP
日本綿業倶楽部研究室 絹川太一
NP
第二編 奨励時代〔上〕
p2
第一章 綿業に関する当時の時勢
p2
一 臥雲紡機の全盛
p2
二 臥雲辰知氏
p4
三 洋式紡績の起らざる理由
p7
四 政府の紡績奨励方法
p10
五 官立模範工場設置
p12
第二章 官立広嶋紡績所
p13
一 工場敷地の買上及交換
p13
二 工場構内と水路
p16
三 構内と建築物
p18
四 創立当時の功労者
p18
五 模範工場から士族授産工場へ
p20
六 広嶋綿糸紡績会社
p22
七 規模及組織
p24
八 小深川工場の構内と水車
p26
九 上瀬野工場の河原町移転
p31
十 広嶋綿糸紡績営業成績
p33
十一 経営者中の最功労者
p35
十二 亀岡勝知氏の勤王家振り
p35
十三 僧侶から官吏に転じ実業家に転ず
p38
十四 会社持久策
p39
十五 上瀬野工場移転中止
p42
十六 上瀬野工場払下代金
p42
十七 土屋副頭取
p45
十八 波多野作業長
p48
十九 最も危険なりし株主
p50
二十 海塚氏の紡績買収
p51
二十一 河原町工場の変転
p54
二十二 小深川工場と海塚家
p56
第三章 県立姫路紡績所
p60
一 資本及収支状態
p60
二 紡績払下事情
p64
三 会社組織に変更
p66
四 姫路木綿の盛衰
p67
五 紡績所の父田村九一氏
p69
六 構内設備
p74
七 所謂三常務
p78
八 機械及操業
p86
第四章 官立愛知紡績所
p92
一 大平村
p92
二 地を大平に択び動力を水車に採る
p93
三 陀螺水車の嚆矢
p95
四 大岡越前守忠相
p98
五 所長岡田令高氏
p99
六 紡績聯合会と岡田氏
p101
七 岡田氏の五月幟
p105
八 設計官石河正竜氏の最後
p109
九 水車及水路
p112
十 構内設備
p115
十一 機械配列及作業
p116
十二 払下、焼失
p119
十三 篠田直方氏
p122
十四 営業収支と松原氏
p124
第五章 払下及立替払紡機
p130
一 十基紡機払下
p130
二 輸入紡機代金の立替払
p134
第六章 当時の原綿と内棉奨励
p136
一 内地需要者の嗜好
p136
二 内棉発達遅々たる原因
p137
三 政府の栽培奨励
p139
四 綿糖共進会
p143
五 間接の奨励
p143
六 棉に対する官民の意向
p144
七 輸入の増進
p146
八 紡績界の意向
p148
第七章 玉嶋紡績所
p157
一 農商務省に叱らる
p157
二 紡績創立事情
p162
三 玉嶋の形勝と紡績
p164
四 難波氏と川口氏
p167
五 最初の拡張と国武氏
p168
六 佐賀物産会社
p170
七 工場は拡張又拡張
p174
八 第二工場建設理由
p176
九 破産当時の惨況
p180
十 玉嶋紡の工場監督者
p185
十一 荒川新一郎氏
p187
十二 大西久左衛門氏
p195
十三 営業状況
p199
十四 新玉嶋紡績所
p202
十五 吉備紡績所
p203
十六 坂本氏と中野氏
p205
十七 玉嶋紡の遺物の棉花
p206
十八 設備と操業
p207
十九 玉嶋紡の重傷者
p210
二十 遺 物
p211
第八章 桑原紡績所
p213
一 立替払紡績の一者
p213
二 創立の動機
p215
三 建設の困難
p216
四 工場敷地偏在の理由
p219
五 建設費多額に上る
p221
六 機械代延納願
p223
七 財政困難の実例
p224
八 最初の施設
p228
九 新名称桑原紡績
p229
十 構内設備及作業
p231
十一 深夜業の先駆者
p233
十二 工場の焼失
p237
十三 最後の精算
p239
十四 其の後の変遷
p241
十五 石河氏の水車説明
p242
第九章 下野紡績所
p250
一 創立の原因
p250
二 工事甚だ遅延
p252
三 水車場の構造
p254
四 真岡木綿と下館棉
p255
五 野沢泰次郎氏
p260
六 紡績設備
p261
七 赤羽製作の紡機
p262
八 拡張と経営者
p264
九 営業と火災
p266
十 三重紡績へ合併
p271
十一 操業と監督者
p271
十二 野沢泰次郎氏の事業家振り
p274
第十章 岡山紡績所
p277
一 設立計画の初期
p277
二 池田侯爵家の投資
p278
三 紡績所の建物代
p286
四 動力の撰択
p287
五 紡績所の組織
p288
六 練習生の派遣
p292
七 開業式
p293
八 成績振はず
p294
九 有終社
p294
十 資金貸下の経緯
p296
十一 損益予算書
p300
十二 設立主意書
p304
十三 紡績会社定款
p306
十四 工場設備
p308
十五 成績依然振はず
p310
十六 火と水で幸運来る
p312
十七 順風に帆を揚ぐ
p315
十八 行幸堤
p317
十九 支那から外資輸入
p318
二十 西大寺紡績合併
p319
二十一 日露戦役と織機
p319
ニ十二 阪本金弥氏の義憤?
p321
二十三 谷川達海氏
p322
二十四 幹部と職工情態
p323
二十五 今日存在の建物
p325
第十一章 豊井紡績所
p327
一 発起人の変更
p327
二 機械一部の紛失
p330
三 一先づ工場出来
p335
四 動力不足の苦情
p337
五 水車場及び用水路
p355
六 蒸汽力の併置
p356
七 前川迪徳氏
p357
八 経営者
p360
九 営業成績
p363
十 工場設備と操業
p364
十一 廃業後の仕末
p366
第十二章 大阪紡績会社
p369
一 創立の動機
p369
二 大名華族の投資
p372
三 願書提出
p373
四 経営者撰択
p376
五 山辺氏の紡績研究
p378
六 水力の捜索
p379
七 会社の規模と役員
p382
八 紡績見習生
p383
九 英人技師ニールド氏
p385
十 経営苦心の数々
p388
十一 徹夜業の開始
p391
十二 電灯の使用
p394
十三 迅速の発達
p397
十四 内棉欠乏と外棉捜索
p400
十五 印度棉発見と輸入
p403
十六 綿糸輸出の嚆矢
p405
十七 工場設備
p408
十八 洋綛一定の苦心
p410
十九 職工争奪問題
p412
二十 総てに尖端を行く
p413
二十一 風呂敷児から社長
p414
二十二 幹部
p418
二十三 労働情態
p420
二十四 営業成績
p422
二十五 一二両工場焼失
p424
二十六 火災の損害
p426
二十七 御救恤及義捐
p428
第十三章 三重紡績所
p431
一 手廻し米紡機
p431
二 忍藩飛地の七人衆
p433
三 伝七氏父子の熱中
p435
四 工場設置出願
p437
五 紡績創立の発企
p441
六 設立保護願
p446
七 機械の到着
p451
八 水路と水車
p456
九 工場設備
p463
十 伊藤伝七氏
p465
十一 社員及職工の見習
p468
十二 営業と鷹標
p470
十三 開業と創業費
p474
十四 成績振はず
p476
十五 興業資本の増額
p479
十六 職工と幹部
p481
十七 工場規則と男女取締規則
p484
十八 機械代金延納
p490
十九 第一回延納願
p496
二十 第二回延納願
p500
二十一 第三回延納願
p507
二十二 第四回延納願
p514
二十三 第五回延納願
p520
二十四 延納追願
p523
二十五 機械代金棄捐の情況
p527
二十六 株式組織に変更
p535
二十七 渋沢氏の援助
p537
二十八 会社成立前後の内容
p538
二十九 斎藤恒三氏
p541
三十 漁網機所有の唯一紡績
p543
三十一 印棉使用の先鞭
p545
三十二 第一工場の精紡機と火災
p548
三十三 第二工場の計画
p550
三十三[四] 川嶋工場の最後
p551
年譜
巻末
要項索引
巻末
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